046 自ら起こす二次災害
ぬかるんだ地面に足を取られつつ、森の奥へ進む事約20分。
私達は崖にポッカリと出来ている窪みを発見した。少し余裕を持って2人入れる程のその窪みは、広くはないが周りから見付かりにくい上、雨宿りくらいは充分に出来そうだ。
私とキリュウは どちらからともなく目配せをし、軽く頷き合う。ここで少し休む事にした。
二人そこへ腰を下ろし、雨に濡れた服を絞っていく。私がチビチビと着たまま裾だけ絞っていると、隣ではキリュウが黒シャツを脱いで豪快に絞っていた。私もそれに見習いたいが、やれば痴女認定を受けそうな上、腹のお肉様を披露する羽目になってしまう。それは断じて頂けない。
チラリと隣に視線を遣ると、そんな腹肉に悩まされている私と違い、脂肪とは無縁の彼の身体が窺えた。男と比べても仕方ないとは思うが、本当に彼は良い身体をしている。羨ましい限りだ。その筋肉を分けてはくれないだろうか。
またもや、つい彼の身体をガン見してしまう。視線を感じてふと視線を上げるとキリュウがこちらをじっと見ている事に気が付い……はっ。いかんいかん。
へらりと笑って誤魔化しを試みるが胡散臭さげに目を細める彼…………これは遂に認定されてしまったのだろうか。誤解だ。私は断じて痴女ではない。このぷよぷよの腹肉の代わりに逞しい筋肉が欲しいという純粋な心を持っているだけなのだ。
「被っておけ」
彼はそう言って私が先程絞ってそのままさり気なく後ろへ置いていたブレザーをバサリと被せた。どうやら痴女認定ではなく、ブレザーを被っていない事に対して非難の視線をくれていたようだが……。
「………………暑い」
「……我慢しろ」
再び戻ってきた要らぬ温もりに眉根を寄せ、溜め息を吐いた。そんな私を労るようにブレザーの上からポンポンと頭を撫でられる。私はわんこか。
すぐ離れるかと思われたその手は、尚も私の頭をブレザー越しに撫で続ける。
「……」
……定期的に訪れるその心地好い重みに、何だか瞼が重くなってきた。この魔法の手は相変わらず私に安心感を与えてくれる。
このまま眠れば至福の時を味わえるだろう__だがそれは駄目だ。こんな場所に長居するわけにはいかないし、気温が高いとはいえずぶ濡れ状態では風邪をひくかもしれない。それに今後の対策を練らねばならない。
……いやしかし、至福の時は魅力的____
「……で、何があった?」
大人しく撫でられながら心の中で格闘していると、頭上から声が降ってきた。睡眠欲に負けそうになっていた私の意識がフワリと浮上する。……あぁ、あのまま眠りの世界へ旅立ちたかった。
「寝るな。風邪をひく」
「……」
全てお見通しなキリュウから注意が飛んでくる。
私はうたた寝を渋々断念することにした。
しかし、「何があった」って……色々ありすぎて何から言えば良いのか。言葉に詰まり再び沈黙が流れる。
そもそも彼に一から説明するという時点で私の意欲は急降下していた。物凄く面倒臭い。こんな時こそ彼の読心術を発揮させて欲しいのだが……珍しく不調なのだろうか。
私は深く息を吐きだした後、仕方無しに口を開いた。
……まぁ取り敢えずアレだ。
「変態に遭遇した」
「……はしょり過ぎだ」
◆ ◆ ◆
やはりその一言では解らないという事で面倒臭いながらも私はクリスタルゲート前でキリュウと離れた後の一連を話した。
キリュウを待つ間、寝ようと転がっていたらド変態が現れた事、恐らくお気に入りに追加されてしまった事、髪と瞳の元の色を知っていた事、チョーカーを盗られてそのまま消えてしまった事等々__あった事を全てだ。説明しただけで精神をごっそりと削がれてしまった……流石はド変態である。
それにしても、あのド変態め……全部全部あいつのせいだ。あいつがチョーカーを取っていったからこんな面倒臭い事態に……次会ったらボロ雑巾並にボロボロにしてくれる。
私は拳を握り締め、怨みを全て元凶であるド変態へと向けた。そして脳内で殴る蹴るを繰り返し、マウントポジションを確保して再び拳をお見舞いしている所でプツっと妄想が途切れる。キリュウがポツリと言葉を零したのだ。
「……あの時か」
顔を向けると眉間に皺を寄せているキリュウが映った。何処か落ち込んでいるように見える。……もしかして責任でも感じているのだろうか?
