064 知らぬ間の助勢
こちらから頭突きを仕掛けたとはいえ私の頭は決して石頭ではない。寧ろ柔らかい。
その上、身構える事なく無意識下に突撃してしまったので自身にもダイレクトに衝撃が伝わる。この痛みは壮絶モノであった。
耐えきれなかった私は大事な武器を放り出し、声を発する事もできないまま頭を抱え、あまり自由のきかない上半身をゴロゴロとさせて悶え苦しんだ。痛い、冗談抜きで痛い。パカッと頭割れたのではなかろうか……とか何とか考えているうちに焼けるような熱を持った額からつつーと何かが垂れてきた。恐らく血であろう。やはり割れていた。
目に溜まった涙で滲む視界には無言で停止したままのド変態が映った。こちらは片手で口許を押さえている。どうやら顎に食らったらしく、もう片方の手を地面に付けて踏ん張っている。脳が揺れてふらついているのかもしれない。……もしかしなくとも、これは脱出のチャンスではなかろうか?
何とか痛みをこらえ、試しに両手で突き飛ばしてみた。するとあっけなく離れるド変態。すかさず私は鎌を拾いつつ立ち上がり、よろよろと距離を取る。やった。やったぞ。脱出成功だ。無意識下とはいえ私は最善の行動を取ったのではなかろうか。頭割れたけど。
ドヤ顔で手の甲で血を拭いつつ更に距離をジリジリと取っていく。すると少し進んだところでコツンと踵に何かがぶつかった。何だ何だと足元に視線を遣るとそこには綺麗な闇色のダガーが転がっている。……ほほう、これは。
恐る恐る今度は背後に視線を向けた。私と目が合ったキリュウは目を細め何か言いたげにしている。
ふむ、なるほど。頭突きにしてはやたら硬質な音が響いたと思ったら原因はこれか。不意打ちとはいえ綺麗に頭突きが決まったのはキリュウの攻撃を防ぐ事に気が逸れていたからだったようだ。
あれこれ考えている内にもキリュウを纏う空気が不穏なものに変化していく。……黒いものを背負った魔王が怖すぎる。どうしよう。
恐ろしい魔王に近寄りがたく思った私はついつい彼とド変態の丁度中間地点で待機してしまう。
「何をしている」
すかさず叱咤が飛んできた。もたもたしていないで早く来い、という事であろう。
私は足元に転がっている闇色ダガーを拾い上げ、魔王の元へと赴いた。……片手で持てないこともないが、何この重量感。キリュウはこんなものを軽々と振り回しているのか。それとも魔の属性のこの武器は死神と同じく軽く感じるのだろうか。魔の属性しか扱わないくせにそれが苦手だなんて事はなかろう。空間魔法は特殊だから属性の括りには入らなさそうだし、多分。
……何やら微妙に引っ掛かりがあるが、なにせ今は頭が回らない。私は再びボーっとしてきた思考を打ち切ってさっさとキリュウの元へと行こうとした。
しかしそんなものを持った上、やたらとよたつく身体は操作が難しい。血は相変わらず額から垂れて程よくホラーな感じになっているが、貧血になる程出血しているようには感じないのに。何故だ。
更に息も上がって身体が怠い。頭がぼーっとする。どうかしたのだろうか、私。
やっとこさ魔王の元へと辿り着き、取り敢えず拾ってきたダガーを差し出してみた……が、何故か受け取ってくれない。頭に疑問符を浮かべつつ見上げるとキリュウの訝しげな視線が上から降っていた。そう、魔王ではない。キリュウだ。いつものキリュウが帰ってきた。
何だかそれが無性に嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。対するキリュウは眉間に皺を刻んだ。ちょっと、酷くないか。
私の笑顔はそれ程までに気持ちが悪いのだろうか、と考えたところで額から血が流れていることに気がついた。確かにこんな状態で微笑んだところでホラー以外の何物でもない。気味が悪いだけだろう。
一人納得していると、何故かキリュウの右手が私の頬にそっと添えられた。何だろうと思いつつそのままじっと突っ立っていると、頬から首へするりと手が滑っていき、今度は耳の下辺りに指の背が添えられる。冷たくて気持ちが良いその手に自然と目が細まった。何だか自分が猫にでもなってしまったような気分だ。これは私も猫に為りきるべきだろうか。
取り敢えず瞳を閉じて添えられたままのそれに擦り寄ってみる。にゃんにゃんごろごろ。……はて、一体私は何をしているのだろう。
「……熱がある」
どうやら正気を疑われたようだ。まぁ確かに自分でもおかしい行動だと思わないでもない。
伺い見ると心配の色を乗せたキリュウの視線とぶつかった。え……私、そこまで深刻じゃない、と急いで横に首を振る。しかし私の反応を見たキリュウは呆れたように目を細めた。まるで自分は酔っていないと主張し続ける酔っ払いに対するようなこの反応。信じる様子が欠片もない。何てことだ。
呆れた視線と必死な視線。両者がかち合ったまま暫し無言の時間が過ぎたが、キリュウの溜息でこの無言の主張のぶつかり合いは幕を下ろした。
彼の手が一旦離れ、今度はダガーを持っていない方の手を取られる。頭に疑問符を浮かべているとその手を先程までキリュウが触れていた場所へ誘導された。
何だこれは。まさかセルフにゃんにゃんごろごろをしろというのか、と考えたところでとある事に気が付く。
「…………熱がある」
ボソリと思わず呟いた私にやっと気が付いたかといった様子でキリュウの手が離れていく。
自身の首に触れた掌からは、普段より明らかに高い体温を切々と伝えていた。