052 乙女の事情と尊厳と
パタパタ、パタパタ。
ブレザーに当たる雨が微かに音を立てる。静かに降り注ぐそれは大分弱まってきたようだがそれでも上がる様子はない。
先程ド変態が姿を眩ませてから、何とも言えない静寂の中突っ立っている現状なのだが……キツイな。何か話を振ろう。ほんとこの沈黙、キツイです。
隣を見る勇気は未だないので前を向いたまま問い掛ける。
「場所、よく分かったね」
「……」
……はい、引き続き沈黙を頂戴致しました。無視ともいいます。
頑張って話を振ったというのに何たる仕打ち。これは一言物申しても良いだろう。というか申す。申させてもらう。
私がそう意気込んでジロリと彼を見上げると目が合った。……何だ?その何か言いたげな目は。
首を傾げると彼は私から視線を外し、私を通り越した先を見た。私もつられてそちらに視線を移す。
「……」
「……」
……ふむ。
百聞は一見に如かず。彼はそれを実行したようだ。無視じゃなかったんだな、すまんかった。
視線を移した先には一部不自然に木が開けていた。彼はそれを辿ってきたのだろう。走りながらド変態に向かって放っていた鎌鼬は本来の目的こそ果たせなかったが、救世主の道案内をしてくれたようだ。
「……戻るぞ」
「へい」
心底呆れたように溜息をつきながら言われたが、素直に返事をする。下手に藪を突けばどんどん蛇が出て来そうだ。もう何も言うまい。
キリュウは黙りこくった私の頭に手をぼんっと置き、空間魔法を発動させた。
◆ ◆ ◆
「……」
移動先は雨宿りしていた崖の下。
私はそこでキリュウが買ってきてくれたものを袋の中から取り出し、正座の姿勢で見つめていた。目の前にはタオルと着替えが鎮座している。
「…………」
…………うーん。
当たり前だがこんな森の中、更衣室なんてあるわけがない。今私達が把握している、雨を凌ぐ事が出来て尚且つ人目につかない場所はここくらいしかないので場所を変えることも出来ない。二人いても余裕な空間とはいえ、それはじっとしてればの話で。着替えるには些か狭い。ここで着替える……しかないんだろうな。解っちゃいるが抵抗感が半端ない。
「……さっさと着替えろ」
そう言いながらキリュウがこちらに背を向ける。……見ないと分かっていてもなんだかな。
しかしこのままでいてもしょうがないので私は意を決して着替えることにした。女は度胸である。
雨が降る音に混じり、ジャリっと砂の擦れる音が身じろぎする度静かに響く。すぐ隣にはキリュウが背を向けて座っているが気にしていては着替えられないので意識から排除した。あれは置物だ、カボチャなのだ。黒いカボチャとか聞いたことないけれども。因みにイグラント製のカボチャは皮がオレンジ色で中が緑色だ。初めて見た時はそれはそれはショッキングであった。色自体はピンクや青などと比べれば野菜としてはまともな色なのだが、何処か毒々しい。色が逆になっただけで凄まじい違和感であった。……まぁそれは置いておこう。
彼から渡された袋の中には大判のタオル二枚とシンプルな蒼色のワンピースとこれまたシンプルなベージュ色のローブが入っていた。下着は入っていないので今付けているものを濡れたまま使うこととなる。気持ち悪いが仕方ない。いや、まぁこの袋の中に下着が入っていてもドン引きするが。……しかしキリュウはどんな顔をしてそれを買うのか少し気にならんでもない。やっぱり普段通りの無表情で買ってしまうのだろうか…………っと、また余計なことを考えてしまった。ちゃっちゃか着替えなければ。
二枚あるタオルのうち一枚キリュウに渡した後、取り敢えず服を広げてみる。……ワンピースの丈が短くないか?死学の制服も短いがこれはそれの上をいく短さだった。
少々疑問が浮かぶが与えられた物故に文句など言えるわけがない。とにかくさっさと着てしまわないと風邪をひく。幸いローブは丈が長いので上から被れば踝くらいまで隠れる仕様だった。太い足をスッポリ隠してくれるだろう。
