変わっていく環境
その日も、カノンは忙しなく働いていた。
「……ねえ」
そんな時、背後から声がかかる。
振り返ったそこには、1人の竜人侍女が立っていた。
竜人侍女は無表情のままに言う。
「今日はアナタと一緒に仕事するように言いつけられた。
から、これからはワタシもついていく」
カノンは目の前の竜人侍女を見つめる。
その視線を受けた竜人侍女が顔を歪めた。
「……何?
この見た目が、そんなにおかしい?」
竜人は、人間の姿と竜の姿のどちらにもなれる。
そして人間の時は、その見目はカノンたちとほとんど変わらない。
ただ例外として、人間の時も竜の要素が強くでる者もいた。
例えば背中から翼が生えたままだったり、皮膚の色が違ったり、鱗が生えていたりする。
この竜人侍女もそうだった。
人間の姿をしているが、顔や首といった身体中の皮膚に鱗が生えている。
彼女のような竜人たちを、ルーシーは気持ち悪いと蔑んでいた。
現にルーシーは、アリサやユウミと一緒になってこの竜人侍女を笑いものにしていた。
彼女はそれを知っていたのだろう。カノンを見る目には剣がある。
カノンは、竜人侍女の鱗を眺める。
鱗は太陽の下でキラキラと反射して輝いていた。
(……きれい……)
自然と浮かんだ感情が、口を動かしていたらしい。
「……は?」
その3文字の口の動きを正確に読み取った竜人侍女が、虚をつかれた顔になる。
「……なにそれ、そういうのいいから……」
しかし下手なお世辞だと流そうとするも、カノンが嘘を言っているようには見えなくて。
「……っ、それより早く仕事始める」
ぶっきらぼうに言ってそっぽを向いたけれど、その口元はわずかに綻んでいた。
竜人侍女の名はニアと言った。外見からしてもカノンと変わらない年頃に見える少女だ。
最も竜人は人間よりかなり長寿であるため、実際の年齢差はもっとあるだろう。
基本的に無表情で、その態度はどこか素っ気ない。
そんなニアと今日の分の仕事を片付けていく。
2人だとやはりいつもより仕事が早く進む。
手伝いに来てくれたニアに感謝しながら、カノンは次の仕事、また次の仕事とせかせか働き続けた。
「……ねえ」
そんな時、また声がかかる。
「昼食の時間、とっくに過ぎてる。
いつになったら休憩をとるつもり?」
ニアの言葉に、キョトンとするカノン。
(昼食……? 休憩……?
そういえば、気にしたことがなかった)
いつでも3人分の仕事をこなすカノンは、ひと息つく間もない程忙しい。
カノンの事情を知らない人からは追加で仕事を頼まれることもあるから、カノンはずっと働き続けている。
そんなカノンから、昼食や休憩の概念は抜けていた。
(だって、神殿でもそんなのろくにとれたことがなかったから)
カノンの様子を見たニアが、訝しげな顔をする。
「……もしかして、今までずっとこうだった?
こんなにずっと働いて、昼食さえも食べてない?」
カノンは一瞬の逡巡の後に頷いた。
それを確認すると、ニアはため息をついて。
「……ちょっと来て」
そう言うとどこかへ歩き出したから、カノンは慌ててその後を追いかけた。
そうして連れて行かれたのは、侍女長の元だった。
侍女長は、侍女たちを統率する立場である。
当然竜人である彼女は、侍女の中で一番の権力を持つ人物だ。
城に勤めるのは基本嫁入り前の娘であるため、侍女長といってもカノンより数歳上くらいの見た目で、
優しげな雰囲気を身に纏っている。
そんな侍女長に、ニアが耳打ちする。
それを受けて侍女長は「まあ……」と声を漏らした後、カノンを見た。
「私ね、ずっと気になっていたの。
アリサさんとユウミさん……あの2人が頼んだ仕事もまるでしないってことは聞いていたわ。
けれど2人に任せた仕事はいつも終わっている。
そして、カノンさん。あなただけは常に働き通しでいるみたいで……」
侍女長はカノンが働きつめな様子に気づいて、気にかけていたのだ。
「だから」と話を続ける。
「私、ニアに様子を見に行ってもらうように頼んだの。
そうしたらやっぱり……あなた、あの2人の仕事まで請け負っているのでしょう?」
問いかけられて、カノンは迷う。
ここで肯定すれば、アリサやユウミに何かお咎めがいくのだろうか。
そうなればきっと、カノンがチクったのだと2人は怒り狂うだろう。
困ったように眉を下げるカノン。侍女長は分かっているとばかりに頷いた。
「あの2人の性格からして、きっとあなたに無理やり押し付けているのでしょうね。
