【第2章】運命との出会い
豊かな花たちが咲き誇る中庭を歩くカノンは、青天から差し込む日差しの眩しさに目を細めた。
どこまでも続く広大な敷地は、神殿のそれとは比べ物にならない。
それもそのはず、ここはこの国で最も尊い場所――竜王の住まう城なのだから。
歌姫として城に招待されたルーシーには、それに見合う待遇が用意されていた。
広く豪華な部屋に、身の回りの世話をする侍女。
そしてカノンと取り巻き2人も、侍女の一員として働くことになった。
しかし今、仕事をしているのはカノンただ1人。そんなカノンの頭に浮かぶのは今朝のこと。
「それじゃあカノン、あとはいつもの通りよろしくね」
「サボったら承知しないわよ。仕事が終わらなくて何か言われるのは私たちなんだからね」
そう言って慣れた様子で仕事を押し付けていった取り巻きの2人――アリサとユウミ。
2人は神殿にいる時よりも、もっと豪華で優美なドレスに身を包んだルーシーのことを追いかけていった。
「ルーシー様、今日もギルバート様に会いに行くんですか?」
「きっとギルバート様も心待ちにしているはずですよ!」
結局、どこにいても私のやることは変わらない――カノンは人知れずため息をついた。
「ねえ聞いた?
歌姫様はすっかりギルバート様に惚れ込んでるみたいよ」
「そうらしいわね。暇さえあれば会いにいって、そばから離れようとしないっていうじゃない」
1人で3人分の仕事をこなすためには、ちんたらしている暇なんてない。
急足で次の仕事の持ち場に向かうカノンは、しかし道中に聞こえてきた話に、思わず足を止めた。
「お二人が仲睦まじくされるのは、いいことだけど……」
「……ねえ、正直……歌姫様のこと、どう思う?」
話をしているのはこの城の侍女。しかし彼女たちは2名とも竜人だった。
この城にいるのは、皆立場のある竜人たちだ。
だから例え侍女であっても、その身分は高貴なもの、つまり貴族の娘であることが多かった。
そしてカノンたちは、この城の中で唯一の人間。本来であれば、どちらの立場が高いかなんて比べるまでもない。
「どうって……そうね、私たちの前とギルバート様の前じゃ、随分と態度が違うわよね」
「そうよね、まるで違うわ。私たちにはまるで奴隷に命令するかのような物言いだもの」
しかしルーシーは、“竜王の歌姫“
代わりのいない尊いものとして、竜人たちからも敬われる存在。
つまり、竜人たちもおいそれとルーシーには逆らえないということ。
それをいいことに、周囲の者を自分の機嫌次第で叱りつけたり、無茶な要求をしたりと、ルーシーは城に来てから好き勝手に振る舞っていた。
「それに、歌姫様が連れてきたお付きの人間たち。あれは何なの?
与えられた仕事もろくにしないで、歌姫様にベッタリ媚を売るだけ」
そしてそれは取り巻きのアリサとユウミも同様だった。
カノンたち3人は、あくまでルーシーのおまけであって、その立場はただの侍女。
人間であり、新人でもあるカノンたちは下積みとして多くの雑用をこなす必要があった。
しかしアリサとユウミは、そんな雑用を放棄して、常にルーシーの両脇に張り付いていた。
何か言われると、「自分たちの仕事はルーシーのサポートだ」と言い張って、ルーシーもそれを肯定する。
それに、放棄した仕事はカノンが代わりに担うことで何とかなっている。だからこそ、それ以上強く言われることもなかった。
当たり前のように、そんなルーシーたちに対する周囲の評価は低かった。
大っぴらには言えないけれど、こうして影で愚痴や文句をこぼす侍女たちは少なくない。
そこで話を一区切りさせた竜人侍女たちが、ふいに背後を振り返った。
そしてカノンの姿を目に入れる。
「あら、あなた……」
そこでハッとしたカノンは、竜人侍女たちに深々と頭を下げてから、再び早足で歩き始める。
そんなカノンの後ろ姿を眺めながら、竜人侍女たちは囁き合った。
「確か、あの子も歌姫様のお付きの1人よね?」
「そうね。でもあの子は、歌姫様にベッタリってわけじゃないみたいね。
他の2人よりはまだまともなのかも」
「それでも、歌姫様が連れて来た人間には変わりないのよ?