せっかく態々村まで行って買って来てくれたワンピースを濡らすわけにはいかない。ワンピースを上から被せて着、その下で制服を脱ぎたい気持ちを抑え、制服の上を脱ごうと手をごそごそ動かした。
「あ、ごめん」
「……あぁ」
「っと、ごめん」
「…………あぁ」
「おぉ、ごめんごめん」
「…………」
……もう一度言うが此処は着替えるには狭い。立つには高さが足りないので座ったまま着替えているのだが、私が身じろぐ度に肘やら腕やらがゴスゴスとキリュウに当たってしまう。腕がキリュウの頭を小突いたところで返事がなくなった。すまん、これでもわざとじゃないんだ。
濡れた服は何故こんなにも脱ぎにくいのか。
先程から上着を頭から抜こうと躍起になっているのだが、服が肌に張り付いてこれが中々抜けない。今、私はきっと宇宙人みたいな格好になっている。
ふぬふぬと頑張ってはいるものの、やはり抜けない。抜けてはくれない。
「……っ、……っ、」
……濡れた服で顔が覆われている為か、もがいているうちに息苦しくなってきた。酸欠で頭もクラクラする。これはヤバいかもしれない。
何とか抜けないものかと更にもがくが抜けないものは抜けない。余計苦しさが増しただけであった。
……本気でヤバくないか?
このままでは宇宙人みたいな間抜け過ぎる格好でぶっ倒れそうだ。……それは嫌だ、嫌過ぎる。
どうすればと考えた所、座っている状態では着替え辛いのでは、という考えに至った。幸い今は濡れた服しか身に纏っていない。脱ぐ段階で雨に濡れてもまたタオルで身体を拭けば良い話なので支障はないのだ。一旦外に出て起立した状態で脱ぐとしよう。
そうと決まれば即実行。私は足に力を入れて立ち上がろうとした____が。
「ッ!!」
滑った。有り得ない。
身体が傾き、私は盛大に転倒する。
固い地面にこんにちはをする衝撃に備えて身を固くするが、思ったより衝撃がない。というか痛くない。これが意味する事は…………言わなくとも察して欲しい。
「……」
「……」
痛い痛い。沈黙が痛いです、キリュウさん。
今の私にはそれは凶器以外の何物でもない。笑ってくれた方がマシである。……まぁ分からんでもないけどね。そりゃ宇宙人がいきなり降ってきたら固まるよね。すみませんね。
そして更にすみません。
「…………たっけて」
「……何をやっているんだ、お前は」
いや、もうホント限界。
此処まで来ると形振り構っていられない。苦しくて仕方がないのだ。だから早く助けて。
キリュウは深い溜息を吐き、「両手を挙げろ」とまるで刑事が犯罪者に告げるような指示をしてきた。はいはい、バンザイですね。喜んでさせて頂きますよ。
手を挙げた私を認め、彼は服の裾を掴み、一気に脱がせる。あれだ、母親が小さい子供にやるような感じだ。
スポーンと私を苦しめていた服が抜けると同時に新鮮な空気が肺を満たす。あぁ、空気が美味ぇ。ありがとキリュウママン。マジ助かった。
制服を彼の目の前で脱いだ訳だがさして問題はない。
何故なら制服の下にはキャミソールを装備しているからだ。以前夏服として着用していたその姿を見られたところで私的には大した事はない。
……はずなのだが、何故か腹がスースーする感覚に一抹の不安を覚え、視線を下げた。
「――ッ!!!!」
声にならない悲鳴を上げる。
見下ろした光景はキャミソールではなく下着であった。やけに脱ぎにくいと思ったら2枚同時に脱いでいたらしい。……何て事。
私は急いで乙女よろしく腕で身体を隠した。一応これでも女だからね。それに堂々と見せる勇気もプロポーションも残念ながら持ってはいない。
「…………」
微妙な表情をしつつ何か言いたそうなキリュウ。何だよ。ってか早くあっち向けよ。
私の腕はしっかりと乙女にとっての不可侵領域____腹部を覆い隠していた。