055 解ける事のない貧富間の蟠り
私は目の前の光景に暫し固まった。
まず目の前に広がったのは玄関らしき場所…………ただし恐ろしく広い。少なくとも10畳はなかろうか。玄関にそんな無駄なスペース割いてどうするというのだ。しかもさりげにセンス良く配置されている置物、目利きが素人の私から見てもその纏う高級オーラから恐ろしく高そうだと確信が持てる。……半径1メートル以内に近づかないでおこうと固く誓った。見上げると頭上にシャンデリアを発見。見た目は豪奢で結構だが掃除が物凄く大変そうだ。まぁ私が掃除するわけではないので良いけれども。
首が痛くなってきたので視線を前に戻した。奥にはリビングらしき部屋が続いているが、この玄関より広いのだろうな……つか、何て所に連れて来てくれたんだ、キリュウ。生憎、庶民的な感覚しか持ち合わせていない私には入り辛い事この上ない。
「……早く入れ」
尻込む私を気にもしないキリュウが後ろからせっつく。彼は何だかこういった場所に慣れているようだ。くそ、ブルジョワめ。
いつまでもまごついてはいられない為、私は気合いを入れて足を進めた。裸足なのでぺたぺたと直に床を歩く。……あれ?黒いけどこれって大理石じゃね?
汚れや傷など付いたらどうしようと心配したり、でも私を無理矢理連れてきたのはキリュウだから何かあったら責任を持つのは彼だよねと開き直ったりと内心忙しくする私。二つの考えが鬩ぎ合った結果、庶民的思考が勝利し、そろりそろりと心持ち慎重に足を進める。そんな私の後ろから、キリュウがズカズカと土足で入ってきた。……くそ、ブルジョワめ。
そうこうしているうちにリビングらしき場所へ辿り着いた。……やはり広い。調度品も予想通り高そうな物ばかりだ。しかし、見るからに沈みそうな皮張りのソファーとピカピカなテーブルが部屋の真ん中にドンと鎮座している以外は寂しくならない程度にポツポツと絵画やスタンドが立っているくらいで殆ど家具がない。
見回すとまだ扉が5つある。……同じような広い部屋があるのだろう。
私はもう一度部屋を見渡した。全体的にモノトーン……というかほぼ黒一色で統一されているようだがモデルルームみたいに生活感がない……此処は一体何処なのだろうか。
「使え」
ぼけーっとしている私にタオルと着替えを寄越すキリュウ。「風呂はそっちだ」と一つの扉を指差している。確かに身体は冷えていて早く風呂に入って温まらないと風邪をひいてしまうだろう。
……でも、その前にだね。一つ聞いておきたい。
「此処、何処?」
「……黒学の寮だ」
「へぇ……」
……。
…………マジかっ。
◆ ◆ ◆
「お風呂ありがと」
「…………………………あぁ」
借りたタオルで髪をガシガシと拭いながらリビングに足を踏み入れる。借りた服はTシャツとズボンだったが、何せキリュウサイズ。私の体格に合うはずもなく、ブカブカのダボダボでズボンは履いてもすぐにずり落ちるので諦めた。故に現在の恰好はTシャツ一枚である。これまた私にはデカいので裾が余り、膝上まで隠れている。最早ワンピースだ。肩はギリギリ引っ掛かっている状態なのでずれ落ちるのを一々直さなければならないという点を除けば何も問題はない。先程まで超ミニ丈ワンピースを着させられていた私にはちょろい、朝飯前なのだ。
私は使わなかったズボンをキリュウに返した。何か言いたそうな顔をしているが何だろう。……あ、溜息ついた。何だか知らんが何かを諦めたらしい。
髪が粗方乾いたので鳥の巣と化したそれを手櫛で整えながら私は先程借りた風呂を思い返していた。
タオルでは拭いきれなかった汗やら何やらをシャワーで洗い流した私。風呂の中にまたガラス張りの個室というよく分からない作りだった……もしやあれがシャワーブースというものなのだろうか。無駄に豪華さを醸し出しているが何の為に壁があるのか分からない。掃除の手間になるだけに思える。金持ちの考える事はよくわからん。
シャワーを浴びた後、湯船に湯が並々と溜めてあったので遠慮なく浸からせて貰ったのだが……銭湯でもないのに泳げるくらい広かった。何となく予想はしていたが、いざ実際に目の当たりにすると驚く。ここはやるしかねぇだろ、と思わず泳いじゃったけれども。泳いでいるときはそれなりに楽しかったが、泳ぐのを止めてふと我に返った時の、あの何ともいえない感じ。「あれ、私、何してるんだろう」……何とも虚しかった。もう泳ぐまい。
これまた例外に漏れず全体が黒だったが蛇口なんかは金色だし、全体的にキラキラしている風呂だった。一歩間違えれば悪趣味になりそうなものだが、これが絶妙なセンスでそうは見えないのが凄い所だ。本当に此処は寮なのかと疑いたい……しかし残り部屋が4つあるという事はキリュウを入れて4人で生活をしているのだろう。見る限りこのだだっ広いスペースには生活感のかけらもないが…………皆揃って潔癖症とか?
……。
…………ん?皆?
…………。
……………………私、此処にいてはヤバくないだろうか?
「……あー、キリュウの部屋は?早く移動しないと誰か帰って来ない?」
見つかったらマズイと思い、提案をしてみたのだが何故かキョトンと少し首を傾げるキリュウ。え、何この反応。
……。
…………おい、まさか。
「……此処、一人で使ってんの?」
「あぁ」
何かおかしいか?といった様子で肯定の言葉を発するキリュウ。……いやいや、ちょっと待てこのブルジョアが。4人で使うならまだ分かるが……いや、それでも無駄に広いし豪華過ぎると思うが、このスウィートルーム並な部屋が一人用だと?…………必要ないだろ、絶対。
ってか最初から思ってはいたが、これはもはや寮ではないだろ。私の知っている寮というものは相部屋やら一人だとしても部屋面積は狭く、とにかくぎゅうぎゅうと詰め込まれているイメージだ。なのに、何だコレは。
この無駄なスペースに豪華過ぎる部屋……寮生一人にいくらかけているのだろう。もしかして黒学は金持ち校なのか?
「好きに使え……使わない部屋の方が多い」
ですよね。
一人悶々と思考に耽っている私をキリュウが現実へ呼び戻す。まぁ考えても仕方がないし、こういうものだとありのまま受け入れようではないか。
……あー、なんかどっと疲れた。色々と疲れた。
取り敢えず目の前にある三人掛けソファーにぽすんと腰掛ける。……予想通り深く沈んだ。何だこれ。坐り心地が半端なく良いんだけども。思わず表情筋が緩む……あぁ、尻がとっても幸せ。
二つあるし一つくらいくれないかな。どうせ使わないだろ、勿体ない。此処でオブジェと化すよりも私が大事に使ってやる方がソファーも喜ぶと思うのだ。
「……私物ではないから無理だ」
なんだ、残念。
せめて此処にいる間だけでも堪能しよう。私はぽふっと横たえた。……あぁ、右半身がとっても幸せ。
…………。
…………あれ?そういえば私、何か大事な事を忘れている気がする……。
何だろう。懸命に考えるが右半身が絶賛幸せ堪能中な為、思考がうまく働かない。うーん、何だったかな……。
______ぐぅぅうぅうー……。
「……」
「……」
私の腹で飼っている虫が盛大に不満を呈した所で思い出した。
あぁ、そうか、飯だ。