期待するだけ無駄なんじゃないかしら」
辺りもすっかり薄暗くなった頃。カノンは1人庭園の中に座り込んでいた。
冷たく冷えた土の上をまさぐる手のひらは、まっ黒く汚れている。
ない……どこにもない。
街灯のほのかな光が照らす闇の中、どれだけ目を凝らしてみても、お目当てのものは見つからない。
それでも手を止めることなく探し続ける。
そんな時、城の方から漏れ聞こえてくる歌声にカノンは顔を上げた。
それはルーシーの歌声だった。
今夜は、新たな歌姫になろうというルーシーのお披露目パーティが開催されていた。
城の中には有力者をはじめ、アリサやユウミを含んだたくさんの人がパーティに参加していることだろう。
けれどカノンは、そのパーティに参加することはできなかった。
ルーシーが昼間にここで落としたのだというピアスを、今夜中に探し出すように命じられていたからだ。
この広く入り組んだ庭園で、しかも暗闇の中、なくし物を見つけろなんて到底無理な話だ。
これがルーシーの嫌がらせだということは分かっている。
それでもやらなければ、今度はどんな仕打ちを受けるのか。
甚振る理由を見つけた時の、ルーシーの残忍さだって、よく分かっていた。
だからカノンは、こうして地面を這いつくばって、あてもない捜索を続けるしかない。
高く透き通って、空まで伸びていくようなルーシーの歌声。
それに触発されて思う。
私ももう一度……昔のように、あの夢の中のように、歌えたなら――
吸い込んだ息は、虚しく喉から掠れ出るのみだった。
ルーシーの歌声が聞こえなくなると、今度は一瞬の間を置いて湧き起こる歓声。
カノンは俯いて、汚れた手のひらを握りしめた。
――やっぱり、歌えない。歌っては駄目なんだ。
そんな時、誰かの足音と近づく気配。
ハッと顔をあげて、目の前に現れた人物と視線が重なった。
その瞬間、心臓がドクンと脈打った。
薄暗闇の中、目の前のその人が目を見開いたのが分かる。
「なあ、君は――歌うのか?」
思わずと言ったように、問いかけられたその言葉。
反射的に、カノンは首を横に振った。
現れたのは、1人の男だった。その顔に見覚えはない。
けれどその人は一目見て分かるくらいに、整った顔をしていた。
身にまとう衣服からして、とても高貴な身分、恐らく竜人だ。
どうして……?
知らない人のはずなのに、胸がざわめく。
そんな感覚にカノンは戸惑う。
「……そうか君が……」
男はカノンをじっと見つめた後、何かに気づいたように呟いた。
「すまない、今のは忘れてくれ。
それで君は、ここで何をしていたんだ?」
そして少し残念そうな顔でそう言うと、カノンに尋ねた。
カノンは身振り手振りで、何とか男に伝えようとする。
「うん……?
ここで何かを落としたということか?」
男が上手く読み取ってくれたことに加え、気分を害した様子もないことに安堵するカノン。
「それなら、この暗闇では無理だろう」
ギルバートはそう言うと、右手の人差し指を立てる。
一振りで、その指先に温かいオレンジ色の炎が宿った。
ギルバートが空中に指先を振ると、その先にまるで蝋燭の灯のような炎がいくつも浮かぶ。
驚きに目を見張るカノンをよそに、ギルバートはあっという間に周囲を照らした。
「これで少しは探しやすくなるだろう」
そう言ってかすかに微笑む、男の瞳は金色だった。
その瞳を見つめ、カノンは思う。
――あの竜と似ている
竜人の中には、地・水・火・風・雷――通称5属性と呼ばれる力を扱える者がいる。
それは小規模な炎や水を扱う程の力であったり、天地を揺るがす程の力であったり、
その力には差があれど、いずれも強力であることに変わりはない。
しかしこの力が宿るのは、竜人の中でも限られたものだけ。
そして竜人1人につき、使えるのは1属性のみ。
こうした“属性持ち“と呼ばれる竜人は、国を支える者としてより敬われる存在だった。
だから目の前の男は、本来カノンのような身分が気軽に相対していい相手ではないはずだ。
「よし、俺も手伝おう」
(え、えええ……!?)
