012 個人的な忍耐修行
本日もどうぞ宜しくお願い致します。
「……サカキ、私は夢遊病者で徘徊者かもしれない」
「今日は珍しく早く来たと思ったら何よ突然……ってか、恐ろしく暗いわね」
朝登校して、いの一番に私の口から出たのがその台詞だった。自分でも物凄く暗い顔をしているのがわかる。だって怖いではないか。
今日は登校時間の計算どころではなかった、というか寝ると自分が何か仕出かすのではないかと一睡も出来なかったのだ。
クマを付属させた死んだ魚のような眼で時計をチラリと見ると始業15分前を針が指していた。普段では有り得ないことである。
「まさか昨日私が言った事を気にしてるの?あれ冗談だからね?」
「…………冗談……」
彼女は冗談でこんな爆弾を落としてくれたというのか。
ごめんごめんと彼女は謝りながら今日も櫛を片手に私の寝癖を直してくれる。だが今更彼女が否定してもさして意味はない。彼女の知らない場所で発動している可能性も否めないのである。唯一私の夜中の様子を知るタチバナさんが否定してくれない限り私の夢遊病、徘徊説はバッチリ有効なのだ。タチバナさんは肯定をしてはいないが否定もしてはいない。まだどちらが正しいのかわからないのである。
私は席に着き、机に突っ伏した。
「それより今日は早速実習じゃない。ヒイラギはペア発表のときいなかったけどちゃんと誰と組むか聞いた?」
「……聞いてないよ。ペアとか、ほんとどうでもいいし」
それより昨日から発生している問題の真実が知りたい。
因みに昨日私を苦しませたフェロモン酔いの問題は既に解決済みだ。拳で説得、つまり殴って脅してフェロモンなど出させなければ良い。只それだけだ。
男だろうが女だろうがそれは変わらない。私は男女差別などしない主義なのである。
いくら言葉が伝わらない奴だとしても拳は世界を越えても共通語なハズ。そう私は信じている。余計な言葉は要らない。全ては拳が語ってくれる。
「どうでもいいって……3年間一緒なのよ?代えられないのよ?」
ため息混じりで尚サカキが私に問いかけてくる。寝癖を直し終えたのかサカキは私の背後から隣にある彼女の席へと腰を下ろした。それを名残惜しく見送りながら先程の彼女の言葉を思い出す。
3年間か……確かに長い。どうでも良いといっても不快な奴とは流石に勘弁である。出来れば少し脅した程度で従ってくれる小心者が良いのだが……。
私の頭をふとよぎる昨日の不快な出来事、滴る赤い液体。無意識に苦虫を噛み潰したような顔になった。……アイツは絶対嫌だな。
「……んじゃ鼻血垂れ以外なら誰でも良い」
「誰よそれ」
首を傾げるサカキ。あれだけ派手にやったというのに、やはり彼女は気付いていなかったのか。
悪魔のフェロモンが凄いのか、はたまたサカキの周りが見えなくなるほど美形に夢中になれることが凄いのか。
私が講堂を出たときの状態のままだったならばサカキの隣で間抜けに鼻血を垂らして転がっていたはずなのだが、流石に移動したのだろか。思い出すだけでも腹立たしい、あの性格、あの声、あの顔……顔…………?
「…………黒髪に赤目の男」
「……ねぇ、それってわざと言ってるの?」
確かにそれではただ単に黒学の男子生徒と言っているようなものだ。
しかし、私の中であいつの顔など最早へのへのもべじ程度にしか記憶に残っていない。『べ』の半濁点部分は言わずもがな、鼻血である。
覚えていないものをどう説明しろと。
「あれ?イズミ先生」
まだ始業ベルが鳴る前だというのにイズミ先生が教室に入ってきたらしい。サカキが思わず呟く。
私は未だ机に突っ伏したままなので聞こえてくる声に耳を傾ける。
「皆さんいますか?ヒイラギは……いますね。じゃあ大丈夫ね」
いつもベルと共にピッタリと教室に入ってくる私がいるから大丈夫、皆いるだろう。言外にそう言っている言葉をイズミ先生が零す。
我がクラスの生徒達は実に真面目だ。皆、始業開始20分前には教室にいると以前サカキから聞いたことがある。対して私は本当にギリギリで到着するという事は周知の事実だ。
軽く皮肉を言われたような気がしないでもないが、スバリ当たっているので私に異論はない。
「これからペアと合流して一緒に講堂に向かってもらいます。移動してからだと時間がかかるので……とりあえず皆さん着席してください。着席したら入ってもらいます」
イズミ先生の言葉に従いガタガタと着席するクラスメイト達。黒学の生徒と聞いてか、そこかしこでヒソヒソと話し声がし、浮足立っているのがわかる。
当然サカキも例外ではない。何やら纏う雰囲気がお花畑だ。ルンルンランランしている。……見なくとも分かるとか……ちょっと浮かれ過ぎではなかろうか。
「ねぇねぇ、黒学の生徒が直接ここに来るって……!」
「……っ!!」
突然背中にジンジンと痛みが駆け巡り悶絶する私。
嬉しいのは結構なのだが私の背中をその怪力でバシバシと容赦なく叩くのは止めて欲しい。絶対背中が赤くなっていることだろう。
……後で覚えていやがれ、サカキ。
「……では入ってもらいます……くれぐれも惑わされないように」
どうやってサカキに仕返ししてやろうかと思考を巡らせていると、皆が着席したのを確認したイズミ先生がそう告げた。『くれぐれも』という部分がかなり強調されていたが……まぁ昨日の様子ではそうもなるだろう。イズミ先生の言葉が耳に入らなかったのか忠告を受けても生徒達は騒いでいる。
これはマズいんじゃなかろうか。
そう思ったときには前方からどす黒いオーラを感じた。空気がピリピリと張り詰めて肌を刺激する。……伏せていて良かった。彼女が今どんな表情をしているのか…………おぉ、想像しただけでも悪寒が。美人が凄むと迫力がハンパないというのは本当なのだ。
流石にイズミ先生の無言の圧力に気づき、慌てて黙り込む生徒達。その様子を見てイズミ先生は深い溜息をついた。それと同時に張り詰めていた空気が消える。……どうやらギリギリでお咎めは免れたようだ。
しんと静まった教室にガラガラと扉を開ける音が響いた。
「う……っ」
気持ち悪い。昨日と同じく吐き気が一気に込み上げ、慌てて鼻と口を両手で押さえる。
奴らはまたもや大量のフェロモンを撒き散らしているようだ。扉が開いた途端、フェロモンが一気に教室へと流れ込んだらしく私は一瞬にして気持ち悪くなってしまった。
油断していた私も悪いのだが、先ずはお前ら害あるものを撒き散らすなと声を大にして言いたい。こんなもの公害でしかないというのに。
拳で説得すれば良いとはいえ、それは一対一の場合である。それに今はイズミ先生が近くにいる。昨日は見逃してくれたが今日も見逃してくれるという保証はない。全員を殴るわけにもいかない。
考えた結界、私は伏せたまま耐え抜くことを選択した。この鬱憤は後で晴らすことにする。勿論、今から来るだろうペアに、だ。 肋骨3本くらいなら許されるだろうか?いや、許さなくてもやるけど。3本折れてもまだ半分以上残っているし、うん、大丈夫、問題ない。
ああでもないこうでもないと憂さ晴らしの方法、基、ペアをボコる方法を考えて気を紛らわしながら私はじっと時が過ぎるのを待った。
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