第20話 決意
「すまんが、俺は力にはなれん。ただ、そのエンジンは持って行っていいぞ。まだ完全ではないが、使えるだろう」
「そうか、手伝ってもらえないのは残念だが、それだけでもありがたい。恩に着る」
「気にするな。どうせ載せるための機体もない。お前らに使われるのが本望だろう」
オットーはそう言って精密作業部屋から出て行ってしまった。
俺はエドワードに目配せし、作業台に置いてあるエンジンへ近付いた。
「液冷式V型12気筒だな。本体はほとんど完成しているみたいだ」
「付属品はこれからか」
アンラクが後ろから低い位置で覗いていたが、何の話をしているのかわからんといった顔をして、精密作業部屋の中にある工具類を見回り始めた。
「馬力はどれくらい出そうだ?」
「エンジンは専門ではないからなぁ、俺の推測だが軽く600くらいは出るだろう。レース用にピーキーなチューンをすれば800くらいまでいけるかもしれない」
「本当か?ジュピターの倍の出力だと?」
「しかも液体冷却式だから、空冷のジュピターのように胴体が大きく広がらずに済むという設計上のメリットもあるんだ。まだ設計図を引いてないから正確な数字はわからないけど、アンラクの超々ジュラルミンを使えれば200ノットまで出せるかもしれない」
「冗談だろ?水平速度で200ノットなんて、シュナイダートロフィーにでも出るつもりか?」
「あんなパイロット泣かせのピーキーな機体設計をせずに200ノットだって言ってるんだ。もしシュナイダーで勝つためだけにこいつを使えるなら、300ノットを目指せるかもしれん」
「笑えないぜ、エド。そんなバケモノみたいなエンジンだってのか……」
「いいや、俺はむしろ笑いを堪えるのに必死だ。これを組み込む設計をすると考えるだけで……紅茶が必要になる」
「さっき飲んだばかりだろ、飲みすぎだぞ」
「今日はまだ2杯だけしか飲んでない」
エドワードが紅茶を飲みたそうにし始めた為、俺は工具を見て回っているアンラクを呼び、3人で母屋へと向かうことにした。
母屋の玄関を開けると、さっき食事をしていたダイニングのほうから声が聞こえてきた。
「Vater! Warum hast du das einfach so ohne mich entschieden?! Ich habe doch auch an diesem Motor mitgearbeitet!」
この声の主はクララか?怒ってる様子だが。
俺は一瞬だけ戸惑ったが、扉を開けて部屋の中へと入っていく。
「あのエンジン、持って行くってホントなの?」
クララは部屋に入って来た俺と目が合うと、すぐに詰め寄って来た。
「ああ、おやっさんが譲ってくれると言ったからな。あれだけのエンジンだ、いずれ恩は返すさ」
「あのエンジンは、この土地に渡って来た頃から父さんと私が一緒に作ってきたものなの。それをいきなり持って行くだなんて……」
あのエンジンには共同作者がいたってことか。そんな話は聞いてないな。
「おやっさん、説明してくれるか?」
「……確かに、私が娘のクララと一緒に作ったものだ。幼い頃からエンジンに興味があった子でな、あそこでこの6年間掛けて製作したんだ」
「そうよ、だから私にも所有権ってのがあるはずよ。それを何の相談もなく譲るなんて……」
クララは泣きそうな顔になって、俯きながら言葉を発した。
ふむ、そういうことなら無理に持って行くのも気が引けるな。
俺がどうしようか考えこんでいると、オットーが口を開いた。
「クララ、もうすぐお前も20歳になる。いつまでも機械いじりばかりしていては、嫁の貰い手も見つからなくなってしまう。何かをしろと強制するつもりはない、ただ女性らしいことをするべきだ。誰も油で黒ずんだ娘の手など好んで握ってはくれまい……」
オットーは諭すようにクララに語り掛ける。
「知らないわよ、そんなこと。うちにはピーテルがいるし、姉さんもいる。私が結婚しようがしまいが、父さんに関係ないじゃない!!私は私がやりたいようにするわ」
クララは激しくオットーに吐き捨て、俺のほうへと向き直った。
「エンジンを持って行くのなら、私も連れて行って。それが条件よ」
「なんだって?」
「あれはまだ未完成なの。最後まで私の手で作り上げたいの、お願い」
クララの目は決意に満ちている。とても断れる雰囲気ではない。だが……
「君を連れて行くことはできない」
「どうして?私が小娘だから?か弱くて、まともにエンジンもいじれなさそうに見える?」
「俺たちが向かうのはアパラチアの奥地だ。仮に近くの町や都市であれば、考えてもよかったが、ここから200海里もボロいトラックで走らなければいけないし、道も険しい」
「それだけ?私を連れて行けない理由にはなってないわ」
おっと、痛いところを突かれた。確かに明確な理由とは言えないな。
俺は困ってオットーに視線を向ける。しかし、肝心の父親は何とも言えない顔をしたまま立ち尽くしている。
「ジャック、あなたたちが嫌でなければ、クララを連れて行ってあげてちょうだい」
声がした方を向くと、そこにいたのはクララの母親マルタだった。
「マルタさん……」
「祖国からこの地に移って来て、6年。この娘はずっとオットーと一緒にあのエンジンを作ってきたの。中途半端なことはさせたくないし、エンジンだって完成しても載せる機体がないんだもの。どうせだったら、最後までこの娘にやらせてあげてくれないかしら」
「お気持ちはわかりました。しかし、我々は男ばかり。ここにいる3人のほかにも作業員たちが何人かいますが、それらも全て男です。無論、俺が手出しさせるようなことは絶対にさせませんが……」
「それなら、何も問題はありませんね。もしかしたら、クララを嫁に貰ってくれる人が見つかるかもしれないですしねぇ」
俺は困って振り返り、後ろにいるエドワードやアンラクに助けを求めるように視線を向けるが、2人は揃って顔を逸らした。お、お前ら……
「母さんもこう言ってるし、いいでしょう?私も連れて行って」
俺はまたクララに向き直って、腕を組み、思考をめぐらす。
「少し考えさせてくれ。今日は色々あって疲れてしまったんだ」
疲労は思考を鈍らせる。とりあえず、今日は休ませてもらうことにしよう。
決して、決断から逃げたわけではない。




