025 万年最下位対合成獣
本日もどうぞ宜しくお願い致します。
けたたましい咆哮が響く。
空気をビリビリと大きく震わせるその振動は肌にまで感じられる程。まるで打ち上げ花火のようだ。
奴の真正面にいた私は鼓膜の直撃を避けるため、咄嗟に手で耳を覆った。支えを失った鎌がドサリと柔らかい草の上に落ちる。塞いでも十分に響いてくる咆哮。直に喰らえば鼓膜が逝ってしまうかもしれない。……ちょっと気合い入れすぎではなかろうか。
私はもう一度そいつを見た。基本は獅子だが山羊の角と龍のような翼が生え、後ろ足は蹄になっている。獅子と山羊と龍…………多分キマイラだろう。神話のキマイラと言えば獅子の頭に山羊の胴体、そして龍だか蛇だかの尻尾が特徴だった気がする。少々それとはずれているがこれは多分キマイラで間違いない。何せこちらのバナナはオレンジ色をしているなど、微妙に地球のそれらとはずれている所がある。基本は同じなのに不思議なものだ。味噌に醤油、そして米だってあるというのに。私は日本人の食料における三種の神器といっても過言ではないそれらがこの世界に存在することを知った時、咽び泣いて万歳三唱をした。以前読んだ小説やらなんやらでは異世界では決まってそれらが無いか、又は自力で一生懸命探している主人公が描かれていた。期待していなかったものが此処には最初から文化としてあったのだ。これは喜ばずにはいられない。私が人生で初めて神を信じた瞬間であった。神様、実は素敵な奴だった。良い仕事しやがってこの野郎。感謝してやる。…………あ、また思考が逸れてしまった。
私はもう一度キマイラを見上げる。……あれ、キマイラってこんなにデカかっただろうか?見ただけでも10mは裕にある。
「デカイね」
「あぁ」
同じく見上げるキリュウは少し苦い顔だ。多分このキマイラは通常よりデカイのだろう。
しかしこのキマイラカッコイイなーとか考えつつぼーっと眺めていたらパチリと目が合った。敵と認識したのか唸り声を上げて睨み付けてくる。
睨まれたので私も負けじと睨み返す。ムムムとしたその表情は睨むというより不機嫌面になっているだろう。いきなり降り立ったりしてうさぎさんが踏み潰されたらどうしてくれるんだという念を込めているからだ。……ハッ!うさぎさん!
素早く視線を走らせると斜め後方で耳を完全に垂れさせ、プルプルと体を震わせているうさぎさんがいた。へっぴり腰になっている。どうやら腰が抜けて逃げられなくなってしまったようだ。やべぇ、かぁいい。
「――ぉわッ!」
ズダンッと地面に減り込まんばかりの力を込めてキマイラがネコパンチならぬキマイラパンチをかましてきた。うさぎさんのあまりの可愛さに気を取られていた私は反応が遅れ、すんでのところで横に跳びそれを回避する。いくら寿命が延びて魔法が使えるようになったからといっても身体が鋼のように頑丈になった訳ではない。身体自体は以前のままだ。アレを生身で喰らっていたら骨が折れるどころかミンチになっていたに違いない。……危ない危ない。
「……妙だな」
私が安堵していると難しい顔をしてキリュウがポツリと言った。疑問符を浮かべながら彼を見ると続けて説明してくれた。
「キマイラは知能を持った大人しい魔物だ。通常突然襲い掛かって来ることはないはず……」
「え?でも現に攻撃されてない?」
しかも私単品で。何故か私単品で。
現在進行形で私だけを睨み、グルグルと唸り声を上げているキマイラを見上げる。何だ何だ?私は何か機嫌を損ねることでもしたか?それともこれがキマイラ流のじゃれ方なのか?随分アグレッシブというかこっちは命がかかったものではあるが。……マタタビでも付いているのだろうか?思わず自分の身体を見回すが普段と何ら変わらない。
「……とにかく気を付けろ。さっきの犬とは格が違う」
「了解」
注意を促すキリュウの言葉に了解と言ったは良いが……どうするかな。チラリとまたうさぎさんに目を遣るが相変わらず動けないままのようだ。あんな所にいては危ない。そのうち踏み潰されてしまう。
私は地面を蹴ってうさぎさんの所まで走り、素早く拾い上げた。
「ごめんね。頑張って逃げてね」
私はうさぎさんにそう言うや否や振りかぶってぽーんと彼女を思い切り放り投げた。そういえばアリエルを助けたときも投げたなと思いながら綺麗な放物線を描く黒い毛玉を見送る。うさぎさんは猫ではないので着地は難しいかもしれないが辺りにはフワフワの草が覆い繁っている。クッションの役割をして優しくうさぎさんを受け止めてくれるだろう。
キマイラに向き直るとまたキマイラパンチを仕掛けてきていたので横に跳んで避ける。避ける際、地面に転がっている鎌が目に留まった。アレを回収しなければどうしようもない。
私は着地と同時に鎌に向かって走り出した。無事に辿り着き拾い上げると既に目の前まで迫ってきているキマイラの前足が視界一杯に広がる____読まれていた……ッ!
「……ッ!」
拾った鎌に風属性の魔力を込めてこれを受ける。鎌に纏わせた風魔法で押し返すようにしているのだが僅かながらにもズルズルと押し負ける私。……この風魔法、2tトラックくらいなら余裕で遠くまで吹き飛ばせるというのに。とんだ馬鹿力である。
因みにこれが私の魔力の限界だ。私は戦闘では風魔法以外使えたもんじゃない。火はチャッカマン程度、水はバケツをひっくり返した程度、雷は特に酷く静電気程度なのだ。その上、不安定で今こそ鎌の付加スキルで安定させてくれてここまで風魔法が使えるが、鎌無しだと扇風機の強程度しか風を起こせない。他の属性においては不発という有様だ。何とも情けない。
キマイラはこのままでは無理と判断したのかもう一方の前足を振り上げた。ちょっと待て。ヤバい、これはヤバい。
喰らうわけにはいかないので私は受け止めていた前足を鎌を傾けて流し、その場を離れる。直後ズダァンッと響く轟音……キマイラが脚を退けると地面にクレーターが出来ていた。
……。
…………うん、帰ろう。
イズミ先生も無理はするなと言っていたことだし、この魔物、絶対2年生レベルが戦える相手じゃないと思う。
そう判断した私はポケットに手を突っ込む。目当ては勿論、通行手形だ。今使わずしていつ使うというのか。いや、実習終了時に使って帰れば良いのだがこのままコイツの相手をして無傷で帰れるとは思えない。寧ろ帰れるかどうかも怪しいものだ。
「キリュウ」
「何だ?」
「帰っても良いよね?」
「……そうだな。これは7年生でもキツイ」
すぐ後ろにいたキリュウに問うと予想以上の返答が帰ってきた。
そうだったのか。強いわけだ。
誤作動とはいえこんなものがいる所へ飛ばしてくれるとは……うっかりでは済まされない。
さあ、さっさと破って帰ってしまおう。そして先生に文句を言うのだ。
私は通行手形を求めてポケットに突っ込んでいた手をまさぐる。
……。
…………。
「……キリュウ」
私は至極ゆっくり後ろを振り返りながらキリュウの名前を呼ぶ。彼は何だといったように黙ってこっちを見遣り、そのまま次の私の言葉を待っている。
私は引き攣った笑顔で口を開いた。
「……通行手形がない」
彼の眉がピクリと上がった。
……ま、誠に、かたじけなひ。
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