第19話 続・異食文化
「よし、ここなら邪魔にならない」
トラックから牽引ロープを外して、農場の隅に停める。300ヤードの緩やかな上り坂だったが、牽引作業にはかなりの時間が掛かった。
既に夕日は落ち、空には星々が輝き始めている。
俺とピーテルはへばっているエドワードとアンラクを連れて母屋へと入った。
予想外にも、家の中からは香ばしい肉の香りがしてくる。ドイツ人の夕食は質素なのが常だが、どうやら本当の意味でのご馳走を用意してくれていたらしい。
広いダイニングに通される。そこには大きなテーブルがあり、暖炉に薪を放り込んでいるオットーの姿もあった。
「とりあえず座って待っててよ」
ピーテルはそう言ってキッチンがあると思われる奥の扉を通って行ってしまった。
促されたままに、俺たち3人は用意されていた椅子にそれぞれ座った。
暖炉に薪をくべていたオットーも、定位置と思われる椅子に座った。
「……紹介をしていなかったな。オットー・ホフマン、この田舎町ノイ・シュタインで農園をやっている。もっぱら俺の仕事はトラクターの修理だがな」
オットーはゆっくりと話だし、エドワードとアンラクに対して自己紹介をする。
それを聞いたエドワードとアンラクも少し姿勢を正して、自らの正体を明かす。
「エドワード・カトライトです。かつて連合王国軍の航空機設計局にいました。少し前まではボストンで自分の設計事務所を持ってましたが、今はジャックと一緒に旅の途中です」
「安楽健と申します。出身は日本、住友鉱業傘下にある住友伸銅鋼管の元研究員で、ジュラルミンの研究をしていました。新開発の素材を上司に捏造だと言われたので、会社を見限って新大陸にやって来ました」
オットーはエドワードとアンラクを交互に見て、少し沈黙してから口を開く。
「パイロットと機体設計者、そしてジュラルミンの研究員。そんな連中がエンジンを求めている……つまり、やりたいことはゼロからの航空機開発、だな?」
今までの鋭い視線とは少し変わって、見定めるような目つきになったオットーは、俺たちがこれからすることを見事的中させた。まあ、ヒントは十分だったか。
「その通り。おやっさんならドイツ系のエンジンを手に入れる当てがあるんじゃないかと思って訪ねたんだ」
「……そう、か。話はわかった」
オットーはそう言って目を瞑って、何かを考え始めたようだ。
俺たち3人は水を差さないように黙って、彼の返答を待つ。
しかし、返答よりも先にピーテルが部屋の奥の扉を開けて現れ、それに続いて女性が3人部屋に入って来る。
1人はオットーの妻、マルタだ。恰幅の良い初老の女性で、白髪に近い銀髪を後ろで一本に束ねており、青みの掛かった瞳は穏やかな印象を受ける。両手で持つ大皿の上にはかなり大きい豚肉の塊が乗せられており、それをテーブルの中央へと置いた。
「ジャックだったわね?お久しぶり。オットーが夕食にご馳走を用意してくれなんて言うから何かと思ったけど、あなたを歓迎するためだったのねぇ」
マルタはそう言いながら、ナイフを取り出して肉の塊に刃を入れ始めた。
「ピーテルの妻でオットーの娘、長女のグレタです。初めまして」
「次女のクララです。お見知りおきを」
マルタの後ろに続いてきた2人の女性も自己紹介をしてくれた。
1人目は長女のグレタ。母親のマルタにとても似ていて全体的にふっくらとした印象を受ける、艶のあるブロンドのロングヘアを母親と同じように後ろで一本に束ねている。年齢は20代半ばか後半くらいだろう。
2人目は次女のクララ。長女とは対照的に父親のオットーに似たのか、少しスラっとしたスタイルで髪色もやや銀色がかったブロンド。幼さの残る顔立ちからして、まだ20歳になったばかりか、それ以下のようだ。
「とんでもない美人姉妹じゃないか……こんな片田舎の町に……」
「西洋のお人形さんみたいですねぇ……」
エドワードとアンラクの言葉は少し失礼な物言いだったが、言いたいことは俺も同じだった。
「ピーテル、お前は幸せ者だなぁ」
俺も2人に続いて失礼な物言いをしない為、ピーテルをターゲットに定めた。
揶揄ったつもりだったが、ピーテルはまんざらでもない顔をしている。クソぉ。
「Mutti!」
俺がピーテルを睨んでいると、パタパタという軽い足音とともに幼い声がして、部屋に小さな子どもが飛び込んできた。
俺たちを見て、一瞬だけその足が止まるが、すぐにグレタのもとへと駆け寄っていき、彼女の腰辺りに抱き着いた。
グレタはその子を抱き抱えてやり、こちらに顔が見えるようにするが、子どもはスッと顔を背けた。人見知りな年頃のようだ。
「俺の孫、レオだ」
今まで沈黙を保っていたオットーがその子の名を教えてくれた。少し自慢げな声に感じるし、実際彼の顔は今までとは打って変わって慈愛に満ちた目をしている。
なんて幸せそうな家庭だ。俺には到底作れそうもない、どこか異世界のような景色だ。
エドワードとアンラクも同じことを思ったのか、どこか羨望の眼差しで抱き抱えられているレオを見ている。
「はいはい、取り分けたからどんどん食べてちょうだいね!クララ、突っ立ってないでパンとバターを頼むわ。グレタもレオと一緒に早く座りなさい」
