はじめてのお出かけ
「ラースとは上手くやっているみたいだな」
今日もカノンは裏庭にて、ギルバートと2人の時間を過ごしていた。
『はい。良くしていただいています』
ギルバートの言葉に、すっかり慣れた筆談でそう返すカノン。
「そうか……良かったな」
しかし今日のギルバートは、いつもと少し違うような気がした。
何かを言いたげというか、考え込んでいるというか。
「アイツもカノンを気に入っているようで、俺にもカノンの話ばかりをしてくるよ」
でも、とギルバートの視線がカノンと重なる。
「その度に俺は……アイツに嫉妬する」
(……それって……)
告げられた言葉に、心臓が高鳴る。
“それって、どういう意味ですか?”
書き出そうとして、けれど悩んで指が止まる。
知りたいけれど、知りたくない。
騒ぎ立てる心臓と共に、ただギルバートを見つめることしかできなかった。
「……ところで、ラースに聞いたが城下町に行ったことがないというのは本当か?」
沈黙を破ったのは、ギルバートからの新たな質問だった。
カノンはこくりと頷く。
これまで神殿でこき使われて、ろくに休日も与えられていなかった。
そんなカノンには、休日どこかへ遊びに行くといった概念がない。
城に来てからはしっかりと休日が与えられていたが、それでもカノンは私用で外に出かけたことはなかった。
そんなことを、この間ラースとの会話の中で答えていた。
「俺は定期的に、城下町の視察をしているんだが……次の視察に、カノンも一緒に来ないか?」
思いもよらぬ提案に、カノンは目を丸くする。
『私なんかが一緒に行っても大丈夫なのですか?』
「ああ。視察と言っても町、人に扮して城下町を見て回るだけの気軽なものだ」
視察とはいえ、ギルバートと一緒に初めての城下町。
(でも……)
返事を躊躇うカノンに対して、ギルバートが優しく問いかける。
「カノンが行きたいか、行きたくないか。
素直な気持ちを教えてくれ」
『行きたい、です』
その返事を見たギルバートが、にっと笑う。
「じゃあ決まりだな」
そして、約束当日がやって来た。
城の外での待ち合わせ場所に、カノンはそわそわと落ち着かない気持ちで立っていた。
(こんな格好で大丈夫かな……)
仕事着以外の服をろくに持ち合わせていなかったカノン。
手持ちの中でまだマシなものを着て来たけれど、それでも見窄らしさは拭いきれないように思えた。
「――カノン」
聞こえた声に、弾かれたようにカノンは顔を上げた。
「すまない、待たせたか」
現れたのはギルバートだった。
しかし、ギルバートの見た目はいつもと違っていた。
漆黒の髪は茶色に、そして服装も庶民的なものとなっていた。
「ああ、今日はお忍びだから変装してる」
カノンの視線に応えるように、ギルバートが言った。
新鮮な姿に思わず見惚れてしまう。
そんなカノンに向けて、ギルバートが微笑んだ。
「――行こうか」
(わぁ……!)
露店が並び賑わう町並みに、たくさんの行き交う人々。
初めて見る城下町に、カノンは圧倒されるばかりだった。
(あれは何だろう?
あ、あれも……初めて見る)
キョロキョロと辺りを見渡しながら、その顔には自然と笑みが浮かんでいて。
ギルバートは、そんなカノンのことを優しい瞳で見つめるのだった。
男の人と肩を並べて町を歩く。
こんな経験も生まれて初めてだ。
しかもそれが、あのギルバートとなんて。
緊張は残りつつ、浮かれる気持ちは隠せない。
(これはあくまで視察なんだから……)
変装をしているから、次代竜王であるギルバートが城下町にいることに誰も気づいていないようだ。
しかしその美しさは隠せないようで、すれ違う女性がギルバートのことを振り返る。
その横顔を見上げれば、目が合って。
「どうした?」
その声があまりに優しいから、きゅうっと心臓が痛くなった。
決して手の届くことのない存在だと思っていた。
(だけど今は――いつもよりこの人を近くに感じる)
それは突然のことだった。
曲がり角から飛び出してきた何かが、カノンにぶつかってきたのだ。
「カノン!」
よろめきそうになった体を、ギルバートが支えてくれる。
改めてぶつかってきた何かを確かめる。その正体はまだ幼い子どもだった。
子どもはぶつかった反動でひっくり返るように尻もちをついている。
その手に握られていたらしいアイスは、今はべったりとカノンの衣服を汚していた。
何が起きたか理解できずにカノンたちを見上げていた子どもの瞳に、涙が溜まっていく。
そして次の瞬間、わっと声を上げて泣き始めた。
恐らく買ったばかりのアイスだったのだろう。
子どもの視線はカノンの衣服についたアイスに向けられていた。
食べることのできなくなったことを理解して、更に泣き声が大きくなる。
(近くにお店は……あった!)
