ルーシーの末路
その日から、カノンの生活は一変する。
新たにカノンのために用意された部屋は、侍女の時とは比べ物にならない程に広々で豪華なもの。
着るものだって食べるものだって格段に良くなった。
専属侍女には、ニアがつくことになった。
カノンが歌姫だったと知って、ニアは驚いていたけれど。
「カノンのような人が歌姫で、うれしい」
そう言って微笑んでくれたのだった。
長年閉ざされていたのに酷使した影響で、若干の痛みが続く喉には、献身的な治療が施された。
同時に、発語発声の練習やこの国の歴史・教養など歌姫に必要な勉学に励む日々が続いた。
「カノン様。そろそろ次の授業の時間です」
すっかり畏まった様子のニアが、次の予定を知らせるためにカノンの元を訪れる。
「ニア……」
歌姫の待遇を受けるようになって、周りの態度も大きく変わった。
皆がカノンを特別な存在として敬い、態度を改めるようになった。
竜人侍女たちも、以前のように気安く話しかけてくることはない。
「……どうしましたか?」
何だかそれが、少し寂しくて。
そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか。
「……カノン。早く行こ」
2人だけの時、ニアはこうして前みたいに接してくれたりもする。
カノンは表情をパアッと明るくして立ち上がった。
「……うん!」
「カノン、調子はどうだ?」
「ギルバート様。
はい、先ほど授業が終わったところで……今日も色々と教えていただきました」
ギルバートは公務の合間を縫って、毎日のようにカノンに会いに訪れた。
授業が終わった後の休み時間にも、本を開いて教わったところの反復を行っていたカノンは、
ギルバートの来訪に気づくと立ち上がった。
「そうか。
頑張るのはいいが、あまり無理はしないように」
「ありがとうございます。
でも、はじめて知ることがたくさんあって……学ぶことが楽しいんです」
「……そうか」
嬉しそうに言うカノンを、慈愛のこもった瞳で見つめるギルバート。
自分が歌姫の立場になったことは、まだいまいち実感が湧かないし、それを驕るつもりもない。
でも、こうして堂々とギルバートと話すことができるようになったことが、何より嬉しかった。
「……そろそろ戻るかな」
「あ、はい……いつもお忙しい中、ありがとうございます。
また後ほど……」
しかし公務に戻るはずのギルバートは、中々足を進めようとしない。
「ギルバート様……?」
「……このまま連れて帰りたい」
「……え?」
名残惜しそうにカノンを見つめ、心の声を漏らしたりして。
「ギルバート様、お気持ちは分かりますがそろそろお戻りください。
公務が溜まっております」
そのうちに、痺れを切らしてやってきたミドルによって連れ戻されていった。
(幸せって、多分こういうことなんだろう)
幸福を実感するからこそ、頭に浮かぶ1つの気掛かり。
(……ルーシー……)
千ノ花の後遺症により、老婆のような外見になったルーシー。
巻き込まれて、同じく老婆のような外見になったアリサとユウミ。
3人の外見は、終ぞ元に戻らないままだった。
アリサとユウミは、カノンが新たな歌姫となったことを知って
「自分をそばに置いてくれ」「こんな姿になって可哀想だと思うでしょう」と擦り寄って鞍替えしようとした。
しかしこれまでのことを思えば、カノンがそれを受け入るはずもなかった。
結局2人は、神殿に返されることとなった。
とはいえ不名誉な形での出戻りとなれば、神殿でもきっとろくな扱いを受けないだろう。
ルーシーは千ノ花の正確な効果を知らなかった。
使用者の末路を知っていれば、こんなことは起きなかったかもしれない。
とはいえ国を危機に陥れた罪は重く、ルーシーは地下牢に収監された。
辛うじて死刑は免れたものの、この先牢屋の外に出ることは叶わない。
千ノ花の出所については神官のイルマが関与していたことが判明した。
ルーシーはイルマの手引きによって、千ノ花をその身に取り込むことになったのだ。
しかしイルマは、事件が発生したその日のうちに姿を眩ませていたのだった。
そもそもイルマは、孤児であるということ以外、出自が謎に包まれた男だった。
イルマを神官として引き入れたのは神官長であり、彼も本件に関与があったと見られている。
けれど神官長は、事件発生の翌日、死体となって必見された。
悲鳴を消すためか喉は焼かれ、内側から握り潰されたように心臓がひしゃげていた。
とても普通の人間や竜人の芸当とは思えない。
例え属性持ちの竜人でも、力を使えば微かにでもその気配が残るはずだが、現場にはなんの気配もなかった。
魔術師の再来――絶滅したと思われていた魔術師に、実はまだ生き残りがいるのではないか。
イルマは、その魔術師の1人なのではないか。
国の有力者たちが集う主要会議では、そんな推測が立てられた。
千ノ花の復活に加え、魔術師の存在は、竜人たちにとっての大きな脅威となり得る。
イルマの捜索と共に、引き続き注力して調べを進めていくことが決定したのだった。
(……イルマに覚えていた違和感は、間違いじゃなかった……)
「近いうちにきっと、面白いものが見られますよ」
カノンは、イルマが事件の前にそう言っていた事を思い出す。
それがつまり、千ノ花のことだった。
今も鮮明に浮かぶ、竜人たちが苦しみ、泣き叫ぶ姿。
(一体、それのどこか面白いというの?)
