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異常事態②

泣き腫らして目を赤くした鳥人侍女に「今は近づかない方がいい」と言われたけれど、

カノンはいてもたってもいられず治療室の前にやって来ていた。


「っぐ……あああ゛あ゛……!」


大きな物音と、苦しげな悲鳴が聞こえきて、カノンは慌てて治療室の中に入る。


そこには、人型を保てず完全に鳥の姿となったラースの姿があった。

四肢には枷が嵌められていて、身体にも何重にもなった鎖が巻きつけられていた。

ラースが動くたびに、地面に打ち付けられるそれらが派手な音を響かせる。


悲鳴のような、唸りのような。

嘴の奥からは、聞いているだけで胸が締め付けられるような悲痛の声が絶え間なく溢れている。


大きな翼が鎖の中で抜け出そうともがくように羽ばたいていて、その度に抜け落ちた大量の羽が空気を舞った。


そのあまりに苦しげな様子に、カノンは慌ててラースの元へ駆け寄った。


普通なら、もう狂化が始まっていてもおかしくない。

しかしラースは、強靭な精神力によってギリギリのところで踏みとどまっているのだ。


「……出ていって、くれないかな……今の俺は、制御が効かない」


息も絶え絶えのラースは、それだけ言うのがやっとのようだった。


(でも……こんな状態のラース様を、とても1人には……)


「うぅ、う゛、あああああ……」


ラースはまた苦しげに呻き、それと連動するように羽ばたいた翼の先端が、カノンの頬を掠めた。

鈍い痛みが頬に走り、生暖かい液体が滴り落ちる。

そっと手のひらを当てれば、真っ赤な血が付着して。


カノンの頬には、横一文字に切り裂いたような傷ができていた。


それを見たラースが、ハッと目を見開く。


「……だから言っただろ……」


大丈夫だと伝えようとしたカノンが一歩踏み出そうとするのを、ラースは鋭い眼光で止める。


「――出ていけ」


ラースの言葉と連動するかのように、治療室のドアが開いた。


「ここにいるのは危険です。

これからは騎士団以外立ち入り禁止となりますので……こちらに」


そして入ってきた数名の騎士たちによって、カノンは部屋の外に連れ出された。




「団長!」


カノンが治療室の外に出ると、団長と呼ばれたその人に向かって周囲の騎士たちが一斉に頭を下げた。


「おう。様子はどうだ?」


強靭な肉体と強さを誇る、この国の“剣”――騎士団長を務める男だ。


「かなりギリギリの状態です。

正直いつ暴走を始めてもおかしくないかと……」


部下の発言に、騎士団長は眉根を寄せる。


「……そうか。

俺たちゃギルバート様の言葉を信じているが……最悪の場合も想定しておかないとならねぇな」



(最悪の場合って、それはつまり……)


嫌な想像に頭を振る。

目の前であんなに苦しんでいる人がいたのに、何もできない自分の無力さが恨めしかった。


ギルバートは、自分が治療薬を持って帰ってくると言った。

カノンにはただ、その言葉を信じることしかできない。



その時、治療室の中から一際大きな破壊音が響き、中にいる騎士の1人が焦ったように叫ぶ。


「鎖が破られました!

もう限界です……!」


(……そんな……!)


「―――ギルバート様、戻られました!」


絶望的な状況の中、誰もが待ち望んでいた言葉が聞こえた。

こちらへ駆けてくる騎士が、そう叫びながら何かを掲げる。


「治療薬はここにあります……!」




目の前に横たわるラースが、穏やかな寝息を立てていることにホッとする。

カノンの隣に立つ鳥人侍女たちは、何度も良かったと口にしながら涙をこぼしていた。


「本当に、本当にありがとうございます……ギルバート様……!」


全身に傷を作り、疲れた顔をしたギルバートは、しかしその言葉に「ああ」と微笑んだ。


「俺にとっても、ラースは大切な存在だ。

本当に――間に合って良かった」



ギルバートの持ち帰った治療薬は、すぐにラースに投与された。

その結果、ラースは瘴気の苦しみから解放されることができた。


狂化寸前にまで陥った分、回復にも時間はかかるようだが、数日もすれば目を覚ますだろうということだった。


竜化した際には、この国で一番早くのだという飛べるギルバート。

しかしそれでも、フォーゲルまで行き来するには時間が足りなかった。

そこでギルバートは近隣国に出向き、短時間での交渉の末、治療薬を譲り受けることに成功した。

そうして、ラースの元に無事治療薬が届けられたという訳だ。


けれどかなり無茶な飛び方をしたようで、ギルバートの身体中は傷だらけになり、顔色だって随分と悪い。


「……おっと」


座っていた姿勢から立ちあがろうとしたところで、僅かにふらついたギルバートの体をカノンが支える。


「カノン」


カノンと目が合うと、ギルバートは少し困ったように微笑んだ。


「君にも心配をかけたな。すまない」


そう言って、カノンの瞳にたまった涙を優しく指で拭う。


(良かった……本当に、良かった)



