003 黒学の生徒についての考察
朝、許される限りの惰眠を貪り、身だしなみもそこそこに私は我が家を後にした。
まだパジャマ姿のタチバナさんから「遅刻しても良いけどすっ転ばないでねー」と背中に注意を受ける。遅刻は良いんスね。
私は一定の速さで足を運んでいく。森を抜け、昇降口を跨ぎ、チャイムと共に教室へ足を踏み入れた。遅刻ギリギリである。タチバナさんの注意を守る為、勿論歩いた。家から学校までの距離と時間の計算は我ながら完璧だ。
私は満足して窓際最後列の自分の席へと着席した。うむ、ベストポジション。
「おはよ。今日もギリギリね」
「おはよ。計算通りなのだよ」
「……そんなことに頭使わないで歴史覚えるとかしたら良いのに」
隣の席からサカキが話しかけてくる。……ってかまだ歴史のテストの赤丸気にしてたのか。本人より気にするってどうよ?
「髪もボサボサだし……いい加減直してから来なさいよ。折角綺麗な髪してるんだから」
ぶつくさ言いながらサカキは櫛を片手に持ち、私の明るい茶髪に触れてせっせと寝癖を直してくれる。いつも寝癖をそのままに登校してくる私に見かねた彼女が直してくれるのだ。これはもはや日課となっている。
スッと通る櫛の感触の心地良さに思わず頬の筋肉が緩む。サカキを振り返りへらりと笑いながら「ありがとー」と礼を述べると彼女は「次は自分で直しなさい」と言ってそっぽを向いてしまった。しかし相変わらず手は優しく髪を梳いてくれているし、頬が少し赤い。今日も良いツンデレ具合である。
私がにやにや笑っているとサカキは誤魔化す様に話題を変えて話しかけてきた。
「早速朝からペア発表らしいわよ。今、黒学の生徒を講堂に詰め込んでる最中らしいわ。さっきイズミ先生が連絡しに来てくれたの。何か珍しく慌てた様子だったけど……やっぱり大変そうね」
「ふーん」
「ふーんてあんた……他人事じゃないのよ? ペア決まっちゃうのよ? 3年間ずっと一緒なんだからね?」
わかってんの? と私に言い寄るサカキ。近い近い、顔が近い。そんな美人顔で迫られると惚れてしまうではないか。勿体無いことに相変わらず彼女の眉間には皺が刻まれているが。いや、私のせいなのだけれどもね。
サカキが先程言った黒学とは『悪魔育成学校』の事である。悪魔育成学校、通称『黒学』。その名の通り悪魔を育成する学校だ。
私達が通っている死学は7年制だ。1年のときに教科書を使った勉学、そして2年になるとそれの他に黒学の生徒とペアを組んでの実習が組み込まれてくる。ペアは2年から4年の3年間、そして5年から7年の3年間で計2回組む。今決めるペアは5年になると組み直される。つまりどんなに気に食わない奴でも1回ペアを組まれてしまうと3年間ずっと行動を共にしなければならない。ちなみにペアはくじ引きで決まるので運に任せるしかないらしい。
何故黒学と共に実習を行うかというと、死神は悪魔が弱らせた人間の魂を狩るのが主流だからだ。世の中の死神は殆ど悪魔とペアを組んでいる。実習はその予行練習といったところだ。勿論悪魔が関与していなくても弱っている魂があれば狩るのだが、明らかに悪魔が弱らせた魂の方が多い。
逆に弱った魂を癒すのが天使だ。彼らは『天使育成学校』、通称『白学』に通っているのだが、何せ性質が正反対な為、黒学のようにこうやって実習することはない。
「全員講堂に向かいなさい」
ガラガラと教室の扉が開き、顔を出したイズミ先生声を掛ける。どうやら準備が整ったようだ。
丁度寝癖も直ったらしくサカキが「出来たわよ」と私の頭をぽんと叩く。寝癖だらけだった私の髪はサカキの手によって気にならない程度に見れるまでのセミロングを取り戻していた。所々重力に逆らっているツワモノもいるがこれは中々直ってくれないので仕方がない。
「ヒイラギ、行こ」
「ういー」
ぞろぞろと移動するクラスメイトに加わり、私達も移動を開始する。移動中ざわざわと話す生徒から期待や不安、緊張など、様々な感情を読み取ることが出来た。おーおー忙しいことで。
「ねぇ、悪魔ってどんな奴ら? 黒い翼バサバサ広げてげへげへ笑ってんの? リンゴが好きなの?」
暇だったので何となく質問。
何気なしに聞いた私のその質問にサカキが噴出した。
「何それ!? どっからそんな話……ってかリンゴって何!? リンゴってあのリンゴよね!?」
リンゴリンゴと連呼するサカキ。もうすぐ私の中でリンゴがゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。そんなにリンゴが気になるか。
この世界の物は何故か基本地球と同じである。私がリンゴと認識しているものはこちらの世界でもあくまでリンゴだった。たまに色が違うものがあるが、あまり困ることは無い。一から覚えなくて済むのは大変助かる。
しかしこの反応を見る限り、どうやら私の考えているものとは違ったらしい。私の中の悪魔像は、黒いノートを持ち歩いているリンゴ好きで小粋な彼なのだが……って、あれ、死神だっけ?
