【最終章】本当の歌姫
草花の絨毯の上に、カノンは立っていた。
ああ、ここはいつもの夢の中だ。
目の前には、竜がいる。
カノンは竜と向かい合っていた。
しかし今はもう、2人を隔てていた“見えない壁“は存在しない。
そっと手を伸ばすと、手のひらに伝わる少し冷たい鱗の感触。
心地良さそうに竜が喉を鳴らす。
やがて竜の姿が、段々と人の形……ギルバートの姿に変わっていって――カノンは目を覚ます。
「カノン……起きたのか……!」
「……ギルバート様……?」
一番最初に目に入ったのは、ギルバートの顔だった。
身体を支える柔らかい感触に、カノンは自分がベッドの上で眠っていたことを知る。
「身体は大丈夫か? どこかおかしいところはないか?」
ギルバートに支えられながらゆっくりと身体を起こす。
少し身体が軋んだけれど、それ以外はどこにも異常は感じない。
大丈夫の意を込めてカノンは頷いた。
「そうか……よかった。
君はここ一週間眠り続けていたんだ」
「い、一週間……!?」
咳き込んだカノンに、ギルバートが水を注いだグラスを手渡す。
カノンはお礼を言ってグラスを煽る。
乾いた喉を通る冷たさが心地よかった。
「一度にあれだけの瘴気を浄化したんだ。
その反動だろうな」
ギルバートの言葉にハッとする。
「そうだ、瘴気……ニアやみんな、瘴気に侵された人たちは無事ですか……!?」
「ああ、みんな無事だ。
狂化した者も回復して、死者は誰もいなかった」
「……よかった……」
安堵感から肩の力が抜ける。
よかった、これでもう苦しむ人たちはいないんだ。
カノンを見つめながら、ギルバートが優しい声で言った。
「君は、そんな声をしていたんだな」
「……あ……」
そこでカノンは、声が出るようになっていることに気づく。
(そうだ、私はあの日……)
両親の幻影と会い、自分の中の呪いを解き放って――この国を守るために歌った。
「この国の危機を救ったのは、間違いなく君だ。
君の歌が、瘴気を消し去ったんだ」
「わたしの……」
「まずは改めて礼を言わせてくれ。
この国を守ってくれて、ありがとう」
ギルバートが、カノンに向かって深々と頭を下げる。
「い、いえそんな、顔を上げて下さい……!」
顔を上げたギルバートが、真剣な眼差しでカノンを見つめる。
その瞳の中には、震えるような歓喜と有り余る程の慈しみが込められていた。
「カノン、君は俺が探し求めていた人そのものだった。
――君こそが、本当の歌姫だったんだ」
(私が……歌姫……?)
「でも、ルーシーは……?」
竜王の歌姫は、ただ1人のはず。
カノンの問いに、ギルバートが答える。
「彼女は歌姫ではない。
彼女の持っていた能力は、偽りのものだった」
そしてギルバートの口から、何故ルーシーが歌姫足り得る力を持っていたのか、
その全貌が明かされることになる。
ルーシーによる暴走。その時に身体に咲いた“瘴気を出す黒い花“
その正体は何だったのか。
ルーシーの部屋を調べて見つかった花の種の残骸の調査と、本人からの聞き取りにより、
ようやく明らかになった。
“千ノ花“――それがあの花の名前だった。
遥か昔、人族の魔術師と竜族を主にした争いが起きていた時代。
その際に、竜族を絶滅させることを目的に作られた兵器だ。
限られた環境と限られた魔術師。その2つが揃わないと作ることはできない。
作るためには千人の命を犠牲にする必要があることから、その名がつけられたという。
千ノ花は、種の状態で飲み込むことによって、その人――苗床の体内に根付く。
空気中の瘴気を取り込むことによって育つ特性を持っていた。
そして千ノ花は、まるで苗床の願いを叶えるように、苗床本人の能力を極限まで高める。
例えば“誰かのように歌いたい“と願えば――その歌声を変化させることだって可能だ。
しかしその力を行使する度に、取り込む瘴気は多くなり、花は体内でどんどん成長していく。
そして開花の時期が来ると、千ノ花はこれまで溜め込み続けた瘴気を解き放つ。
宿主の皮膚を突き破って花が咲き、養分を吸い上げられた苗床はやがて死に至る。
苗床が死んでも、育ち切った千ノ花が消えることはない。
溢れかえる瘴気を浄化し尽くさない限り、この世に瘴気を撒き散らし続ける兵器となるのだ。
千ノ花に苦しめられながらも、長い戦いの末に竜族は勝利を治めた。
それによって、千ノ花は禁忌とされた。
関連したものは全て消し去られ、二度と作られることがないように法を定めた。
今やその存在を知るものはいないだろうという代物。
ギルバートも、王家に伝わる古い文献に残っていた僅かな記述を、昔読んだことがある程度だった。
そもそも魔術師は絶滅し、今の時代には存在しないはずだ。
しかしルーシーは、何者かの手引きにより千ノ花の種を飲み込み、苗床となっていた。
カノンを誰より憎みながら、誰より羨んでいたルーシー。
“カノンみたいに歌えること“
それが心の底にある、彼女の願望だったのだろう。
瘴気を取り込むという千ノ花の特性、本来の歌姫であるカノンが声を失っていたこと。
それらの要因が積み重なって、ルーシーが竜王の歌姫だと誤認されていたのだった。
(……そんなことが起きていたなんて……だから、あの日……)
ギルバートの話を聞いたカノンは、ルーシーの歌声が変化した時のことを思い出していた。
「……それで、ルーシーは一体どうなったんですか……?」
苗床となった者はやがて死に至る――その言葉が頭に浮かび、恐々と尋ねるカノン。
「瘴気が浄化されたおかげで、千ノ花も消滅した。
彼女と、それから一緒に取り込まれた2人も一命を取り留めたよ」
「……そうですか……」
これまで散々虐げられてきた、ルーシーに対する恨みの感情は消えない。
それに、この国の人々を危機に陥れたことだって許せない。
けれど、生きていると聞いて安堵した自分がいることも事実だ。
「だが、花の養分とされた後遺症なのか……外見が、随分と変貌したようだ」
「変貌……?」
「ああ。以前とは考えられない……まるで、老婆のような姿にだ。
治療を施したが、今後も治る見込みはないそうだ」
「……そう、なんですね……」
ルーシーはいつも外見を重視し、煌びやかなドレスや宝石で飾り立てた己の美しさを誇っていた。
そんなルーシーが、老婆のような姿になった。
命を落とすことはなかったといえど、一体今どんな気持ちでいるのだろう。
「カノン」
名前を呼ばれ、カノンは考え込んで俯いていた顔を上げる。
ギルバートは手を伸ばし、確かめるようにそっとカノンの頬に触れた。
「やっと……やっと君を見つけることができた。
これからは君が、俺の歌姫だ」




