010 止むを得ない食事事情
本日もどうぞ宜しくお願い致します。
午後の授業が始まり、講師が教壇で熱弁を振るっている。科目は数学、ひょろりと背丈が長く、少し長めな灰色の髪を携え、やはりというかお約束というか眼鏡を掛けた色白男性教師、イヌイ先生だ。
彼の見た目はもやしの様で、なよなよしてそうだなというイメージを持たれがちだが実際の中身は真逆だ。困っている生徒を見つけると助けずにはいられない、情熱溢れるちょい悪な熱血教師なのである。
特別顔がかっこいいわけではないが不細工でもない。そんな彼は密かに生徒の人気を集めている。
「……で、ヒイラギはずっと保健室にいたのね?」
「ん、ほほんほへへはへほ……むぐむぐ…………んぉお、このグラタン美味ス……っ!」
「……何言ってるのかさっぱりよ」
「『殆ど寝てたけど』……むぐむぐ……んー、ひははへー」
「……」
イヌイ先生の熱弁をBGMに私とサカキは講堂から教室に帰ってくるまでの一連の経緯のことで話をしていた。サカキはヒソヒソと小声で話し掛けて来るが、私は普通に喋る。更に言うと、教科書の代わりにお弁当広げてルンルンとお食事タイムを満喫中である。因みに私が先程最後に喋った言葉は「んー、幸せー」だ。腹減り後の食事は五臓六腑に染み渡る。
食べながら喋る私へ、隣の席から「ちゃんと口の中の物がなくなってから話しなさいよ」というサカキの注意が飛んで来る。
この台詞だけを聞くと正論だ。サカキが正しいように思える。……だがしかし、よく考えてみて欲しい。私は今、食事の真っ最中である。食事中に話し掛けてこなければ良いのだ。食べ終わるまで待ち切れなくて話し掛けてきているのはサカキの方なのである。ましてや食べるのが今になってしまった原因はサカキが邪魔して昼休み中に食べられなかったからであって断じて私のせいではない。
私はこの美味スなグラタンを口に運ぶのに忙しい。取り込み中なのだ。話はこのタチバナさん特製弁当を平らげてからにして欲しい。
私の目の前には神々しく佇む弁当の中身は洋風な料理で制作された愛らしい動物達がずらりと並んでいる。所謂キャラ弁である。以前、キャラ弁の話をしたらタチバナさんがハマってしまってここ最近私の弁当はファンシーなものとなっている。
私はウズラの卵で創作された愛らしいヒヨコさんを摘む。わざわざ黄身と白身が反転させてあるのでちゃんと黄色いヒヨコさん…………タチバナさん、朝からどんだけ手の込んだ事を……。
タチバナさんのこだわりを感じつつそれを口の中へ運び、咀嚼した。何やら食べるのが勿体な…………うまひ。
思わず表情筋も緩む。
私は、今幸せの真っ只中だ。
「……っとと」
机の前に立て掛けてある本がよろよろと倒れそうになり、慌てて片手で支える。
私の食事タイムを邪魔させないよう壁の役目を果たしてくれているのは『死神大全』。入学時にもれなく生徒全員に配られる本だ。
死神の心得など死神視点で書かれた倫理的な内容が長々と600ページほどに渡って綴ってあるらしい。
私は今日初めて開いた。ロッカーの奥底に放置したままだった彼は、とにかく嵩張るので邪魔だしいい加減捨てようかと思っていた。しかし、本日彼を見つけた私によってこの壁という役職に大抜擢。現在進行形で懸命に与えられた任務を遂行してくれている。
分厚く程々にデカイ彼は壁に持ってこいだと思ったのだが、実際使ってみるとそうでもないらしい。自身が重すぎて少々安定性に欠けている。ズルズルと少しずつずり落ちていくのだ。期待ハズレである。……やはり即刻解雇処分を言い渡すべきであろうか。
「……ヒイラギ、今更だけどその本って何か意味あるの?」
「うーん、支えるの面倒になってきたし食べ辛い。あんま意味ないかも」
「……いや、そうじゃなくて、そもそもそれ自体が逆に悪目立ちしてるって言ってんのよ。イヌイ先生さっきから青筋立ててあんたをガン見してるわよ?」
「ん?あー、知ってる」
「知ってるじゃないわよ」
数学の授業に全く関係のないそれを片手で支える私にサカキが問い掛ける。