そしてあなたは、これまでろくな昼食も休憩も取らず働いていた。
1人で3人分をこなすには、そうでもしないとやっていけないものね。
気づくのが遅くなってごめんなさい。これまでよく頑張ってくれたわ」
そう優しく語りかける侍女長。しかしその後すぐに言葉が続いた。
「でもね、これからは話が別。
労働に対して、適当な食事と休憩は欠かせないものよ。
特にあなたは私たちよりも身体が弱くできているのだから……その内倒れてしまうわ」
侍女長は、カノンの痩せすぎな身体と疲れが見える青白い顔をじっと眺めながら言う。
「これからは仕事量をこちらで調整するわ。
だからあなたには、これからきっちり食事と休憩をとってもらいます」
侍女長の宣言通り、カノンの働き方は変わった。
アリサとユウミはルーシーの付き人としての仕事のみを与えられるようになったことで、カノンに仕事を押し付けることはなくなった。
そして本来、アリサとユウミがやるべきだった仕事は侍女長の采配によって上手く振り分けられて、
誰かが過剰に背負うことがないようになった。
カノンは、ニアとペアのような形で仕事をすることが増えた。
「……貸して」
カノンが細腕で抱え込もうとした荷物を、ニアが横からひょいと持ち上げる。
“ありがとう“口パクでそう伝えるカノン。
「別に、このくらい……」
ニアからは、最初の時のような敵対心を感じなくなっていた。
言い方はぶっきらぼうだけど、ニアが本当は優しい竜人なのだとカノンは知った。
「あら、アンタたちも休憩?」
「ここ空いてるからおいでよ」
ニアと共に食堂へ昼食をとりに向かえば、先にいた竜人侍女たちが気さくに声をかけてくる。
「……ん、ありがと」
カノンも軽く会釈をしてから、ニアに続いて席についた。
今のカノンには、所定の休憩時間が与えられている。
その間に昼食をとり、しっかり身体を休めて午後からの仕事に備えるようにとは侍女長直々の言明だ。
いつもの癖でつい仕事を続行しそうになるけれど、そんな時はニアが声をかけてくれた。
だから今のカノンは毎日きちんと休憩を取っている。
変わったのはそれだけではなかった。
侍女長の采配によって、他の人と一緒に仕事をすることが増えたカノン。
それによって、カノンがひたむきに仕事に取り組んでいることが、広く周知されることとなった。
そうなれば、“ルーシーの取り巻きの1人“でしかなかった周囲からの認識が変わるのも早かった。
「……これも食べれば」
隣に座るニアが、そう言ってスッと小皿に入ったデザートを差し出してくる。
カノンは遠慮して首と手を横に振るが、ニアは
「満腹になったからもういらないだけ」
そう言ってふいっと別方向を向いてしまった。
ニアはこうしてカノンに食事を分け与えようとすることが多々あった。
それはカノンのメイド服から覗く手足があまりにも細くて、今にも折れるのではないかと危機感を持ったからであったのだが、カノンはその内情を知らない。
けれどこれがニアの好意からくるものであるとは伝わっていたため、恐縮する気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合ってくすぐったくなる。
「あーら、すっかり仲良くなっちゃって」
「本当にね、あの人間嫌いのニアが」
そんな2人の様子を見ていた侍女たちが、茶化すように言う。
「……別に、そんなんじゃない」
素っ気なくそう言ったニアが、「ただ」と言葉を続ける。
「この子は他の人間とは違う……そう思うだけ」
そんなニアとカノンの目があった。
「……こっちばっか見てないで、早くデザート食べれば」
照れ隠しのように言うニアに、カノンははにかみながら頷いた。
ニアを通じて、カノンの存在は、確実に竜人侍女たちに受け入れられ始めていた。
休憩は、ゆっくり昼食をとっても尚余るくらいの時間が設けられている。
ニアはいつもこの余暇を自室での昼寝に使うため、カノンは1人になる。
城の広い敷地の中、ひっそりと存在する裏庭。
そこに生えた大樹の下で、カノンは身体を休めていた。
見事な草花の咲き誇る中庭とは違って、どこか殺風景なこの場所に寄り付く人はそういない。
カノンだって暇を持て余した末の散策で偶然見つけただけだった。
木陰に吹き込む穏やかな風を感じながら、自然と訪れる睡魔に船を漕いでいた。
誰もいなかったはずの空間に、ふと聞こえてきた足音。
それが目の前で止まって、カノンは顔を上げる。
(…………!)
