004 手綱の行方
バタンと大きな音を立てて講堂の扉が開かれた。
今までざわざわとくっちゃべっていた生徒達が黙り、途端に静かになる。私は最後列辺りにいるのでまだ中の様子を窺うことは出来ない。
続々と死学の生徒たちが講堂内へと入っていく。そこでふとあることに気がついた。
先頭群、つまり中の様子を窺うことが出来る集団の顔がほんのり赤い気がする。頬を赤く染め、フラフラと入っていく死学の生徒達____それはまるで恋をしているかのような…………っておいおい、マジかよ。手綱はどうした。華麗に捌くんじゃないのかよ。お前らが捌かれてどうするよ。
誘導する先生達もその様子を目の当たりにして心なしか顔が引きつっているように見える。「やっぱりか」「またかよ」といった心の声が聞こえてきそうである。つい先程注意したばかりだというのにも拘らずこの有様。確かにこれは厳しい指導が必要になりそうだ……お疲れ様です。
少しずつ順番待ちの数が減っていき、やっと中の様子が窺える所までやってきた私は、どれどれと黒学の生徒を拝見……しようと思ったのだが、急にガッシリと手を掴まれたのでそちらに視線をやる。
掴まれた手を徐々に辿っていくと、そこには頬を染めて目をキラキラさせた恋する乙女なサカキさんがいた。うわぁ、やっぱりお前もか。
ぎゅうぎゅうと……いや、ぎちぎちと握り締めてくる手を苦戦しつつも引き剥がす。アナタ握力どんだけあるんですか。手を見ると赤くなっていた。痛い。……やっぱりクッキーは一人で食べることにしよう。
今サカキに文句を言っても無駄だ。絶対私の言葉なんて右から左へスルッと通り抜けてしまう。
抗議を諦めて今度こそ講堂内へと視線を向け____
「…………何じゃこりゃ」
あまりな光景に思わず声に出してしまった。顔も思いっきり引きつったかもしれない。
__そう、この場面を一言で表すならカオス。
此処はいつからホストクラブになったのだろうか……あ、ホステスも発見。
この部屋の空気は何か濃い。何がって、あれだ、おそらくフェロモンとやらが。発生源は勿論黒学の生徒達である。
お前らは蝶々か何かか。悪魔が鱗翅類だったとは初耳だ……フェロモンなんて鱗粉みたいにやたら滅多に振りまくものではない。
まだ一歩も足を踏み入れていないのに私はフェロモン酔いなるものを初めて体験した。勿論気分が悪くなる方、悪酔いである。
彼らの濃すぎるフェロモンが私の自律神経失調を引き起こしたようだ。気分は最低最悪。そして若干吐きそうだ。
吐いたらテメェらのせいだ……もしもゲロリンする羽目になってしまったら投下地点は奴らの頭の上にと心に決める。
思わず悪酔いしてしまうこの空間。正直このまま回れ右をして出て行きたい。身体は正直なものだ。そう思った瞬間私の身体は素早く回れ右を__
「ヒイラギ、こっち空いてるわ」
私が走り出すよりも一瞬速く、サカキの手が私の腕をガッシリガッチリとホールドしてきた。今度は更に強い力で締め上げてきやがるので振りほどくことが出来ない。
一つ断っておくが、決して私は非力なわけじゃない、寧ろどちらかといえばかなり強い方だ。リンゴだって握り潰せるし。そんな私でも歯が立たないなんてサカキがおかしいだけである。そしてもっとおかしいのはタチバナさんである……彼女までいってしまうと、もはやバケモノ級であるが。
目で訴えてもサカキが私の腕を放す様子はない。私の逃亡は阻止されてしまった……なんてこと。
無駄に馬鹿力を発揮したサカキにズルズルと引きずられ、私はついに講堂へと足を踏み入れてしまった。
「うぐっ……!」
ちょっと待て。
何だ?何だかべらぼうに臭いぞ此処。
強烈な香水を鼻に塗りたくられたような感覚だ。鼻がッ鼻がへし折れる……ってか何で他の奴ら恍惚とした表情してんの?鼻イカれてるの?そうなの?
「早く早くっ」
容赦なく私を引っ張って行くサカキ。テンションがいつもの5割り増し高い気がする。
一方私の気分は優れない。奥に進むにつれて頭も痛くなってきた。何コレ。
思わず片手で鼻と口を覆った。……少しはマシになった気がしないでもない。着席するとサカキの手が離れたので今度は両手で覆う。……うん、これなら何とかギリギリいけそうだ。
隣に座ったサカキを見ると彼女の向こう側に腰掛けている黒学の生徒と楽しくお喋りを開始していた。早くも丸め込まれているように見えるのだが……サカキよ、手綱を何処へ投げ捨てた?そそくさと拾って帰ってきなさい。
私の投げかける生暖かい視線にサカキが気づく様子はない。
それから暫く、口と鼻を両手で押さえつつ横目に恋する乙女まっしぐらなサカキを写す他、特に何をするわけでもなくぼーっとしていた。大分吐き気も治まってきたので周りを見回してみる。先程は吐き気やらなんやらとそれどころではなかったのでゆっくりと観察することができなかったが……なるほど、美形揃いだ。
サカキの説明通り、黒髪に赤目の美形集団が講堂の半数を占めている。慣れない色彩を見ているからかちょっと…………いや、かなり不気味だ。
サカキによると悪魔は乱暴者や性格がひん曲がっている奴が多いらしいが、今のところそれはわからない。ホストとホステスだ、くらいしかわからない。
今、講堂内にいる教師は2人だけだ。死学と黒学それぞれ一人ずつ講堂の隅っこに立っている。親睦を深めるようにだか何だか言って残りの教師は出て行ったのだ。なので現在フリータイム。そこかしこで大人数が喋りまくっているので騒々しい。そしてその光景は親睦を深めているというより、ホストもしくはホステスが客に相手しているようである。……何度も言うが、此処は学校の講堂内である。決して夜のお店ではない。
私はホストと馴れ合う気は更々ない。
面倒臭いし寝てしまおうと、私は机に突っ伏した。