確かに不可抗力とはいえ彼の策略に嵌った事によってド変態にもバレてしまった。しかしそれは終わった話で、しかも彼は私を護りたいからという動機で暴いたのだ。彼は何も気負う必要はない。
「悪いのはあのド変態だけだよ。キリュウは悪くない」
私がそう言うとキリュウは何故か少し目を見開いた。……何に驚いたのだろうか?
相変わらずよく分からないなと首を傾げているといつもの無表情に戻る彼。そしてその後____フッと口元に笑みを浮かべた。それを目の当たりにした私は一瞬固まる。
____私を見るその瞳がひどく優しい。
「……そうか」
「ううう、うん……、」
足に障害のある金髪少女が初めて立った光景を目撃した元気な山好き少女並に衝撃を受け、盛大に吃ってしまった。
私は思わず彼の顔から視線をずらす。例の如く、直ぐに無表情に戻った彼だが、何だかとてもいたたまれない。手に変な汗までも掻いてきた。何だ、これは。
彼の笑顔らしきものを見たのはこれで二度目だ。以前見た時は希少なものを見た気分でマジマジと見ていたが、今回は何か違う。何だか見てはいけないものを見てしまったような……何とも言えない感じだ。
「そういえば何故『変態』なんだ?」
私が一人よくわからないものに焦っているとキリュウが問い掛けてきた。私は気を取り直して「あぁ、それはね」と前置きして答える。
「被さってきたからだよ」
「……被さる?」
「うん、寝てる時に」
私の言葉に眉間に皺を寄せるキリュウ……ん?言ってなかったっけ?
……あぁ、そう言えば説明の時、思い出したくないが故に『寝てたらいきなり現れた』と説明した気がする。言っていなかっただけで、決して嘘ではない。
そろりと彼の顔に視線を戻すと違和感を覚えた。……雰囲気が何やら不穏なものになってきてはいないか?……何故だ。私は何か彼の気に障る事でも言ってしまったのだろうか。
気になりつつも視線で話の先を促すキリュウに負け、続けて話す私。
「……えーと、その、気配に気付いて目を開けたら目の前、に……っ、――――あ、あとねっ、変態って罵られてアイツ喜ぶんだよ。本格的な変態なんだよ、怖いよねっ」
「………………言葉の受け取り方はそれぞれだからな……賛同は出来んが」
説明の途中、不穏な空気が更に濃くなった所で私は話を変えた。纏う空気は相変わらずだが、これ以上濃くなる事態は阻止出来たようだ。ふぅ。
キリュウの不機嫌スイッチが何か分からない私は冷や汗タラタラである。よく分からないがタチバナさんとはまた違った意味で彼を怒らせてはいけないと警笛がガンガン鳴っているのだ。ここは慎重に話題を選ばねば……。
……あ。
『被さる』で彼に告げ忘れていた事を思い出した。アイツがどれだけ変態なのかを切々と伝える為、私は苦虫を噛み潰したような表情でそれを付け足す。
「あと、アイツにちゅうさ、れ……、」
『ちゅう』の部分で物凄く黒い空気を一瞬で纏わせたキリュウに私の言葉も停止する。
え、ちょ、だから、何故……__
「――――されてないな……?」
地の底から響くような声で質問とは言えない質問を繰り出す彼。答えは『イエス』か『はい』しか受け付けない、みたいな……。
……えっと、目の前にいる奴はキリュウだよね?まるで別人……何だか不良のようでございますよ。
戸惑いながらも必死に何度もカクカクと首を縦に動かす私。実際阻止したので嘘ではないが、こんな質問の仕方ではもしされていたとしても縦に首を振ってしまいそうだ。
というか、何だこの意味不明な二次災害は……被害者の私が何故こんな目に。
これも全てあのド変態のせいだ。
私はより一層怨みを募らせるのであった。