006 高級寝具+α
目の前に長い螺旋階段が延々と続く。
そこを私は壁に手をつきながら一人でよたよたとゆっくり歩いて降りていた。2年生は全員講堂に詰め込まれているので辺りはしんと静まっている。
今いる場所は2年生の塔、『第二塔』の階段だ。死学ここの校舎は変わっていて、7つの塔で出来ている。1つの塔で1学年だ。塔の名前は単純に学年の数字を「第」と「塔」の間に嵌め込めば良いだけなのでわかりやすく、覚えやすい。
全体の構成は第一塔から第六塔が第七塔をぐるりと囲んでいる状態である。それぞれ階毎にクラス分けされており、1つの塔にAからJの10クラスと体育館、講堂、職員室、2年の塔の場合は保健室がある。合計なんと14階建ての縦長な校舎なのだ。一階部分に職員室、その上に2年の場合は保健室、そしてそこからJ、I、H、G、Fと順にクラスが積み上げられ、その上に体育館が挟まれる。そこからまたE、D、C、B、Aと順にクラスが積み上げられ、最後に講堂がドシンと乗っかっている。
職員室と体育館、そして講堂は各塔に複数存在しているわけではなく第一塔から第七塔のその階の部分だけが結合してワンフロアになっている。他の階には隣の塔と第七塔に繋がる渡り廊下が設置されている。
私はこの校舎を初めて見たときウェディングケーキを思い出した。職員室と体育館、講堂がケーキ部分で他はそれを支える柱である。てっぺんに人形を飾れば完璧だ。
この建物は建築構造力学的にどうかと思うが此処は日本ではないイグラントである。魔法やらなんやら使っているのだろう。本当に何でもありだ。
それはさておき、私は現在講堂から保健室に向かって歩いている。
今にも吐きそうになるのを必死に堪え、懸命に足を前に運んでいるのだ。原因は悪酔い。黒学の生徒が撒き散らかすあの傍迷惑な代物、フェロモンである。
ムカつく奴に踵を喰らわせたあの時、鼻血なんぞ出てねぇよアピールで手を離してしまった。フェロモンが物凄く濃い場所で。蹴り倒して気分がスッキリしたのは良いが、吐き気に頭痛と体調の方は最悪になってしまったのだ。
結構派手にやってしまったわけだが、全く騒ぎにはなっていない。あまり気付かれていなかったのだ。
気付いていたのは私を祭り上げていた奴らと近場にいた他の黒学の生徒。前者は少し驚きを見せた後にやにやと笑い、後者はチラリと一瞥しただけでまたお喋りに戻っていった。死学の生徒は誰一人気が付かなかったようだ。皆お喋りに夢中だったのだろうか……そこまで夢中になるとか、そのうち貢ぎ始めないだろうな?……っていうかサカキ、お前真横にいて何故気が付かない。
講師二人は勿論気が付いていたようである。黒学側の監視を勤めていた講師は眉間に皺を寄せてはいたが別に私に何かを言うということはなく、死学側の監視役を勤めていたイズミ先生からも特に何かを言われることはなかった。イズミ先生に関しては怒るどころか微かにほくそ笑んでいるのを私は見逃さなかった。……恐らく準備中に何かあったのだろう。
そんなこんなで私は咎められることもなく、体調が悪いから保健室へ行くとだけ告げ、今に至る。
……ん?鼻血垂れ野郎?