辺りを見渡し、子どもが駆けてきた曲がり角の奥に目的のお店があることを確認して、カノンは走り出す。
侍女の仕事で得た給金を持ってきていて良かった。
子どもが持っていたものと同じアイスを買い直し、カノンは元の場所へと急ぐ。
子どものそばには、ギルバートが少し困ったような顔でしゃがみ込んでいた。
カノンは同じように、子どものそばにしゃがんで目線を合わせる。
そして子どもに新しいアイスを差し出した。
ぴたりと泣き止み、差し出されたそれを子どもが見つめる。
「……くれるの?」
その言葉にカノンが頷くと、子どもの目がパアッと輝いた。
「おねーちゃんありがとー!」
「危ないからもう走らないようにな」
嬉しそうにアイスを受け取った子どもは、ギルバートの言葉にも「うん」と素直に頷く。
「すみません、うちの子が何かご迷惑を……!」
そうしているうちに、子どもの母親が慌てた様子で駆け寄ってきた。
ペコペコと頭を下げる母親に連れられて、「ばいばーい!」と元気よく子どもが帰っていく。
(よかった、笑ってくれて)
カノンも笑顔でそれを見送った。
「カノンは、優しいんだな」
(優しい……?)
泣いている子どもが笑ってくれたら、それが一番。
それが自分の中での当たり前であるカノンは、ギルバートの言葉に首を傾げる。
「イヤな顔ひとつしないで、自分の心配よりまず人の心配。
それは当たり前のようで中々できないことだ」
ギルバートはそう言って、カノンをじっと見つめる。
「君のそういうところが――いや」
何かを言いかけた言葉は、聞けずじまいのままだった。
「それよりも、服が汚れてしまったままではいけない。
どこか着替えられるところに行こう」
アイスがついてしまった服をそのままにはできない。
ということで、ギルバートに連れられてやって来たのはとある洋服店だった。
「これなんて似合いそうだ」
ギルバートにそう勧められて着替えた服は、城下町を歩くのにちょうど良いくらいの、けれど質の良い綺麗なワンピース。
(かわいい……)
仕事着以外で、こんなちゃんとした服を着るのは初めてかもしれない。
自然と口元に笑みが浮かぶ。
「気に入ったみたいだな。
じゃあこれを着ていこうか」
そんなカノンの様子を確認したギルバートが、お店の人を呼んでさっと会計を済ませてしまう。
(そんな、ギルバート様に買わせてしまうなんて……!)
持ち歩いていた筆談用の紙に、慌てて『自分で払います』と書いて掲げる。
しかしギルバートがそれを制した。
「今日付き合って貰ったお礼として、これくらいは贈らせてくれ」
(本当にいいのかな……。
でもせっかくの思いを、無碍にもできない)
逡巡の後、カノンは「ありがとう」を伝えるために深々と頭を下げる。
「どういたしまして。
カノン、もう一回よく見せて」
顔を上げたカノンの姿を、ギルバートがまじまじと見つめる。
それから瞳を愛おしげに細めて言うのだった。
「よく似合っている。
――可愛いな」
心臓の鼓動が嘘みたいに早くなって、今日が命日なのかもしれないと、カノンは本気でそう思うのだった。
新しい服を着て街中を歩けば、何だか前よりも人からの視線を感じる気がした。
視線の先に目を向ければ、カノンと目が合った男が慌てたようにパッと目を背ける。
(気のせいかな……?)