しかし男はそう言って、躊躇いもなく茂みに突っ込んでいく。
まさか、身分ある人にそんなことはさせられない。
焦るカノンをよそに、男は茂みと地面を弄りながら「ないな」とぼやいた。
「ならこうしよう」
男が地面に両手をついた。すると呼応するように、地面の土がポコポコと波打って波紋を広げていく。
(まさか、これも5属性の力……!?)
先程が5属性でいうところの“火“なら、これは“土“だろうか。
2属性以上を使える竜人なんて、普通はありえない。
けれど――次代竜王・ギルバート。
歴代最強と謳われるその人は、複数の属性を使うことができるのだと聞いたことがあった。
まさか、目の前のこの人は――
(……次代竜王・ギルバート様……?)
さっと血の気が引いていく感覚。
だってそうだとしたら、この人はこの国で一番偉いお方。
そんな人が、カノンの探し物のために膝を折って手のひらを土で汚している――卒倒するような光景だ。
しばらく捜索を続けた男が、ふと声を上げる。
「――見つけた。探し物は、これか?」
差し出された手のひらの上にあるのは、ルーシーのピアスに間違いなかった。
まさか、本当に見つかるなんて。自然とカノンの顔が綻んだ。
ピアスを受け取りながら、ペコペコと頭を下げる。
「見つかってよかったな」
男がまた指をひと振りすると、浮かんでいた炎の灯りが消えていく。
未知数の力を、息をするかのように使いこなす様に、カノンはただ圧巻されるばかりだった。
「ギルバート様」
そこにかけられた声。カノンも自然と声の方へ振り返る。
こちらへと駆け寄ってくるのは騎士服の男だ。
(ギルバート……やっぱり)
そしてカノンは、自分の予想が正しかったことを知る。
この人こそが、次代竜王・ギルバート。
この国の、カノンたちの次の王となるお方。
「どうかそろそろお戻りください。
その、歌姫様を誤魔化すのももう限界のようで……」
そう言いながら、騎士の男はカノンにちらりと視線を向けた。
カノンは慌ててお辞儀をする。
「分かった。戻るよ」
顔を上げたカノンと、ギルバートの目があった。
「君はパーティには参加していないようだな。
……一緒に来るか?」
今夜は皆が華やかに着飾る中、カノンは仕事着のメイド服のまま。
そんな姿を不憫に思ったのだろうか、そんなギルバートからの提案。
カノンは首を横に振る。
ギルバートと共にパーティ会場に行くなんて、とても恐れ多いことだった。
それに、ルーシーに見られたら後で何をされるか分かったものではない。
探し物も見つかったのだから、大人しく部屋にでも戻ろう。
「そうか。なら、これ以上暗くならないうちに帰るといい」
2人の視線が重なる。
その金色の瞳と見つめ合うと、「離れたくない」
カノンの中に、何故だかそんな感情が沸き上がる。
相対するギルバートは何かを言いかけるみたいに口を開いて、
けれど言葉にはならなかった。
「ギルバート様……」
「……ああ、分かってる」
騎士の男の催促に頷いて、ギルバートはもう一度カノンを見る。
「慣れない環境で大変だろうが、これからもよろしく頼むよ」
そう言い残して、ギルバートは騎士の男と共に去っていった。
カノンは深々と頭を下げたまま、小さくなるその背中を見送った。