知らない。今、私は自分の事で精一杯だ。他人を気遣う余裕などない。
まぁ余裕があったとしても奴に気遣うつもりは更々ないが。
◆ ◆ ◆
吐き気と頭痛を紛らわすようにあれこれ考えながら足を運ぶこと約10分。
……やっと、やっとだ。保健室の表札が見えた。下り階段とはいえこの体調で14階の講堂から2階の保健室まで徒歩で移動するのはキツイ。無事に辿り着いたことから来る安堵ともう立っているのも限界だという焦りが入り混じる。さっさとベッドに横になろう。
ガラガラと扉を開け、消毒液や薬品の匂いが充満する保健室に足を踏み入れる。足取りが覚束ないので壁や棚にぶつかるわ椅子を倒すわでちょっとした惨事になってしまったが気にしている余裕はない。……ヤバイ、眩暈までしてきた。視界に影が差し、世界がゆらゆらと揺れている。気持ちが悪い。
一番近くにあるベッドのカーテンに手を掛けよろよろと引く。そこには恋焦がれてやまないベッドが私を待っていてくれた。……あぁ、ベッド。会いたかった。やっと横になれる。
私は最後の力を振り絞り、ふらつく身体をベッドへと転がして目を閉じた。まだ頭痛や吐き気は相変わらずであるが、休んでいるうちに治まるだろう。一つ長い息を吐き出して身体の力を抜く。
……うむ、やはりベッドは良いものだ。
疲労した身体を優しく受け止めてくれる洗剤とお日様の良い匂いがする白いシーツが被さった低反発仕様の敷布団。風邪をひかぬように身体を優しく包んでくれる洗剤とお日(中略)白いカバーが被せられたふわふわで軽い掛け布団。……こいつはフェザー90%の羽毛布団様とみた。そして、頭を優しく支えてくれる(前略)カバーを被せられたこれまた低反発仕様な枕。……保健室のベッドにしては気前が良すぎ…………まぁ気にするまい。そんなことは今どうでもいいのだ。それら全てが私を癒してくれる。
あぁ、幸せ。体の調子は最悪だけれども。
健康良児である私に保険室は無縁である。今回初めて訪れたのだが、こんな素敵ベッドがあるなら仮病なり休み時間なり使ってちょくちょく来てしまおうか。
幸せ気分で寝返りをうつと何かにぶつかった……抱き枕まであるとはとことん気が利く保健室である……が、硬い。他の寝具は最高級だというのに、けしからん。どうせなら抱き枕までこだわるべきだ。しかしこの抱き枕、温かいとは湯たんぽも兼ねているらしい。
私はそのけしからん抱き枕がすこぶる気になり、閉じていた目を開いた。
____赤い二つの目と私のそれがかち合う。
「…………人型の抱き枕とか……ないわー……」
ないわーと言いつつも、そうだと良いなと期待を込めて言ってみた。
すると抱き枕の目が細まる。
わぁ、すげぇ、動くんだぜこの抱き枕。悪口言うと怪訝な表情になるんだぜ。リアル設計過ぎて悪趣味としか言いようがないが。流石異世界、まだまだ未知なものが盛り沢山である。
……。
…………。
……うん、ごめん、明らかに人だ。
しかもこいつ
「……悪魔だし」
ついつい溜息が漏れた。
そう、私が現在進行形で抱きついている彼は赤目と黒髪。サカキが説明してくれた悪魔の色彩をバッチリ携えていた。
しかもこの人、超が付くほどの恐ろしい美形っぷりである。
講堂にいた黒学の生徒たちも勿論美形なのだが、それをも超越する美形だった。ずっと見ていても見飽きることはないというか……否、もう美形は結構。腹一杯です。ごっつぁんです。
そういえばこの人に対して何か違和感を感じていたのだが、その理由がわかった。恐ろしいくらいに顔が整っている……ではなく、あの濃すぎるフェロモンを全く感じないのだ。
彼の周りを纏う空気は澄んでいる。先程と変わらず吐き気と頭痛はあるのだが、こうやって普通に息をしていても急に悪化する事はない。こんな密着しているのに…………密着……密着?
不思議に思ったところで、自分の腕がまだ彼に巻き付いていることに気が付いた。
何て事だ。これでは痴女ではないか。
「……すみません、ごめんなさい、お邪魔しました」
私は彼にそう告げて腕を離し、もそもそとベッドを降りて他のベッドへ移ろうとした。
しかし、床に足をついて立ち上がった瞬間
「うぇ……っ」
酷い眩暈に襲われた。
容赦なく世界がぐるぐると回転する。
「ぶっ」
身体前面に鈍痛が走った。
冷たいと感じるこれは床だろうか?……どうやら私はぶっ倒れたようだ。
頭痛が酷いし吐き気もするし打った部分は痛いし……散々である。身体を少しでも動かすのが億劫だ。
「…………うぅー、くそう……鱗翅類め……」
彼等とは性格的に全く合わないし身体的にも異常をきたす。
……ペアとか本格的に無理ではないか。
これは実習どころじゃないなと考えたところで、私は意識を手放した。