019 眠りへ誘う魔法の手
本日もどうぞ宜しくお願い致します。
夢遊病説がほぼ白に染まり、安心した私は机にだらりと伸びた。一気に眠気が私を襲い、瞼が鉛のように重くなる。そういや昨日は寝られなかったのだった。
私はそれに逆らう事もせず目を閉じた。もう寝言とかどうでも良い。どうせどうでもいい事を喋ったのだろう。そんな事より今は睡眠を取る方が大事なのである。
私の大好きなまどろみの時間。うとうととその幸せな時間を堪能していた。
……うん、やっぱり良いね。寝られるって幸福な事だ。
「うぐ……っ」
幸せを堪能していた私は突如盛大に眉間に皺を寄せる。……誰だ。私の憩いの時間を邪魔しやがったのは。
吐き気と頭痛。原因はあの憎きフェロモンである。
私のこの幸せな時間を邪魔するなんて絶対ただでは済まさない。
私はその愚か者の顔を脳内に刻み込む為、顔を上げようとした。
しかし不意に頭にかかってきた心地良い重みにそれは叶わなかった。
「寝てろ」
隣から聞こえるキリュウの声。何処か安心するその声に逆らわず、私は身体の力を抜いた。吐き気と頭痛はもうない。あの魔法の手が毒抜きしてくれたのだ。
残ったのは眠気と心地好い重みだけだ。最初はぽんと乗っかっていただけのそれは今では何故か頭をゆっくり撫でている。……何これ、ヤバイ、気持ちいい。
先程まで私の中を蠢いていた殺意は跡形もなく消え去った。代わりに訪れる強烈な眠気。
私はその手に誘われるように素直に意識を手放した。
黒学の生徒と教師が驚愕の表情でこちらを見ていたのだが眠っている私は知るはずもなく、ただゆらゆらと揺れるような心地良い波にのまれていた。
「――そろそろ起きろ」
「……んぁ?」
間抜けな声を発しながら私は眠りから覚めた。顔を上げると超絶美形の顔が視界に入る。……寝起き様にこの顔は駄目だ。眩しくて目がちかちかする。
私は目をしぱたかせながら口元に手をやった。……よし、今回は垂れてない。
セーフセーフと安堵しているとやけに静かな周りに気が付く。不思議に思い見回してみるとそこはもぬけの殻となっていた。広い講堂内に寂しくポツンと二人だけ座っている私とキリュウ……何故?皆は?というか今何時だ?
部屋の中央に鎖に繋がれ垂れ下がっている大きな水晶玉を見る。時計である。この時計はどの角度から見てもちゃんと針が見えるスグレモノだ。構造はよく分からないが恐らく魔法が施されているのだろう。魔法って本当に便利。
因みに時間軸、季節なども不思議なことに日本と同じ。こちらとしては大変助かる。太陽らしきものも月らしきものもちゃんとあるのだ。此処も太陽系と同じ様な構成をしているのかもしれない。全く違うところといえば西から上って東へ沈むということだけだ。某アニメソングと同じである。自転が逆なのだろうか?
そんなことを考えながらぼーっと時計を見ると針は12時40分を指していた。12時40分…………12時?
「……昼?」
「あぁ」
私が思わず呟いた言葉にキリュウが肯定の言葉を零す。マジか。昼か。寝始めたのが9時頃だったから3時間半ほど私は眠っていたことになる。ちょいと寝過ぎたかもしれない。
此処に誰も居ないのは昼食を食べに行ったからであろう。
「……実習」
眠っていたので何も聞いていないし何もしていない。もしかして寝ている間に終わってしまったのだろうか。
「……13時からだ。5分前に第二塔校門前に集合」
まぁ良いかと思っていたらキリュウが隣から淡々と答えてくれた。……何だ終わっていなかったのか。面倒臭い。
この講堂に現在私以外で唯一いるキリュウに目を遣る。彼は私が起きるまでずっと待っていてくれていたのだろうか?別に放っておいても良かったのに。
そこでふと頭に思い浮かぶ朝聞いたサカキの言葉。
パートナーだから?別行動は良くないと?……ペアってホントに面倒臭いものだと思う。
まぁ何にせよ私はまた彼に迷惑をかけてしまったようだ。
「ごめん、キリュウ。迷惑かけた。……あ、ご飯食べた?」
「……いや、俺はいらない」
「何で?」
思わず首を傾げて尋ねる。
昼食を抜くとは不健康な。健康の為にも出来る限り三食きちんと取るべきだ。
まさかキリュウが色白なのは不健康だからなのか?……それはないか。
……。
……昼ご飯をケチらなければならないくらい貧乏だとか?
「……悪魔は基本的に食事を取らなくても大丈夫だ」
私の考えていることが分かるのだろうか。キリュウは若干怪訝な表情でそう言った。
思わず読心術のスキルがあるのではないかと疑ってしまう。
「……言っておくが心は読めんぞ」
…………いや、あるだろ。読心術スキル、バッチリあるだろ。
私が疑いの眼差しをキリュウに注いでいると彼は小さく溜息をついた。
「そんなことより昼食はいいのか?」
「あ」
時間を見ると12時45分。ヤバイ。
実習先に持って行くという手も考えたが荷物が増えてしまう。というか流石に没収されるだろう。皆手ぶらな中私だけが荷物持ちとか目立ち過ぎるし。実習には手ぶらで行くことがルールなのだ。
下りであれば教室まで走って2分ほどだが食事時間は5分と少ししかない。いや、待てよ。全力疾走した直後にご飯とかキツ過ぎる。休憩を入れれば実際5分もないだろう。……くそう、もっと味わって食べたかった。
いやいやいや、悔しがっている場合ではない。こうしている間にも時は無情にも一刻一刻と過ぎているのだ。急がねば。
「ごめんキリュウ、先に行くよ」
「待て」
走り出そうとした私の腕を掴み引き止めるキリュウ。頼む、用なら後にしてくれ。私をタチバナさんお手製弁当が待っている。
懇願の意を込めて彼を見上げても一向に離してくれる素振りはない。何だ何だ。私の昼飯の邪魔をするとか、いくら恩があれども許さんぞ。……ここはやはり拳で語るべきだろうか。
「弁当か?」
この緊急事態にどうでも良い質問ありがとう。
私は早く行かないといけない。昼抜きとか考えられない。捕まれた腕を早く放せとばかりにガン見しながら頷く。
「何処にある」
……だからさっきから何だというのだ。
早く行きたいのに何故か足止めを喰らい思わず眉間に皺が寄る。本当に時間がない。
「机の横に引っ掛けてある鞄の中だよ。だから早く――」
放せ。
後に続く言葉は口から飛び出す事はなかった。ついでに握りしめた拳も。
目の前には見慣れた箱。そう、私のお弁当箱だ。それがいつの間にかキリュウの手にちょこんと乗っかっていた。え、何これ?凄くないですか?
「コレか?」
ポカーンと口を開けて間抜け面を晒している私に向かってキリュウが尋ねてきた。私は突然現れた弁当箱を凝視しながら何度もコクコクと頷く。
「時間がないんじゃないのか?」
ハッ。そうだった。
不思議がるのは後から幾らでも出来る。現在の私の中での最優先事項は弁当を空にすることだ。
私はキリュウから弁当箱を受け取り、礼を言ってからご飯を胃に詰め込む作業に取り掛かった。
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