034 磐石のもふもふ至上主義
手の中にすっぽり収まっているヒヨコさんを撫で繰り回しながら私はキリュウを仰ぎ見た。
実習はペアで行うものであって単独なものではない。私が最下位…………つまりそれはキリュウも最下位という事を表す。
聞くところによると彼は首席様らしい。しかも次席にすら落ちた事がないという。万年最下位な私とは正反対で、彼は万年首席のタイトル保持者なのだ。
そんな彼は現在私とペアを組んだばかりに実習で毎回ドベの常連になってしまっている。実習の成績は筆記や実技とは違い、定期にテストがあるわけではない。一つ一つ授業そのものがまるっと反映されるのだ。実習が終わる度、順位の書かれた紙が張り出されている。勿論毎度最下位の欄には私の名前が居座っている……ついでにキリュウの名前も。その事で黒学の生徒達からのやっかみが増えつつあるので鬱陶しくて仕方がない。まぁ彼らが実行する嫌がらせは今の所小学生レベルのものなので、慣れつつある現在は鬱陶しさ半分微笑ましくすらある。……あれ?私、毒されていやしないか?
そんな面倒臭い事になっている現状なのだが、それでも私はEランクの魂を狩れる気がしない。この調子では彼の首席は間違いなく引きずり下ろされるだろう。粉う事なき道連れである。
私は別に狩らない事自体は悪いとは思っていない。寧ろ良い事だと思っている。
しかしキリュウはそのことについてどのように思っているのだろうか。今回もそうなのだが彼は毎回狩魂をしようとしない私に狩らないかどうかという事は尋ねて来るが、文句を言った事は一度としてない。自分でやっておいてなんだが本当に良いのだろうか。
そんな事を考えながらキリュウをジーッと見ていると、不意に彼がこちらを向いた。そして幾許か見つめ返された後、彼は呆れたように口を開く。
「…………何を考えているか知らんが、俺は成績などどうでも良い」
いや、知ってるだろ。
相変わらず見事な読心術っぷりである。
そのことに突っ込んでも今更なので、私は「そっか」と一言だけ返して手の中の毛玉を愛でる事に専念した。うつらうつらと船を漕ぎ始めるヒヨコさん。見ているとなんだかこちらまで眠くなって来る。今日も今日とて欠伸が出る程平和だ。
このような平穏な日々を過ごしているが、以前、キリュウは私が狙われると言った。一応最初は警戒をしていたのだが、あの日から何事もなく今日に至る。最近では警戒するのも阿呆らしくなってきて警戒の「け」の字も見せない私に呆れ気味なキリュウである。何せこんなに平和なのだ。こうやってもふもふとも戯れられるし。危なくなったら彼が何とかしてくれるだろうと他力本願さえ出て来る始末だ。
__あと、恐れていたタチバナさんへのご報告だが、意外にあっさりと事が済んだ。
漆黒の森へ飛ばされたあの日、キリュウの空間魔法を使って死学へと戻ろうとしたら、何処からともなくいきなりタチバナさんが現れた。気配なんて微塵も感じられず、彼女に声を掛けられるまで気がつかなかったのだ。あれは本当にビビった。心臓に氷をぶち込まれたような感覚……生きた心地がしなかった。13日の金曜日でもないのに振り向いたら背後にジェイソンがいた、と想像してもらいたい。
固まる私に始終ニコニコしているタチバナさんは最強に怖い。「ヒイラギー、バラしちゃったねー?」と軽い調子で言われているのに、それが私には死刑宣告にしか聞こえなかった。それと同時に深まったタチバナさんの笑みは形容し難い。…………敢えて言うならどす黒かった。それを間近で見てしまった私は明日の朝日は拝めないかもしれないと本気で覚悟をした。絶対に容赦なく攻撃魔法をぶっ放されるか、得物で攻撃されると思ったのだ。
しかし、それは杞憂であった。入学前、あれだけバラすなと脅し混じりで忠告していたタチバナさんは何故かそこまで怒っていなかったのである。
攻撃される所か、彼女はよしよしと私の頭を撫でるだけであった。その後キリュウと二、三言葉を交わし、「じゃあ、先に帰ってるー。今日は肉じゃがー」と台詞を残して呆気なく帰って行った。何故かご機嫌だったタチバナさんに対し、キリュウは微妙な表情だったのだが……理由はよく分からない。
まぁ何はともあれタチバナさんの不興を買うことがなかったので、心底安堵をした私である。
「……あ、寝た」
いつの間にか手の平の毛玉がスヤスヤと寝始めた事に気がつき、ニマニマとする私。ヤバイかぁいい。やはりもふもふは最高である。癒しの塊である彼女はマイナスイオンをどれだけ発生させているのだろうか。
「……それをどうするつもりだ」
私が締まりのない顔でヒヨコさんを眺めていたら上からキリュウがそう尋ねてきた。
「うーん」と首を傾げて考える。確かに助けたは良いがこの後の事を考えていなかった。連れて帰る訳にはいかないし、今までみたいに治した後、そのまま放っておくという事も出来ない。今までのターゲットは成獣のもふもふばかりだったのだ。しかし今回は幼いヒヨコさん。このまま野生に返してもまた同じ事が起きるだけである。
……となれば選択肢は一つしかない。
「親を探す」
「……」
断言した私にキリュウは一瞬呆れた視線を寄越したが、何を言っても私が意見を曲げないと思ったのだろう。仕方ないなとばかりに小さな溜め息が背後から聞こえた。
流石はパートナー。よく分かっておられる。
私が「ありがとう」と礼を言うと「あぁ」といつも通りの返事が返ってきた。キリュウの了解を得ることが出来たようである。
ポケットに入れていた時計を見ると残り時間は3時間と少し。もう少しダラダラと休めるだろう。
空を見上げると大分太陽モドキが移動していた。現在私達は木陰にいるのだが、日が当たる方向が変わり、影が小さくなってしまっている。最早暴力レベルとなっている日差し……これをヒヨコさんに浴びせる訳にはいかない。暑さが苦手な私だって浴びたくはない。後ろの黒尽くめさんは一人涼しい顔をしているのだろうけれども。……畜生、羨ましいな。
辺りを見渡せば少し離れた場所に大きな木が立っていた。枝も良い感じで広範囲に広がり、影も十分にある。
「あっち行こ」
言うが早いか私は木陰を求めて歩き出した。