小首を傾げるカノンは、その後ろでギルバートが、カノンに視線を送る男たちに鋭い眼光を向けて牽制していることに
気づかないのだった。
ギルバートと一緒に、様々な露店を見て回る。
そのうちの一つ、装飾品をメインで扱う店で見つけたそれ。
それは、丁寧に編み込まれた花の髪飾りだった。
(……綺麗……)
自然と目を惹かれ、じっと眺める。
「それが欲しいのか?」
隣からギルバートに声をかけられ、カノンは慌てて首を横に振った。
(こんな綺麗なもの、私なんかには似合わない)
『見ていただけです』
そう返して、カノンはさっとその場から離れるのだった。
その後も、いくつかの露店を見て回った。
「すまない、用を思い出した。
すぐに戻るから、ここで少し待っていてくれ」
そんな中でのギルバートの言葉に、カノンは素直に頷く。
「ありがとう。
君は気づいていなかっただろうが、今回は護衛も者たちも同行している」
ギルバートの言葉に驚いて、キョロキョロと辺りを見渡すけれどそれらしき人は見つからない。
そんなカノンの様子を見て、ギルバートが小さく笑いをもらした。
「あいつらは目立たないように紛れることのプロだからな。
それに、今回はなるべく離れてついてきて貰うように頼んである」
考えれば、竜王であるギルバートの外出時に護衛がつくのは当然のことだ。
「だからカノンも特に気にせず過ごしてくれ。
俺が離れる間は、護衛がついているから何かあれば守ってくれる」
ギルバートが心配してくれることが嬉しくて、小さく微笑みながらカノンは頷く。
そしてギルバートを見送ってから、カノンは1人で近くの露店を見始めた。
洋服を買って貰ったお礼として、ギルバートに何かを贈りたい。
カノンはそう考えていた。
でもギルバートは、欲しいものは何でも手に入るような立場の人。
そんな相手に、一体何を送ればいいのだろう。
カノンの手持ちでは、買えるものだってたかがしれている。
でも……せめてもの気持ちを伝えたい。
そう思って視線を彷徨わせていれば、目に留まるものがあった。
それは、ギルバートの瞳の色を思わせる赤い石がはめ込まれたブローチ。
そんなカノンに、老婆の店主が声をかけてくる。
「お姉さん、これが気になるかい?
これはね、ただのブローチじゃなくてお守りなんだよ。
東のほうから古く伝わるもんでね、“いつまでも健やかで幸せでありますように”
そう願う相手に渡すといい」
“いつまでも健やかで幸せでありますように”
それを願う時、一番に頭に浮かぶのはただ1人。
――ギルバート。
迷いの末、カノンは購入を決める。
商品を包み、カノンに手渡す際に店主は思い出したかのように言った。
「そういえば……これを想い人に渡せば“永遠に深い愛で結ばれる”そんなジンクスもあるらしいね」
(ギルバート様と、永遠に……?)
反射的に赤く染まる頬。
どんな反応をすればいいか分からなくて、カノンは店主に向かってぺこりと頭を下げた。
「見せたい場所があるんだ」
戻ってきたギルバートは、そう言ってカノンを連れ出した。
そうして辿り着いたのは、街の高台。
(わぁ……!)
高台からは、夕焼けに染まる街並みを見渡すことができた。
あたたかな光に包まれる街は、とても綺麗で煌めいて見えた。
「綺麗だろう?
ここからじゃないと見られない景色だ」
眼下に広がる景色に目を奪われながら、カノンは頷く。
「俺がお忍びで街に来る時は、いつもここに来るんだ。この景色を君にも見せたかった」
ここは、ギルバートのお気に入りの場所なのだ。
そんなところに連れてきて貰えたことが素直に嬉しくて、カノンは微笑む。
(……渡すなら、今かもしれない)
カノンは先ほど露店で購入したブローチを取り出した。
ブローチはプレゼント用の綺麗な包装紙に包まれている。
カノンはおずおずと、ギルバートに向かってそれを差し出した。
「……俺に?」
カノンが頷いたのを見て、ギルバートがそれをそっと受け取った。
『洋服のお礼に、もし良ければ受け取って下さい』
「わざわざ用意してくれたのか。ありがとう。
……開けてもいいかな?」
カノンは頷いて、ギルバートが丁寧に包装紙を剥がしていくのを見守る。
「これは……ブローチ?」
『はい。
“いつまでも健やかで幸せでありますように“
そう願う相手に渡す、お守りでもあるそうです』
想い人に渡せば“永遠に深い愛で結ばれる”
そんなジンクスがあることは、さすがに言えなかった。
「それを俺に……ありがとう」
普段ギルバートが身につける装飾品は、これとは比べ物にならないくらいの高級品だろう。
けれどギルバートは快く受け取ってくれた。それが嬉しかった。
「似合うか?」
早速ブローチを胸元に取り付けたギルバートが、そう尋ねてくるのにカノンは何度も頷いた。
「じゃあ、俺からも……これを」
そう言ってギルバートが、カノンに何かを差し出した。
それは先ほどと同様に、綺麗な包装紙に包まれている。
そっと受け取って開けてみる。
中から出てきたのは、丁寧に編み込まれた花の髪飾り。
(これって……)
それは、カノンが目を惹かれつつも買わずに諦めたあの髪飾りだった。
「店先でしばらく眺めていただろう」
だから、わざわざ買ってくれた?
