065 違和感と既視感
熱があると認識した途端身体の怠さが増してしまうといった経験は誰にでもあるのではなかろうか。今正に私がその状態だ。病は気からとは良く言ったものである。
手に伝わる体温が高い。38℃は確実にいっている。もしかしたら39℃近いのではなかろうか……どうりで思考が鈍るわフラフラするわいつもと調子が違うわけだ。他人に言われて初めて気がつくとは私も相当鈍いらしい。
「……気は済んだか」
徐に見上げると、もう待てないと顔面に書かれたキリュウと目が合った。いつの間にか彼の手に渡っていた闇色ダガーがキラリと光を反射させる。戦闘体制はバッチリ。要は選手交替をしろと言いたいのだろう。
しかし態々確認を取ってくるとは律儀な男だ。私だったらそんな面倒なことなどせず、衝動のままに突っ込んで行っている。
相変わらず悪魔らしくない彼を見上げつつぼんやりする頭で考える。私の本日の目標はド変態を一発殴ることだ。一発殴った、というより頭突きになってしまったが、一発喰らわせた事には変わりないので心残りはない。もうしんどいし怠いしやる気も削がれつつあるので遠慮なくバトンタッチといこう。
「うん、ありがと。んでもってごめん。あとよろしくお願いします」
待ってくれた事に対するお礼、そして巻き込んで尚且つ尻拭いさせる事への謝罪を述べ、頭を下げた。
返事代わりか、キリュウは私の頭をぽんっと一撫でしていく。心なしか頭痛が和らいだ気がするのは魔法の手の効能か、はたまた心情的なものなのか。心地よさに思わず頬が緩んだが、その直後目の前に影が射し、眉間に皺が寄る。外れたままだったフードを被せられたのだ。現在熱も手伝って物凄く暑い。被らなきゃいけないことは分かってはいるが物凄く暑い。何度でも言う。物凄く暑い。
「下がってろ」
この読心術レベルMAXな彼にとって私の心情など手に取るようにわかるだろうに、更に目深にフードを被せ私の前へ出た。おいこらやめろ、なんて言いたくとも言えない現状に私は涙を飲んで大人しく罰ゲームとしか思えないこの人為的な暑さと戦うしかない。
下がり過ぎて私の視界を奪うそれを少々引き上げて直しつつ彼の背中を見る。うむ、何て頼もしい番犬なのだろうか。是非とも主人に仇なす輩に噛み付いちゃって下さい。
この状況で私にできる事と言えば応援くらいなものだが、体調最悪のフラフラな状態でやったとしても残念な感じになるに違いない。キリュウ頑張れ、キリュウマジ頑張れ。仕方ないのでそう心の中で盛大なエールを贈ったところでふと気が付いた。そういえば先程からド変態の反応がない。
反応があったらあったで面倒臭いし鳥肌モノだが、逆に静かだと妙に不安になってくるのは何故だろうか。どちらにしろ面倒な奴だなと思いながら怖々とキリュウの背中越しにド変態の様子を窺う。
奴は方膝を立てて座ったままニヤニヤと興味深そうに此方を見ていた。相変わらず口元に手を添えて。
もしや先程の一撃が相当効いているのだろうか。流石私の頭が割れるほどの渾身の頭突きだ。割った甲斐があったってものだ。
ふふん、と得意顔になっていると不意にド変態と目が合った。途端噴き出すド変態。
「ふっ、ははっ……、ず、頭突き……っ!」
「流石ひぃちゃん」、「有り得ない」などと途切れ途切れに漏らしつつ何故だかツボに入ったド変態は笑い続ける。……打ち所でも悪かったのだろうか。今度は哀れむ視線を投げ掛けていると漸く笑い続けて落ち着いたのか奴は徐に立ち上がった。
「はぁ……ホント予想外の塊だねぇ。面白い。……で、次は何をしてくれるの?」
好奇に満ちた目が私を捕らえる。
いや、そんなに期待されても何もする気はない。したくもない。
何かするとすればうちの優秀な番犬だ。これ以上私に関わってこようとか思わないで欲しい。天使なら天使らしくぷーぷーとラッパでも吹きながらにこやかにお空を徘徊すれば良いのだ。ラッパが嫌ならハープでも良い。愛と平和を象徴する先駆者となれ。
因みにイグラント世界において天使にそんな役目はない。いつの間にか話が変な方向に脱線して自分でもよく分からなくなってきたが、要は私に関わらなければ何でも良いのである。
しかし、私のその願いを打ち消すように奴は薄気味悪く微笑んだ。暑いはずなのに尋常ではない鳥肌が……原因はきっと風邪だけではないハズだ。
半目になりながらローブの中でさすさすと粟立った腕を撫でる。他から見て明らか嫌がっているように見えるだろう私を気にも留めずド変態は更に続けた。
「それとも俺の方から仕掛けようかな。蒼黒の死神ってだけでも十分惹かれるのにその鎌とか……ねぇ、ひぃちゃん。俺のものにならない?」
……ん?
何やら身の毛もよだつ提案をされた気がする。脳が理解を拒否し、私は固まった。今、このド変態は何と言っただろうか?
熱も手伝って遅い思考回路で私は再度懸命に考える____が、私が理解する前にまたもや思考が停止してしまった。ついでに冷や汗が背中を伝う。
「…………キリュウ?」
……いや____魔王、か。
ピリピリとした空気が肌を刺す。何故か魔王がお怒りだ。後ろ姿だけでも彼が纏う黒々としたオーラでかなり怒っているのが分かる。……何これ、怖すぎるのだが。
こんな状態の魔王を真正面から対峙しているド変態は恐怖のドン底に突き落とされているに違いない。そう思って同情混じりの視線を投げ掛けた……が、それは要らぬ気遣いであった。
この魔王の怒りをぶつけられているにも関わらず奴は一瞬「へぇ」と感心するような表情をした後、笑っていた。……もう一度言う。笑っていた。
魔王も怖いがやはりこいつもある意味怖い。何故に笑っていられるのだろうか。怖すぎて気でも触れたのか。ならばまだ納得できるのだが。
ド変態は緩慢な動作で側に落ちていた獲物を拾い、顔を上げた。その視線の先に映るのは先程まで観察していたキリュウではなく、何故か私……何故に私?
疑問符を飛ばしているとド変態は口角をゆるりと上げた。そして壮絶な笑みを浮かべる。
危うい色気が駄々漏れたようなその笑みは、私の背中にひどい悪寒を走らせた。目を見開く私を尚も見つめるド変態。
何だろう、何かがおかしい。
____そう思った直後、急激に胃から何かがせり上がってくる感覚に思わず顔を伏せた。
「…………うっ……、」
………………物凄く、吐きそうだ。