そうしたら、もっと涙が溢れてきて。

カノンは泣き笑いのような表情で、ギルバートと見つめ合うのだった。





「色々と心配かけたね」


ラースの言葉に、カノンは首を横に振る。


『ご無事でよかったです』


カノンの言葉を見て、いつものように綺麗に微笑むラース。


――あれから、治療薬投与の甲斐あってラースは回復を遂げた。

数日は大事をとって安静にしていたけれど、今はすっかり顔色も良くなっている。


「ねえカノン、今回は本当にありがとう」


『そんな、私は何もできていないです』


「あんな状態の俺のそばにいてくれようとした。

それだけで気持ちが救われたんだ」


ラースはじっとカノンの顔を見て、少し眉を下げた。


「頬に傷が残ってる。

……ごめんね」


ラースの翼が掠めてできた切り傷は、王族御用達のよく効く薬を塗って貰えたおかげで、大した傷跡にはならなかった。

けれど頬にはまだ赤みの残る傷があり、ラースはそれを気にしているようだった。


『大丈夫です。すぐに治ります。

それに少しくらい傷が残ろうと誰も気にしません』


それを見て、ラースはまた困ったように笑う。


「ダメだよ、女の子の顔に傷が残るなんて。

それに()()()が気にしないなんて有り得ないから」


(……アイツ?)


「まあ、アイツなら例えキミに消えない傷ができようと、丸ごと受け止めるだろうけど」


要点の掴めないラースの言葉に、カノンは首を傾げる。

そんなカノンを見て、ラースはどこか意味深に笑うのだった。



「ねえ、カノンの淹れた紅茶が飲みたいな」

そんなリクエストに応えて、カノンはラースの元に紅茶を運ぶ。


そうしたらやっぱり同じテーブルに座るように促されて、ラースと向かい合って腰掛けた。


紅茶を一口飲んだラースが「美味しい」と柔らかく微笑む。


「こうして一緒に過ごすのも、あと少しになるね」


(そっか、あと少し……)


予定通り、ラースはもう間も無く帰国することが決まっていた。

だからカノンがラースの侍女を務めるのも残り僅かな間。


こうして向かい合ってのティータイムなんて、これで最後かもしれない。


「ねえカノン、これは1つの提案なんだけど」


早くも物寂しい気分になっていたところにかけられた言葉に、カノンは顔を上げる。


「俺と一緒に来ない?」


(……え?)


思いもしない言葉に、目を瞬かせる。


『私が……フォーゲル国にですか?』


「そう。

何度か見ていて思ったけれど、歌姫様はカノンに対する当たりが相当強いよね?」


ルーシーがカノンに辛く当たっていることは噂になっていたし、ラースにもその現場を見られていたのかもしれない。

カノンはずっとルーシーに虐げられ続けてきた。


「それに、彼女が腐っても歌姫である限り、ギルバートとは切っても切れない縁で繋がれていることになる。

それをそばで見続けないといけないなんて、辛くない?」


(この人には、私の気持ちなんてお見通しなのかな)


見透かすような目で、じっとカノンを見つめてくるラース。


”ギルバートに愛されなければ、歌姫なんてやる必要がない“とまで言い放っていたルーシー。

そんなルーシーは、ギルバートの隣にあり続けるのだろう。


カノンはギルバートへの想いを抱えたまま、そんな2人の姿を見続けるだけ。


ギルバートが優しくしてくれて、名前を呼んで、微笑んでくれて。

自分は“特別”なのではないかと、自惚れそうになることもあった。


けれどきっと、カノンはそれ以上になれない。


「フォーゲルに来たら、カノンをいじめるヤツなんていない。

連れていくからには、辛い思いはさせないって約束するよ」


(でも……それでも、)


この国には、ニアを始め良くしてくれた竜人侍女たちがいる。

せっかく仲良くなれた彼女たちと、これからも共に働いていたいと思う。


それに何より……ギルバートのそばにいたい。


だから――


『私は、この国に残ります。

辛くても、少しでもギルバート様のそばにいたいと思うんです』


愛しい人が治める国を、生きていきたいと思うのだ。


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