いつ?
もしかして、用があると離れたあの時だろうか。
戸惑いの中に、嬉しさがじわりと滲む。
「君に似合うと思ったから買ったんだ。
……受け取ってくれるか?」
『ありがとうございます。
一生大切にします』
この瞬間から、この髪飾りはカノンの宝物になった。
ギルバートが見守る中、髪飾りをそうっと髪につけてみる。
「やっぱり似合うな」
カノンのことを真っ直ぐに見つめ、ギルバートは優しく微笑むのだった。
互いに贈り物を身につけながら、カノンとギルバートは暗くなり始めた街並みを見下ろす。
「こうやって喜ぶ顔を見れるのはいいものだな。
次はカノンの誕生日の時にでも、また何か贈らせてくれ」
そんなギルバートの言葉に、カノンは思わず身を固くした。
「カノン、君の誕生日はいつなんだ?
……どうした?」
そんなカノンの様子に気づいたギルバートが、心配そうに覗き込む。
(だって、私の誕生日は……)
言おうか言わまいか悩んだ末に、カノンは正直に打ち明ける。
『私の誕生日は、今日なんです』
カノンの言葉を見て、ギルバートもギョッとした顔をする。
「今日……!?
いやそれは予想外だったな……」
カノン自身、ギルバートに問われるまで誕生日を意識していなかった。
いや、意識しないようにしていた。
カノンにとって誕生日は、両親が死んだ日でもあった。
悪夢のようなあの事件を思い出し、自分の存在を呪う……それだけのものだったから。
それに、あの事件があった12歳以降、誰からも祝われることもなかった。
「すまない、今日が誕生日だとは知らず……俺の用事に付き合わせるばかりだった」
『いえ、私の誕生日に価値はありませんから。
少しでもギルバート様のお役に立てた方が有意義です』
カノンの言葉を見て、ギルバートが眉根を寄せる。
「……価値がない?
少なくともたった今、俺にとっては最も価値のある日になった」
(……え……)
「君がこの世に生まれてきてくれたことを、心から嬉しく思う」
その言葉は、真っ直ぐカノンの心へと響いた。
自分なんて、生まれてこなければと何度も思った。
こんな私には、誰かに誕生日を祝ってもらう資格なんてある訳ないのだと。
「誕生日おめでとう、カノン」
――でも、この人の言葉が何よりも嬉しいと思ってしまう。
瞳にたまった涙が、堪えきれずに溢れた。
ギルバートはまたギョッとした顔をして、それからそっとカノンに手を伸ばした。
「……そんなに泣くと、目が溶けてしまいそうだ」
そう言って、指の腹で優しくカノンの目尻を拭う。
ああ、もう誤魔化せない。
――ギルバートのことが好きだ。
この人のことが、何よりも大切で愛おしい。
「誕生日なら、もっと高価なものを贈れば良かったか」
指先が髪飾りに触れて、ギルバートが呟いた。
カノンは首をブンブンと横に振る。
(これでいい。あなたのくれた、これがいいんです)
書き出さずともその思いが通じたのか、ギルバートが優しく目を細める。
(今だけは、この幸福を抱えたままでいさせて)
瞳にとまらない涙を滲ませながら、カノンもそっと微笑み返すのだった。




