045 焦燥と力技
一人ぽつんと残された森の入り口。
見上げる空は相変わらず雨が降り注ぎ、止む気配を見せない。
「!」
ぼーっと間抜けに見上げていたせいで雨が目に入り、慌てて下を向く。ゴミは入らなかった様だが少し違和感がした。瞬きを何回かして慣らしていると、ハラリとしっとり濡れた黒髪がずれ落ち、視界へと入ってくる。
……黒…………そうだ、今は黒髪だった。
「…………、」
タラリ、と背中に冷たい汗が流れた。
____ヤバイ。タチバナさんとの約束を破ってしまった……どうしよう。キリュウのときは意外にアッサリだったが、今度もそうとは限らない……否、絶対前回のようにはいかないという自信がある。バレた相手が大問題だ。キリュウとド変態では比べるまでもないだろう。
しかし終わった事はどうにもならない。……この際隅にでも置いておこう。考えても仕方ないのだ。
せめてチョーカーを取り返したいが、現在奴が何処にいるのかサッパリ分からない。いや、分かった所でこの姿ではホイホイと容易に動き回る事は出来ないだろう。完全に手詰まり……いやいやいやいや、何とかしないと。
「うーん」と唸りながら解決策を考えていたその時____じゃりっ、と土を踏む音が聞こえた。
背後に誰かがいる。
「――ッ!!」
ド変態の件で十分面倒臭いのにこれ以上面倒臭い事が増えるのは勘弁である。もしも目撃が増えてしまったら……____タチバナさんの黒い笑みが脳裏に浮かんだ。
その恐ろしい光景に一瞬ピシリと身体が固まってしまったが気力で何とか我に帰り、私は森の中へと駆け出す。…………が、森へ入るその直前でガッシリと腕を掴まれてしまった。おい、何故掴む。
少し戸惑っていると私はそのまま引き寄せられてしまった。
____ヤバイ、見られる。
そう思うと同時に私は掴まれていない方の拳を繰り出した。
まだ瞳の色までは見られてはいない。見られる前に逃げるのだ。最悪、キツイ一発を入れて記憶を失くしてしまえば良い。相手にとったらとんだ災難かもしれないが、私は知りもしないあなたより我が身の方が断然可愛い。諦めてくれ。
狙うは相手の顎。当れば脳震盪を起こして立ってはいられなくなるように出来る限り体重を乗せ、下を向いたまま思い切り振り上げた。
「――ッ!!」
パシッと乾いた音が響く。私の拳は掌で止められてしまったようだ。
正直これで決まると思っていた私は少し驚いた。相手は思ったより体術が使えるらしい。
ならば、とまだ残っている足を繰り出す。拘束したままでこれは避けられまい。
身体を捻り、シュッと空気を切る音と共に回し蹴りをお見舞い______するギリギリで止めた。
私は目をパチパチと瞬かせる。
…………何やらこの黒服には見覚えがあるぞ。
「……」
「……」
どちらも動くことなく、そのまま暫しの沈黙が流れた。
このままでは埒が明かない……私は意を決して、恐る恐る顔を上げ、確認をする。
__見上げた先にはやはり見慣れた顔があった。
今は雨でしっとりと濡れているサラサラの黒髪に赤い目を携えた超絶美形悪魔____それは正に私のパートナーであった。いつの間に。
取り合えず上げたままの足をゆっくりと下ろす……うん、物凄く居た堪れないな。
私が自分に気づいた事を認めると彼は溜め息を零して口を開いた。
「……お前は相変わらず手が早いな」
「…………申し訳ない」
……返す言葉もなかった。
◆ ◆ ◆
取り敢えず私の配色がよろしくないので人目の付かない場所へ移る事にした。
ベシャベシャとぬかるんだ森の中へ進んで行く私とキリュウ。雨は相変わらず容赦なく降り注いでいたが二人とも既にずぶ濡れになっていたので気にしても今更だ。急ぐ事もなく歩いて進んで行く。
「わっ」
驚いて思わず足を止める私。
突然私の頭の上に何かが被さり、視界が一気に暗くなったのだ。
何だ何だと手に取ってみるとそこには黒学指定のブレザーさんがあった。見た瞬間私の眉間に皺が寄る。……見たくもないものが突然降ってきたのだから当然だ。
取り合えずコレ、切り刻んじゃって良いだろうか。結構なストレス発散になると思う。
「……被っておけ」
不穏な気配を感じたのか、立ち止まったまま親の仇のようにそれを睨みつける私へキリュウがそう言いながらまた憎きブレザーを被せてきた。切り刻むのはどうやら駄目らしい……まぁこれキリュウのっぽいしね。切り刻むなら他の奴らのものにしよう。我慢だ。
しかしこの暑いのにこんな物を被れとは拷問だろうか……それにもう何処もかしこも雨に濡れてしまっている今、雨を凌いでも意味がないと思う。
不満たらたらな様子でブレザーの下からキリュウを見上げると、淡々とした答えが返ってきた。
「……何処で見られているのか分からん」
「……」
被せたのは雨を凌ぐのではなく色を隠す為だったらしい。
まぁ、確かにそれは必要かもしれない。
漆黒の森では誰も居ないと思っていたのにド変態に覗き見されていたのだ。用心に越した事はない。
……しかしだな。
私はもう一度キリュウを見上げる。ほんとコレ、暑いんだよ。出来るなら被りたくない。せめて違う布が欲しい。この生地は分厚すぎるのだ。
そうやって目で訴える私の思考を読み取ったらしいキリュウはまた一つ溜め息を零した。
「……あとはこれ位しかないが?」
そう言って見せたのはキリュウが今着ている黒シャツ。裾をまくって見せているので臍がチラリズムだ。見える腹には無駄な脂肪がなく、程よく筋肉が付いている……畜生、羨ましい。
思わず黒シャツではなく腹をジーッと見ている私にキリュウが怪訝な視線を遣ってき…………はっ、いかん。これではまた痴女疑惑が……ッ。
私は急いで首をぶんぶんと横に振り、いらないと意思表示をする。いくら暑いからといっても、流石に彼が今着ているものをぶん取ろうとまでは思わない。
「じゃあそれを被っていろ」
「……へい」
私は渋々くそ暑いブレザーを被り、ぬかるんだ道なき道を再び歩き始めるのであった。