異常事態
突如として、ラースが倒れた。
「――ラース様!」
その事実に、城内は騒然となった。
はじめにラースの不調に気づいたのは、カノンだった。
立ち上がった時に、微かにふらついたラースの体。
「ん、大丈夫。
ちょっと疲れてるのかな」
その時はそう軽く流されるだけだったけれど、それからすぐに頭痛に吐き気……不調は別の形となってラースに現れて。
立つことすらままならなくなった末に、ラースは倒れ込んでしまった。
医者にも、ラースが突然こうなってしまった原因は分からなかった。
苦しむラースの背中からは鳥人の翼が露出し、その羽が抜け落ち始めた。
その症状は、限度量以上の瘴気を浴びた時のそれと酷似していた。
しかし、不可解な点がいくつもあった。
一般的に竜人と鳥人を比べると、力では竜人の方が勝っている。
しかし瘴気の耐性度は、鳥人の方が勝っている。
それにも関わらず、今この城内で瘴気による影響を受けているのはラースただ1人。
王族であるラースは、日頃から瘴気をその身に溜め込むことがないよう徹底されているはずだ。
近隣の瘴気濃度も規定値以内で、特に問題はない。
それなのに何故?
原因は不明、まさに異常事態だった。
理由は分からずとも、ラースの不調が瘴気によるものであるならば、適任はただ1人しかいない。
瘴気に対する最大の特効薬である――歌姫。
ルーシーの元には、ギルバートをはじめミドルやお付きの騎士などが集まっていた。
客人であるフォーゲルの王子が倒れたというのは、国家問題にもなりかねない一大事だ。
張り詰めた空気の中、ギルバートがルーシーに問う。
「――という訳で、君の歌でラースの治療を頼みたい」
カノンもラース付きの侍女として、少し離れた場所からその様子を見守る。
上限を超えて瘴気に侵された者は、放っておけば狂化の道を辿ってしまう。
そして、治療がなされるまでは地獄の苦しみを味わうという。
だからこそ、より早く治療をする必要があるのだ。
(でも、これできっとラース様も楽に……)
「――嫌」
しかし聞こえたルーシーの返答に、耳を疑った。
それは周りも同じだったようで、ざわめきが起こる。
「だって、ラース様は私のことが嫌いのようですし。
そんな相手から助けられるのはお望みじゃないと思いますよ?」
ルーシーは半笑いのような表情で言った。
「今は好きとか嫌いとか、そんなことを言っている場合ではない。
一刻を争う事態なんだ」
ギルバートは真剣な表情でルーシーに告げる。
けれどルーシーは、不満げな表情を隠さずに言い放つ。
「じゃあ、あの人が“酷い態度をとってごめんなさい。助けてください”
って私に土下座でもして謝罪するなら、治療してあげてもいいですよ」
「いい加減にしろ。
これからも歌姫を名乗るつもりがあるのなら―――拒否は許さない」
空気が重く張り詰めるような、怒りと威圧を含んだ低い声。
ギルバートの鋭い視線を受けたルーシーは、ビクッと肩を揺らした。
そしてわなわなと震え始めたかと思うと、弾けるように叫んだ。
「……元はと言えば、ギル様が悪いのよ!
私を受け入れてくれない!
私はすごいはずなのに、ちっとも思い通りにならない!」
そこで、ルーシーとカノンの視線が重なる。
その瞬間、ルーシーはより一層顔を険しくさせて、声を張り上げた。
「ギル様に愛されないなら、歌姫なんてやる意味ないの!
ねえ、私の力が必要なんでしょ? 助けて欲しいんでしょ?」
周囲が唖然とする中、ルーシーは喚き続ける。
「それなら私をちゃんと愛するって言ってよ!
そして、私を妻にするって約束して?
