【第1章】竜人と人間
「やっと見つけた。――俺の歌姫」
私はきっと、あなたと出会うために生まれてきた。
愛しいあなたとこの国のために、今日も私は歌う。
「あんたの次の仕事はこれよ」
神官服を着た2人の女は無作法にそう言って、洗濯場の中を指差した。
そこには大型のシーツ・何十人分の衣服といった大量の洗濯物が積み上がっている。
とても1人でやり切る量ではない。
カノンは洗濯場に向けていた視線を、目の前の彼女たちに移す。
そもそも、カノンはつい先ほど神殿内の掃除を終えたばかりで、今日の洗濯当番は目の前の彼女たちであるはずだった。
「……何? 何か文句でもあるの?」
カノンの視線を受けた彼女たちの顔が、不機嫌そうに歪んだ。
しかしその顔は、すぐにニヤァと意地悪い笑みに変わっていく。
「文句があるなら、言ってみなさいよ。言えるものならね!」
それでも黙り込んだままでいるカノンを、彼女たちは嘲笑う。
「ほら、いいからさっさとやりなさいよ。
あんたなんか、これくらいしか役に立たないんだから」
彼女たちが去った後で、カノンはぎゅっと服の裾を握る。
カノンの着ている神官服は、先ほどの彼女たちのものよりも随分と見窄らしく薄汚れていた。
こんなのは、日常茶飯事だ。
今更傷ついたりなんかしない。
この国で、この場所で、私は無価値の人間なのだから。
このラシエル国は、竜と人の姿を併せ持つ「竜人」という種族と、人間が共存している。
そしてラシエル国は、別名「竜王国」とも呼ばれている。
その名の通り、この国の王は竜人だ。そしてそれに連なる貴族たちもまた全てが竜人である。
竜人は人間とは比べ物にならない程、強大な力を持っている。
そのために、このラシエル国は大陸一の広大な土地と豊かさを持って繁栄し続けている。
この国に住む人間は、竜人のような高い地位を持たない。
その代わり人間は、強力な竜人たちに護られて、飢餓や侵略の恐怖も知らず平和に生きていくことができるのだ。
休む暇もなく働き続け、ようやっと今日の分の仕事を終えたカノンは、疲れた身体を引き摺るようにして礼拝堂に向かう。
時間に遅れでもしたら、次はどんな折檻を受けるか分からない。
礼拝堂の中に入ると、神官服を着た女たちが両膝をついた体勢でずらりと並んでいる。
その中には、カノンに仕事を押し付けたあの2人もいた。
「みて、来たわよ恥晒しが」
「よく平気な顔してこの神聖な場所に来れるものだわ」
どこからともなく聞こえる囁き声。
周囲からの冷笑を浴びながらも、カノンは列に並んで膝をついた。
すると間もなく奥の扉が開いて、神官長とその後に続いて1人の女が祭壇に上がる。
その瞬間、カノンを含む全ての女たちが一斉に胸の前で両手を組む。
そして光輝くような金色の刺繍が施された、純白の神官服に身を包んだその女――ルーシーが告げた。
「さあ、今日も偉大なる竜の方々に祈りを捧げましょう」
ルーシーが歌い始める。そのどこまでも伸びるように高く美しい歌声に続くように、重ねて女たちが歌い出す。
合唱が響き渡るその中でただ1人、カノンは固く唇を引き結んだままだった。
女たちによる合唱――祈りの儀が終わると、祭壇から降りたルーシーを女たちが取り囲んでいた。
「ルーシー様、今日も最高でした」
「まるで光の女神様のようでしたわ」
褒め称える周囲の声に、ルーシーは頬にかかる銀髪を耳にかけて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう。あなたたちの歌も素敵だったわ」
そんな光景をよそに、カノンは気づかれぬようそっと礼拝堂を抜け出そうとする。
その背中に、声がかけられた。
「――カノン」
ビクリ、肩を振るわせたカノンは立ち止まって、恐る恐る振り返った。
「こっちへいらっしゃい」
そう言ったのは、カノンを呼び止めた張本人であるルーシーだ。
「…………」
カノンは覚悟を決めたように、微笑みを浮かべたままのルーシーの元へと歩み寄った。
「カノン。あなたまた、祈りを捧げなかったわね?」
ルーシーはそう言ってから、わざとらしく「ああ」と声を上げた。
「捧げられない、の間違いだったわね。
だってあなたは――声が出ないんですもの」
カノンは唇を噛み締める。
ルーシーの言う通り、カノンは喋ることも、歌うこともできない――声を失った少女だった。
「この国の守護神なる偉大なる竜人様たちへ、日頃の感謝と更なる繁栄を込めた祈りの歌――これを捧げることは、私たち聖なる乙女の義務よ。
それができないなんて、なんと罰当たりで罪深い……反逆者として牢獄されても文句は言えない立場なのよ?」
「ルーシー様のいう通りよ」「本当に、乙女の恥晒しだわ」
ルーシーの言葉に、周囲の者たちが同調する。
「それをこの“竜王の歌姫“筆頭候補である私が口添えしてあげているおかげで、あなたはこうして暮らしていられるの。
ねえ、そんな私に――あなたが見せられる、最大限の誠意はなんだったかしら?」
そう言って首を傾げるルーシーのその瞳には、捕えた獲物を甚振るような残虐な光が宿っていた。
ルーシーが何を要求しているのか、カノンは十分に理解していた。それでも……ぎゅっと手のひらを握る。
「ほら早く、ルーシー様をお待たせするんじゃないわよ」
「ああもう、鈍臭いわね。――こうするのよ!」
躊躇を見せるカノンに苛立った声を上げた女たちが、数人がかりで乱暴にカノンを床に引き倒した。
閉ざされた喉は、呻き声さえも上げてはくれない。カノンは痛みに顔を歪める。
女たちはそのまま、カノンの頭を上から押さえつけた。
これがルーシーの言う“最大限の誠意“ひたすらにカノンを辱めて服従させるための行為。
ルーシーは日頃から何かと理由をつけては、カノンにこの行為を要求した。
冷たい床に額を擦り付けるカノンを見下ろして、ルーシーは満足げに笑う。
「そう、それでいいの。恥晒しのあなたは、そうやって地べたを這いつくばっているのがお似合いよ」
そしてゆっくりとカノンに近づくと、その傍らにしゃがみ込む。
「ああでも……あなたは一生、そのままでいいのよ」
不自然に優しげな声で語りかけた次の瞬間、がっと手のひらでカノンの黒い前髪を掴み上げた。
「……っ」
「だってあなたの呪われた歌声なんて、この世の誰にも必要とされないんだから!」
呪われた歌声。その一言は、カノンの脳裏に悪夢のようなあの光景を甦らせるには十分だった。
そう、だから私はもう……歌うことができないの。
ルーシーは振り払うようにカノンの前髪から手を離すと、取り巻きを引き連れて礼拝堂を去って行った。
床に倒れ伏したまま、カノンはその後ろ姿を光のない瞳で見つめていた。
どうして、ルーシーはこんなにも私を憎むのだろう。
全てを手に入れたのはあなたで――全てを失ったのは私であるはずなのに。