まぁどちらにしろそれを言ったところでどうせ通じやしないので「いや、まぁ色々」と誤魔化す。
実は、私は悪魔というものを見たことがない。今までの5年間、結界が張られた範囲と学校の間しか移動したことがないのだ。学校内でも先輩悪魔と接触するどころか遠目に見ることすらなかった。
「悪魔なんて外出ればそこらへん飛んでるのに出会ったことがないなんて……ある意味凄いわね………………まぁいいわ」
今まで私が何処で何をしていたのか気になったのだろう。一瞬疑問を口にしそうな彼女だったが、今更私の非常識っぷりに突っ込んでも仕方ないと思ったのか、それを問いただすことはなかった。私の扱い方が少しずつ解ってきたようだ。順応能力はそこそこ高い彼女である。
ふぅ、と溜息を一つ吐き出し、サカキは無知な私に懇切丁寧に説明してくれた。いつもすまんね。お礼はお昼のおやつに持ってきた紅茶クッキーを3つほど分けてあげよう。タチバナさんのために焼いたやつの残り物だが、そんなこと言わなければわからない。わかるのは私とタチバナさんだけである。
……おっと、また思考を変な方に飛ばしてしまった。ちゃんと説明聞かなきゃ怒られるので彼女の言葉に耳を傾ける。最初の方は聞いてなかったので途中からだが……まぁ問題ないだろう。大丈夫大丈夫、誤魔化しは得意だ。
「――――で、彼らは皆外見は綺麗よ。美男美女ばかり。人間を騙さなきゃいけないから遺伝子がそうなの。あと揃って髪は黒、瞳は赤と決まっているわ。色は自由に変えられるらしいけどそれが元の色。肌の色は黒が多いけどさっき言ったみたいに白い肌を持っている悪魔もいる……まぁホントに少ないけどね。黒い翼はあるけど消せるの。邪魔だから使うとき以外は消しているみたい」
「ほうほう」
さも今まで聞いてましたよといった風に相槌を打つ。どっかの小説でそんな設定を読んだことがあるような、ないような。そんなことを考えながら彼女の説明を聞く。
「ただし、性格が最悪なの。乱暴者や捻くれ者が多いわ。彼らとそれなりにやっていくにはかなりの精神強化も必要よ」
「わぁ、めんどくさそ」
「えぇ、扱いは難しいと思うわ。私達はこの実習で手綱捌きを磨かなきゃいけないの。私も気が重いったら…………あぁ、でも美形……」
…………。
……どうやらサカキにとって美形という点は性格云々をも見事に弾き飛ばしてしまうほどの最重要事項らしい。美形が正義ですか。美形ならなんでも良いですか。そうですか。
過去に見かけた悪魔でも思い出しているのだろう。彼女はうっとりとした表情を浮かべている。説明を聞いている最中、この子は実習大丈夫だろうかと一瞬考えたが、この分だと彼女は強かにやっていきそうだ。心配するだけ無駄、杞憂に終わりそうなので放っておこう。
◆ ◆ ◆
ごちゃごちゃと話しているうちにいつの間にか講堂前に到着していた。2年生全員が集結しているので凄い人数、まるでちょっとしたライブ待ち状態である。人ごみの上からちらりと見える扉は閉まっているのでまだ入室はできないらしい。いつまで待たなければいけないのだろうかとげんなりつつ扉を眺めていたら、前方からイズミ先生のよく通る声が響いた。
「扉を開くので順に入って着席して下さい。席は開いているところなら何処でも良いです。……決して惑わされないように」
何だろう……最後の一言にやたら力が入ってたような。
一人首を傾げているうちに両開きの大きくて頑丈そうな扉が押し開いた。