「……君は……」
やってきたのは次代竜王――ギルバートだった。
ギルバートは目を丸くしてカノンを見下ろす。
「人気のない場所をと思ってここに来たが……まさか先客がいたとは驚いた」
(あ……早く場所を空けないと……!)
「いや、いい。そのままでいてくれ」
慌てて立ちあがろうとするカノンを、ギルバートが止める。
(……でも……)
わざわざここを訪れたなら、きっと1人になれる場所を探していたのではないだろうか。
自分がいたら、邪魔になるのではないか。
浮かしかけた腰をそのままに狼狽えるカノンに向けて、ギルバートが言った。
「……そうだな、俺も少しお邪魔させてもらえるか」
少し間を離して、ギルバートはカノンの隣に腰を下ろした。
ギルバートに会うのは、この間の中庭の一件以来だ。
緊張感からカノンは肩を強張らせる。
「――カノン」
不意に呼ばれた名前に、心臓が跳ねた。
「この間は聞けなかったが……君はカノンというんだな」
自分のような末端の名前も覚えていてくれるなんて。
恐れ多いけれど、嬉しい。そんな気持ちが広がった。
足を崩して座り込んだギルバートの黒髪が、風を受けて小さく揺れる。
「ここは……静かでいいな。落ち着くよ」
そう呟いたギルバートは、何だか少し疲れているように見えて。
いかなる時もルーシーが押しかけて付き纏うから、ギルバートは気が休まる時がないだろうと
侍女たちが噂していたのをカノンは思い出した。
(それなら、せめて今だけでも寛いでいって欲しい)
「今は休憩中か?」
「そうか。何か困ったことはないか?」
ギルバートの問いかけに、カノンは頷いたり首を振ったりする。それが数回続いた後、静寂が訪れた。
お互いに口を閉ざしたまま、ゆったりと時が流れていく。
けれどカノンには、沈黙が苦には感じなかった。
あんなに緊張していたはずなのに、ギルバートがそばにいるこの空間を居心地良く感じている自分がいることに気づく。
時計塔の鐘が鳴り響いたことで、穏やかな時間にも終わりが訪れる。
「……そろそろ戻らなければな」
そう言って立ち上がったギルバートが、カノンに視線を向ける。
「君は明日もここにいるのか?」
カノンの中で、ここは休憩中定番の場所となりつつあったから、ギルバートの問いに頷く。
「それなら、俺もまたここに来ていいだろうか」
(また、ここに……?)
驚いたけれど、ギルバートからの要望を断ることなんてできない。カノンはまた頷く。
するとギルバートは嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ、また明日……ここで」
立ち去っていくギルバートの背中を見送るカノン。
また明日も、あの人に会える。
そう思うと、心が温かくなるのを感じた。
それから休憩の際には、度々ギルバートが裏庭を訪ねてくるようになった。
2人はいつも隣合って座り、一緒の時間を過ごす。
ギルバートからの問いに、カノンが身振りで答える。
相変わらずそんなやり取りが続いていた、ある時。
「君、文字の読み書きはできるのか?」
ギルバートからのその問いに、カノンは頷く。
神殿には、かつて王宮から寄贈されたという書庫が設けられていた。
カノンは雑用を押し付けられる日々の中で、時間を捻出しては書庫に通っていた。
そこで文字の読み書きやこの国の歴史など、様々なことを独学で学んだのだった。
「そうか、それなら……」
ギルバートが地面に手を当て、その手を持ち上げていく。
途端に“土“の力が発動して、連動するように地面から土が吸い上げられていく。
集まった土は固まって、大きな長方形の土版のようなものが出来上がった。
更にギルバートは、近くに落ちていた木の枝を拾い上げると、それを一度撫で上げた。
次に手を離すと、ただの棒切れだった木の枝の先がペン先のように鋭く尖って、全体は滑らかに整えられていた。
これもきっと、5属性の力なのだろう。
扱うのが難しいといわれる力を、あまりに鮮やかに使いこなす様子に、カノンは圧倒されるばかり。
「これで、自由に文字を書くことができるな」
カノンに差し出される土版と木の枝のペン。
想像よりも軽いそれを受け取って、カノンはそっと文字を書いてみる。
それを見たギルバートが、口角を上げた。
『ありがとうございます』
「ああ、どういたしまして」
それが、2人の初めての会話だった。
それからは文字を使って、ギルバートと会話ができるようになった。
「俺も、今の季節は好きだよ。
執務中にもついうたた寝しかけては、側近のミドルに怒られる」
『これだけ暖かくて過ごしやすいと、どうしても眠くなりますよね』
好きな食べ物や、好きな季節。そんな他愛もない話をはじめとして
ニアを筆頭とした竜人侍女たちに、とても良くしてもらっているということ。毎日が充実していること。
ギルバートはカノンの話を楽しそうに聞いてくれた。
「5属性の力の開花には、先天型と後天型がいるが……俺は前者だな。
幼少期に全ての力が開花した。
ただ、中には孫ができる歳になって力に目覚めた者もいるからな。
未だ未知数のことも多い」
『孫の……!?
