ラースのお世話係
まだ少し慣れないな。
最近では、短くなった前髪に触れるのが癖のようになってしまった。
侍女の仕事をこなしながらカノンはそんなことを思う。
いつものように仕事をしているのに、広がった視野で見る世界はこれまでよりも綺麗なものに見えるから不思議だ。
「ねえ」
次の持ち場へ行くために移動するカノンのことを、呼び止めたのはその声だった。
立ち止まって声の方へと振り向けば、そこには1人の男が立っていた。
「キミがカノン?」
この人は――確か、フォーゲル国の王子・ラース。
遠目に姿を見かけたことはあったけれど、こうして対面するのは初めてだ。
背の高さは、ギルバートよりも少し低いくらいだろうか。
カノンにとっては十分高く、自然と見上げるような形になる。
「それで、キミがカノン……でいいんだよね?」
再び問いかけられて、カノンは慌てて首を縦に振る。
「ああごめん、声が出ないんだっけ」
ラースは思い出したようにそう言って、「YESなら頷いて、NOなら首を横に振ってくれればいいよ」と付け足した。
その言葉に頷くカノン。
でも一体、ラースは何故ここに来たのだろうか。
「歌姫様のお付きの人間は3人。
でも最近、2人は脱落しただろ?
だから残った1人はどんな子なのか気になって……会いに来てみた」
そう、にっこりと微笑むラース。
どう反応すれば良いか分からなくて、カノンも曖昧に笑い返す。
この国一番の美形と言われれば、誰しもギルバートの名を上げるだろう。
しかし目の前にいるラースも、誰が見ても頷くような美形だ。
ラースはカノンをじっと見つめたかと思えば、すっと片手を伸ばす。
「確か、前はもっと顔が隠れるような髪型だったよね?
前髪切ったんだ?」
ラースの伸ばした指先が、カノンの髪に触れる。
そして、カノンを見つめ、誰もが見惚れるような笑みを浮かべながらラースは言う。
「可愛いね。よく似合ってる」
”可愛い“
それは、ギルバートが漏らしたのと同じ言葉。
けれどくすぐったくて恥ずかしくて、心臓が破裂しそうな程にドキドキする……あの時のような熱は宿らない。
でもラースのような人にも褒めてもらえるなんて恐れ多いながら光栄だと、カノンはペコリと頭を下げた。
そんなカノンの反応が意外だったように、ラースは目を丸くする。
「……なるほどね」
小さく呟いた後に、ふっと笑って。
「……?」
「仕事の邪魔してごめん。
またね――カノン」
そう言ってあっさりと去っていくラースの後ろ姿を、カノンは不思議そうに見つめるのだった。
そんな初対面から、さほど時を置かずに次はやって来た。
シーツ類の洗濯を終え、ふうとひと息ついた頃。
「カノン」
名前を呼ばれて振り向けば、そこにはラースがいた。
「え、ラース様?」
「なんでこんなところに……?」
周囲にいた竜人侍女たちは、突然のラースの登場にざわめいた。
自然と視線はカノンとラースに集中する。
「キミにもう一度会いたくなって」
そう言って微笑みを浮かべるラースに、侍女たちのざわめきがより大きくなる。
自分には、ラースのような人から名指しされる程の立場も親密さもない。
そうはっきり自覚のあるカノンは、冗談が好きな人なのだろうかと内心で首を傾げた。
とりあえずペコリと頭を下げておく。
「……ふっ」
そんな反応を見て、ラースはまた笑いをもらした。
「今日も頑張ってるね」
ラースは綺麗に干されたシーツたちを眺めてから、再びカノンに目を向ける。
「仕事は好き?」
問いかけられて、カノンは迷いなく頷いた。
「周りはみんな竜人だろうけど……仲良くやってるみたいだね」
カノンがちらりと目を向ければ、ニアとマーガレットと目が合った。
ニアはいつも通りの無表情だけれど、マーガレットは何かを期待するような目でグッと親指を立ててくる。
その意図がよく分からず、カノンはまた曖昧に笑い返した。
「ギルバートも褒めてたよ。
キミはよくやってくれてて、評判もいいって」
「……!」
ラースの口から出たギルバートの名前に、ぴくりと反応するカノン。
ギルバートが褒めてくれていた。
その事実を噛み砕き、込み上げる嬉しさに自然と頬が緩む。
そんなカノンのことを観察するように見ていたラースが、再び口を開く。
「それで俺も、キミのこと気に入っちゃった。
だからさ、俺のお世話係になってよ――カノン」
ラースの滞在に付き添ったフォーゲルの鳥人侍女が2人。
これがラースのお世話係についている侍女たちだ。
これまではそこに竜人侍女も1人いたのだが、諸事情により仕事を離れたらしい。
穴埋め的な形でカノンが加わるというのは、完全にラースの思いつきのようだ。
「カノン、もしイヤならそう言えばいい」
ニアは私を心配してそう言ってくれたし、事情を知った侍女長もまずカノンの意思を尊重してくれた。
カノンはこれまで掃除や洗濯ばかりをしてきて、高貴な方へ仕えた経験なんてないに等しい。
だから追加の侍女を募るなら、他に適任はいくらでもいるはずだ。
けれど、仮にもフォーゲルの王子であるラースが望んだことを無下にするのも憚れた。
それに、ラースとギルバートは幼少期から仲の良い友人関係なのだという。
ギルバートが心を許している相手なら、きっと悪い人ではないはずだ。
だからカノンは、ラースの望み通りにお世話係へと就任することになった。
とはいえそれは、ラースがフォーゲルへ帰国するまでの期間限定のことだ。
ラース付きの侍女は、2人ともカノンに優しかった。
「ラース様が無茶言ってごめんなさいね」
フォーゲルの侍女たちは、ラースの思いつきにより振り回されることに慣れているようだ。
「分からないことは私たちに何でも聞いて」
慣れない仕事に戸惑うカノンのことを、あたたかくサポートしてくれた。
カノンはラースの部屋にティーセットを運ぶ。
ティーテーブルの上にセッティングし、最初の頃よりはマシになった手つきでカップに紅茶を注いだ。
「カノン、仕事にはもう慣れた?」
ラースとの会話用に、紙とペンが支給されている。
カノンは手早く紙にペンを走らせた。
『少しずつですが慣れてきました。
みなさんが優しく教えてくれるおかげです』
カノンの返答を見たラースは、「そっか」と満足げに頷く。
それから紅茶を口に含み、「確かに美味しくなったね」と微笑んだ。
「ところでカノン、今日はギルバートと話せた?」
『はい、少しだけお話しできました』
ギルバートとカノンが裏庭で密やかに会っていることを、ラースは知っていた。
その返答を見ると、ラースはますます満足そうな顔をした。
「ところで、ギルバートの幼少期珍事件簿の続き聞いてく?」
(し、知りたい……!)
カノンの反応を見たラースが、カノンにも向かいに座るよう勧めてくる。
ラースはこうして時々、ギルバートの幼少期の話などを聞かせてくれる。
それにこの間の話は途中になっていたから、それは魅力的すぎる提案だった。
(でも、仕事中だし侍女の立場で同じテーブルに座るのは……)
それを見透かしたように、ラースはにっこりと笑って言うのだった。
「本当にカノンは遠慮しいだね。
主の話に付き合うのも仕事のうちだと思ってちょっと聞いていってよ」