ねえギル様! ねえ……!?」
しかし次の瞬間、ルーシーは頭を抱え込むように両手で抑えた。
「っぅううう゛ぁ……!」
咆哮のように苦しげに呻き、膝をつく。
「おい、どうした!?」
「ルーシー様……!?」
ギルバートやミドルがギョッとして駆け寄る中、ルーシーは電池が切れたようにその場に倒れ込んだのだった。
倒れ込んだルーシーには発熱があった。
医者の見立てによると、倒れたのは発熱の中興奮した影響もあるだろうということだった。
熱も流行り風邪由来のものであると見られ、命に別状はないらしい。
しかし高熱のため、意識は朦朧とした状態のまま寝込んでいる。
そんな状態のルーシーが、ラースの治療を行うことは不可能だ。
そんな中、ギルバートは迅速に判断を下す。
「――治療薬を取り寄せよう」
この国、ラシエルの竜王には必ず歌姫が現れるとされている。
しかし鳥・蛇・狼……竜以外の種族の王が治める国には、歌姫が生まれないことがある。
そんな歌姫を持たない国の瘴気に対する救済策として、治療薬が存在する。
しかし治療薬は希少で高価なものであり、各国への流通数なども制限されていて、基本的には王侯貴族しか使うことが叶わない。
大多数の庶民は良くて進行を遅らせる薬で凌ぐ程度だ。
だからこそ、歌姫は世界的に見ても貴重な存在なのだ。
国交として他国に赴き、歌でその国の民衆を癒すことも歌姫の仕事の一部とされる。
最強の竜種と歌姫が共にあるラシエルは、各国に多大な影響力を持ち栄えている。
しかし竜人は、その分最も瘴気の影響を受けやすく、治療薬も効かないという特徴があった。
ラシエルは治療薬の保有が認められていないため、フォーゲルから治療薬が取り寄せられることになった。
ギルバートの的確な指示とフォーゲルとの連携により、輸送隊は今日中にも到着する見込みだという。
治療室の中に、カノンは入室する。
そこには荒い息を吐きながら、ぐったりとベッドに倒れ込むラースの姿。
背中からは翼が生えたまま、今は手足も鳥化していた。
ラースの侍女たちは、交代でラースの看病を担っていた。
カノンはラースの体にそっと触れる。
「……カ、ノン……」
視線だけがゆっくりとこちらに向き、ラースがカノンの存在を視認する。
ぐっしょりと汗をかいていた上の服を脱がせ、濡らしたタオルで丁寧に拭いていく。
今カノンにできるのはこれくらいしかないから、せめて少しでもラースに楽になって欲しかった。
「ありがと……」
こんな状況でも笑ってこちらを気遣おうとする、そんな姿に胸が痛んだ。
カノンの足元には、ラースから抜け落ちた羽が数多も散らばっている。
鳥人のラースがこのまま瘴気の影響を受け続けたら、やがてこの翼は腐り落ちてしまうのだという。
そして二度と飛べなくなって、狂化の末に死に至る……そんな最悪の未来を、想像するだけでゾッとする。
(大丈夫……もうすぐ治療薬がくるはず。
あと少し、あと少しの辛抱だから……)
苦しむラースを前に、カノンはただ治療薬の到着を待ち侘びることしかできなかった。
――けれど。
そんなカノンに届いたのは、信じられない知らせだった。
「何だって!?
輸送隊が……襲われた!?」
輸送隊が道中で、何者かの襲撃を受けてほぼ壊滅状態の上、治療薬も奪われた。
自国の王子の危機に駆けつけるために組まれた精鋭たちが、どこぞのゴロツキなどにやられるはずがない。
それでいて、まるで予めこちらの情報を知っていたかのような襲撃。
明らかな異常事態だった。
そしてそれはつまり――ラースの元に治療薬が届かないということ。
ラースの症状は、悪化の一途を辿っている。
再度治療薬が届くのを待とうにも、その頃には恐らく手遅れだ。
治療薬は、狂化が本格的に始まってしまってからでは効果がないのだ。
そして、ルーシーは未だ目を覚まさない。
つまり、ラースを助ける手段が絶たれたということ。
(……そんな……)
治療薬を待ち望んでいたのは皆同じだった。
これまでずっとラースに仕えてきた、鳥人侍女の2人。
気丈に振る舞っていた彼女たちが「どうして」と涙を流す。
(このままじゃラース様は……)
カノンの心にも絶望が広がる。
「――皆、落ち着け」
混沌とした空気の中に、凛とした声が響いた。
皆が縋るようにその声の主、ギルバートを見つめる。
そんな中で、ギルバートは力強く言い放った。
「大丈夫だ――俺が何とかする」




