000 プロローグ
初投稿です。どうぞ宜しくお願い致します。
現日本において、黒猫といえば不吉を呼ぶものという印象がある。
しかし、実は江戸時代あたりでは魔除けや厄除けなど、不幸を退けるものとして親しまれていたようだ。外国では寧ろ幸せの象徴となっている地域もある。
私の見た黒猫は前者か後者か…………どちらだったのかは分からない。
「……暑い」
吐き出せば尚更暑くなってくる。分かってはいたがどうにも止められないこの言葉をついつい口にし、やはり今日も後悔した。
夏の夕日を浴びながら家を目指して歩く。9月中頃の夕方はまだ暑い。午後の体育でバスケという夏には地獄の種目を行い、上着が絞れる程の大量な汗をかいたというのにまた次から次へと汗が滲み出てくる。不快度は最高潮だ。早くこのベタつきを落とすべく、私は重い足を一歩、また一歩と前へ動かした。帰宅した足で風呂場へ向かうこの近頃の習慣が早く終わるのを願うばかりである。秋、私は早くお前に会いたい。
風呂に入った後はアイスも食べよう。夏場のアイスは最高に美味いが、身体がさっぱりした後食べるそれは格別である。その上部屋が涼しければ楽園だ。帰ったら風呂の前にまずクーラーをかけておくのも忘れない。
アイスは何があったかな。そう思いつつ冷凍庫の中身を思い浮かべてみたのだが、ここで重大な事に気が付いた。――――ない。アイスがない。そういや昨日食べた分が最後であった。何て事。
一刻も早く家に帰りたい。しかし私の舌はもうアイスを食べる気になってしまっている。このまま手ぶらで帰れば絶対後悔するだろう。……非常に面倒臭いがここは帰りにコンビニへ寄って買うしかない。
私は自然と家へ向かう足を無理やり方向転換させ、角を曲がった。この先を少し進めば自宅から一番近いコンビニがある。私は気合を入れて前を見据え――――思考を瞬時に何処かへと吹き飛ばした。
キラキラと宝石を嵌め込んだかの様な透き通った綺麗な蒼い瞳、触り心地が良さそうな艶々の黒い毛、スラリと伸びた足、ピンと立った三角のお耳――――私の目の前に黒猫が現れたのだ。しかもかなりの美人さん。
……。
………………アリエル。……うん、しっくりくる。
目の前の黒猫さんを穴が空くほど凝視しながら一人納得してうんうんと頷く。
アリエルって雰囲気を醸し出している様な感じの黒猫さん。どんなだよと突っ込まれそうだが私には他にピッタリな表現が見つからない。アリエルはアリエルだ。私の中でこの目の前に佇んでいる綺麗な黒猫を勝手にアリエルと呼ぶ事に決定した。
私は動物が好きだ。見かけたらもふもふしたい、出来る事なら全力で。しかも今回は滅多に見かけない程の上玉。是非とももふもふ……せめて一撫でだけでも触りたい。
私はアリエルの隙を伺っていた。道端で手をわきわきしながら姿勢を低くし、いつでも飛び付く事が出来るよう体制を取った私と、私を引いた様子で見ながら体勢を低くし、物凄く警戒心丸出しでじりじりと後ずさる黒猫。
怪しい事この上ないがそれが何だというのだ。もふもふ天国を味わえるのなら人目など気にしない。今、通りかかったオバサンが異様なものを見る目でこちらを凝視していたような気がするが、知らない。私、今それ所じゃない。
この静かな攻防戦を繰り広げ始めてからかれこれ5分が経った。どうしたものか。相手に全く隙が出来ない。……アリエル、やりおるな。
しかしそろそろこの体勢もキツくなってきた。何せ5分といえどもぶっ通しで中腰状態を維持しているのだ。もうこれは軽く筋トレである。部活をしていない上に体育の授業も適当に動いている為、ここ2年ほど運動という運動をしていない。そんな身体が鈍りに鈍り切った女子高生にこの状態がキツイのは当然の事である。現在、私の足はプルプルと小刻みに震えている。
ここまで頑張ってきたがもう限界だった。足がぐらつき、私の視線が一瞬下がったその時、アリエルが動いた。
しまった、と思った時には後姿が既に小さい。見事に隙をつかれてしまった。一歩出遅れて私も後を追う。
追いつけるだろうか? あぁ、私のもふもふ……っ!!
もふもふ求めて全速力で突っ走る私。
制服である膝丈のスカートが思いっきり翻ってしまうが、スパッツを内蔵させてある。見苦しいものを晒すことはないので何も問題はない。
私は踏み込みに力を入れ、更に加速させた。全てはもふもふの為、錆び付いた身体を叱咤し稼働させる。
もふもふしたい、もふもふしたい、もふもふしたい……っ!!
頭をもふもふ天国が占拠した。私は目の前のもふもふ求めてまっしぐら。
人間って凄い。ってか私って凄い。私、やれば出来る子だった。
3メートル、2メートル、1メートル、と徐々にアリエルとの距離を詰めていく。ふぬぅ、あともう少し…………っ!
アリエルが私との距離を測る為かチラリと振り返り、その綺麗な眼を見開いて仰天した。それはそうだろう。普通の人間の所業ではない。
その光景を見た彼女は軽くパニックになったのか、今まで直進していたコースを急に直角に曲がり、道路に飛び出してしまった。
彼女を目で追えば、そこへスピードを出したトラックが突っ込んで行くのが見える。
ブレーキは――――間に合いそうにない。
「危……ッ!!」
間に合え、とこれでもかというくらい足に力を入れて踏み切り、私もアリエルに続いて跳んだ。
足元を流れる白いガードレール、トラックのけたたましいブレーキ音、誰かの悲鳴。
自分以外の全ての流れがスローモーションのように過ぎていく。
今なら足元を過ぎ行く転がっている石を数える事だって出来るだろう。
だが私の意識は全て目の前の黒猫へと注がれた。
もふもふは正義! アリエルは正義! 私が護らなければ……ッ!!
懸命に伸ばした私の両手。強い執念が形になったのか、何とか彼女の胴へ届いた。よし!
優しく、しかしガッチリとアリエルをキャッチする。右を見れば目の前に迫るトラック――このままではどちらも突き飛ばされてしまうだろう。一瞬思案した後、私は自身が空中に浮いたそのままの姿勢で最後の力を振り絞り、彼女を空へ放り投げた。黒い毛玉が綺麗な放物線を描く。
助け方が少し乱暴になってしまったが、彼女は猫である。着地はお手の物だろう。
予想通りアリエルが道路の向こう側へ華麗に着地したのを見届け、私の視界は暗転した。
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