すごい……色々な可能性を秘めた力なんですね』
そしてギルバートも、この国のこと、竜人のこと、そして自身の持つ5属性のこと。
本の知識だけでは分からないことを教えてくれた。
声を失ってから、こんなに人と会話できたのは初めてかもしれない。
次代竜王であるギルバート。
(この人は、次代の竜王で、本来私なんか話すこともできない人。
それなのに、どうしてこんなにも……)
立場はかけ離れているのに、話す度に心が近付いていくような感覚。
(楽しい。嬉しい。
この人のことを、もっと知りたいと思う。
ずっと、話していたいと思う)
時計塔の鐘の音に、ギルバートが呟く。
「ああ……もう時間か。ここに来ると、時間があっという間に過ぎる……」
カノンも同じ気持ちだった。
時間が過ぎ去るのは驚く程早くて、立ち去っていくギルバートの背中を見送ると、すぐに次が待ち遠しくなってしまう。
「また、来るよ」
『お待ちしています』
いつしかこの時間が、カノンにとってかけがえのないものになっていた。
その日も、カノンは裏庭でギルバートを待っていた。
しかし昨晩はどうにも寝つきが悪かったこともあり、睡魔に襲われていた。
今日も来てくれるかもしれない。だから、起きて待っていなければ。
そう思っても、暖かい陽気と心地よい風に誘われるように、うとうと体が船を漕ぐ。
(だめ、意識が……)
睡魔には抗えず、吸い込まれるようにカノンの意識は落ちていった。
また、夢を見る。
黒竜が見守ってくれる中、カノンは歌う。
ああどうして、この場所はこんなにも心地が良いのだろう。
ずっとここにいたいと思う。こうしていたいと思う。
その感情は、何かに似ている。
カノンは、黒竜の瞳を見つめる。
――ねえ、あなたは誰?
その問いは、声にならず歌に消えた。
手のひらで優しく掬い上げられるように、意識が浮上する。
空に輝く光の眩しさに、開いたばかりの目を細めた。
そしてカノンは、自身が何かにもたれかかっていたことを知る。
(ギルバート様……!?)
目を向けた先には、ギルバートの横顔が見えて。
ギルバートの肩にもたれかかって眠っていた。
そのことを理解したカノンは、慌てて姿勢を正した。
(い、いつの間に……?)
ギルバートは、カノンが寝落ちてしまった後にここへ来たのだろう。
でもまさか、肩にもたれかかって熟睡なんて、なんて恐れ多いことを。
(気分を害されたりしていないといいけれど……)
カノンはそうっとギルバートを覗き込む。
ギルバートは目を閉じて、静かに寝息を立てていた。
(……本当に、綺麗な人……)
眠っているその顔まで、まるで作りものみたいに整っている。これではルーシーが惚れ込むのも無理はない。
気配に気づいたのか、まつ毛が震えてその瞼が開かれる。
真っ先に見えたのは、金色の優しい瞳。
「ん……起きたのか、おはよう」
ああそうか――カノンは唐突に理解する。
この人のそばにいる時に感じる心地よさは、夢の中で竜と共にいる時の心地よさに
よく似ているんだ。