許せないと思う。
そして、千ノ花の恐ろしさも……こんなことは二度と起きて欲しくない。
そのためにも、一刻も早くイルマが見つかることを願うばかりだ。
「カノン、足元に気をつけて」
「ありがとうございます」
ギルバートに差し出された手を取り、カノンは地下牢に続く階段へ足を踏み出した。
先頭を歩く護衛騎士の後に続いて、ゆっくりと先へ進んでいく。
目的は、地下牢に収監されたルーシーに会うことだった。
いまだにカノンへの呪詛を吐き続けているというルーシー。
カノンは、ルーシーともう一度会わなければならないと思っていた。
「ああなった人間を、君には会わせたくない」
ギルバートはそう難色を示していたが、カノンが頼み込むと「自分も同行するなら」
との条件付きで許可を得ることができたのだった。
そうしてたどり着いた牢の前。
(……これが……ルーシーなの……?)
檻の中にあったのは、変わり果てたルーシーの姿だった。
白髪頭になった髪はところどころ抜け落ちてまだらになり、身体中には深い皺が刻まれていた。
皮膚は土色で、げっそりと痩せ細ったその姿はどこからどう見ても老婆そのものだ。
かつて美しいと持て囃されたルーシーの面影はどこにもない。
丸まった背中で、呆けたように焦点の合わない視線を一点に向けている。
その目がギョロリとこちらに向いて、カノンたちの姿をとらえた。
その途端、ルーシーの目には憎悪が宿る。
「お、まえぇえ゛……!」
ルーシーは声までガラガラに枯れていた。
ギルバートがカノンを守るようにさっと前に出る。
それを見て、ルーシーはますます眼光を鋭くした。
「……はっ、今は自分が守られる立場だって?
あんた、私のことを笑いにきたんだろ」
しゃがれた声でルーシーは続ける。
「満足?
私がこんな姿になって、いい気味なんでしょ。
だからわざわざこんなところまで来たんだろ。
……私に! 見せつけるために!」
カノンは静かに言葉を返した。
「……あなたのことを笑うつもりも、見せつけに来たつもりもないよ」
「それなら、歌姫様として慈悲でも与えにきてくれたっていうわけ!?
調子のんなよ、あんたの歌は呪いの歌!
親まで殺す歌のくせに……!」
“呪いの歌“――呪縛はもう解けた。
その言葉に、カノンが動じることはない。
「口を慎め。カノンに対するこれ以上の侮辱は許さない」
怒りを孕んだ声で、ギルバートがルーシーに告げる。
「な……っによ……何よぉ!!
またそいつだけ……カノンばっかりが……あああああああ゛!!」
ルーシーが髪を掻き乱して発狂する。
「……憎い憎い憎い憎い憎い……死んで……ねえ頼むから死んでよぉぉぉ!!
どうして私だけ? どうして何も得られなかったの?
どうしてええええぇぇ!?」
「……カノン」
これ以上は聞くに耐えないと、ギルバートがその場を離れることようカノンに促す。
「……ねえルーシー」
これが最後だと、カノンがルーシーに告げる。
「本来のあなたの、少しハスキーな歌声が……私は本当に好きだったよ」
嫉妬や憎しみの感情に囚われるだけでなく、生まれ持ったものを大切にしていたならば。
違う未来が、幸せが、きっとあったはずだった。
尚も発狂し続けるルーシーに、カノンの声は届かない。
“髪の色が似ているね“
そう2人で笑い合った幼い時のことが頭をよぎる。
「――さよなら」
もう二度と、会うことはないのだろう。
決別の言葉を最後に、カノンはギルバートと共にその場を後にした。