私は別にこんなもので弁当を食べているということ自体を隠し通せるとは思っていない。この壁は弁当を隠すものではなく、イヌイ先生の視線を遮るためのものなのである。見られながらは食べ辛く、美味い弁当も心なしか味が落ちてしまう。せっかく美味いのだから美味く食べたい。
……そう思って立て掛けたのだが、現段階でイヌイ先生の火傷しそうな熱い視線よりズルズルとだらし無く崩れ落ちては情けなくも私に支えられるこいつの方が気になってきた。
「……私、知らないからね?」
「んー……むぐむぐ」
「……」
「むぐむぐ」
「…………話戻すけど、ヒイラギを見つけられなかったっていうのはおかしな話だわ。何も覚えてないの?」
気のない返事を寄越す私にこれ以上何をいっても無駄だと感じたのか、話を戻すことに決めたようだ。やはり彼女は私の扱いを少しだけ心得ている。
因みにあの『抱き枕事件』の件はごっそり抜いて一連を話してある。話したら物凄く煩そうだ。しつこく聞かれて絶対面倒なことになる。彼女には保健室に行ったら黒学の生徒が一人いたとだけ説明してある…………断じて嘘は言っていない。
「うーん、私は寝てたから……むぐむぐ、はんほほひへはひ」
「……」
「……『何とも言えない』」
何言ってんのか分からないのよと言いた気な視線を受け、飲み下してから言い直す。……何度でも言うが、食事中に話しかけてくるサカキが悪いと思う。
「……夢遊病とかあるんじゃないの?」
「……ない」
……多分。
何せ意識がないときの自分の行動など自分自身では確認の仕様がない。だが今までそんなこと誰にも言われたことがないので私はそうではないのだろう。多分、絶対。
「……ヒイラギッ!!」
「ふぁい」
「これの答え!!」
突然サカキではない低い声が私の名前を怒鳴るように呼んだ。
少し前から解雇処分が下された彼を閉じて床に置き、既に堂々と弁当を頬張っている私へ、遂にイヌイ先生が質題という名の注意を仕掛けてきたのだ。
彼の後ろに幻影の般若が浮かんでいるのが見える。相当ご立腹な模様である。
「ちょっ、どうするのよっ」
……何故サカキが慌てるのだろうか。よくわからん娘だ。
どれどれと前の黒板を見てみると途中式を書くだけでも面倒臭そうな式が長々と連なっていた。……陰険先生と呼んでやろうか。
私はそれを眺め、鮭のムニエルを咀嚼しながらうーんと首を捻り、嚥下してから口を開いた。
「多分、1」
「多分って何よ」
答えた私にイヌイ先生ではなくサカキが素早く突っ込んで来る。
何って、多分は多分だ。
苛立たしそうにこちらを睨み付け、組んでいる腕を指でかつかつさせていたイヌイ先生の指が止まる。
私を除くクラスメイト全員が息を呑み、しばしの沈黙が流れた。
「……さっさと食え」
「ありがとうございまふ……むぐむぐ」
「…………うそ……」
チッと舌打ちをしてまた熱弁を始めるイヌイ先生。もうあの火傷しそうな光線を放って来る事はない。
どうやら許可が下されたようだ。私は礼を言って食事に戻る。
「……どうして分かったの?」
サカキが驚いたような、不思議そうな顔をして聞いてくる。同じ疑問を抱いているのか、他のクラスメイトもサカキと同じような表情をしてこちらを向いている。
テストの学年順位で毎度最下位を独占キープしている私が先程質題された難題の正解を答えられたのだ。不思議でたまらないのだろう。
「むぐむぐ……んー、勘?」
「何で疑問形なのよ……」
脱力するサカキとクラスメイト達。その様子が何だか可笑しくてあははと笑う。
「おら、お前ら授業に集中しろ!!」
私に注目していた生徒達がひぃっと悲鳴を出して慌てて前を向く。
「ヒイラギ、お前もさっさと食え!!取り上げられたいのか!?」
「ふひはへん」
イヌイ先生の怒号が飛ぶ。
それは勘弁と私は即謝罪し、黙々と食事を再開した。
口に入れたまま喋ってしまったのでちゃんと伝わったかどうかは分からないが、何も言われないのでまぁ良いだろう。
しかしよくもあんなひょろい身体で馬鹿でかい声を出せるもんだなと失礼なことを考えながら最後の一口を頬張ってしばし味わい、ゆっくり胃へと流し込んだ。
ご馳走様でした。
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