テキパキと指示を出すマルタは、いつの間にか肉塊を丁寧に切り分けてくれており、その皿を俺たち3人の前にそれぞれ置いてくれた。
「シュヴァイネブラーテンよ。豚肉をハーブで焼き上げた、私たちの故郷の伝統的な料理よ」
マルタは皿を置きながら丁寧に説明してくれた。確かに、肉からは香ばしい匂いに混じって、ほのかにハーブの香りがしている。
用意されているナイフとフォークを手に取り、肉を一口サイズに切り取り、口へ運ぶ。
豚肉の脂がじわっと口内に広がるが、ハーブの風味がその脂っこさを抑えてくれる。久しぶりに食べる豪華な食事に思わず涙が出そうになるのを我慢して、さらにもう一口肉を頬張る。
隣ではエドワードが同じように肉を口へ運んでおり、無言で味わっている様子が窺える。
アンラクは小声で「いただきます」とつぶやいてからナイフとフォークを手に取った。
その様子を見るマルタは満足したような表情で、ナイフを置いてキッチンのほうへ向かった。
そんなマルタと入れ替わるように、次女のクララがパンを持って来てくれた。ライ麦パンだと一目でわかった。このパンは少し硬くて酸っぱいのだが、この肉との相性は抜群に違いない。
「ありがとう」
俺は短く礼を言って、さっそく配られた黒パンに手を伸ばして、ちぎって口へ運ぶ。
パンと肉の相性というのはどうしてこうここまで良いのだろうか。
パンを咀嚼していると、マルタが皿に乗せられた白い団子を持ってきた。それをさっきまで肉の塊が置いてあった大皿にゴトゴトと移した。団子は肉汁を纏って艶やかになった。
「ジャガイモのお団子、クネーデルよ」
そう言いながら皿の上で団子を転がしてから、俺たちの皿に取り分けてくれた。
一口で食べるには少し大きいため、ナイフで半分に切り分けて口へ運ぶ。
もっちりとした食感でジャガイモのほのかな甘みを感じるが、それよりも暴力的な肉汁が同時に解放されて口の中に飛び込んで来る。やはり肉との相性がとてもいい。
クネ―デルを食べていると今度はクララが山盛りのキャベツを持ってきた。ザワークラウトだ。
隣にいたエドワードは少し嫌そうな顔をしたが、アンラクは興味津々なようだ。
クララが取り分けてくれたザワークラウトをフォークで掬って口に運ぶ。
「ん?あまり酸っぱくないな。それと、これはリンゴか」
実を言えば、俺もエドワードと同様にこの酸っぱいキャベツは少し苦手だったのだが、このザワークラウトは酸味がそこまでなく食べやすい。それに細切れにされたリンゴが入っているため、ほんのりと甘く、食感も良かった。
俺の隣にいたエドワードはそれを聞いて恐る恐るザワークラウトを口へ運ぶ。
「これは……うまいな」
「このキャベツ、ほんのり甘くて酸っぱくて、お肉にとても合いますね」
エドワードもアンラクもこのアレンジされたザワークラウトは気に入ったようだ。
食事も一段落ついて、淹れてもらった紅茶を飲みながら、ホフマン家の人たちと雑談をしていると、オットーが立ち上がって口を開く。
「紅茶を飲み終えたら納屋まで来てくれ」
オットーはそれだけ言うと、部屋を出て行ってしまった。
俺たち3人は顔を見合わせて、少し急いで紅茶を飲み干した。
ピーテルや女性陣に夕食のお礼を言い、俺たちは言われた通り納屋へと向かった。
「来たか。こっちだ」
納屋の奥から出て来たオットーに招かれ、重厚な防塵カーテンで仕切られた奥の部屋へと入った。
部屋は精密作業用の部屋らしく、とても清潔に保たれている。そしてその中心の作業台には巨大なエンジンが乗せられていた。
恐らく液冷V型12気筒のエンジンだ。
「これは……」
「俺が、趣味で組んだ物だ。隠居をして新大陸の片田舎に越して来たというのに、私はこんな物を造るくらいしか、できなかったんだ」
オットーは続ける。
「私は祖国ではバイエルンにあるエンジンメーカーに勤めていたんだ。主に戦闘機用エンジンの最終調整をしたり、新型エンジンのテストをしたりしていた……俺が戦場に送り出したエンジンは4種、1298基。そのすべてが戦闘機に搭載されて戦場を飛んだはずだ。ジャック、お前ならわかるだろう。敵も味方も、俺は多くの兵士を死へ追いやったんだ。それを忘れるために隠居してこんな片田舎に来たというのに、こうして過去を忘れられないまま、のうのうとこんなエンジンを造っていたんだ」
エドワードもアンラクも、彼の静かな言葉の気迫に晒されて押し黙ってしまう。
俺は一瞬考えたが、ありのままに思ったことを話すことにした。
「おやっさん、俺は確かに戦場で何度も死にかけたことがある。たぶんおやっさんが造ったエンジンを載せた戦闘機と戦って、それを撃墜したこともあるかもしれない。でも、それを1人のエンジニアが抱え込む必要なんてないだろ。正直に言ってくだらない。俺は大戦末期に半年間飛んで、33機を撃墜した。たぶんそのうちの8割は戦死してる。俺はこの手で、殺したんだ」
「そうか。そうだな。お前さん、やっぱり軍のパイロットだったのか。初めて会った時からそうじゃないかとは思っていたが。やはり、軍人はこの心情を割り切れる者にしか出来ぬのだろうな」
確かに。軍人であるということは、人を殺す決意を固めているのだ。それができていない者は、戦場では足手まといで使えない。引き金が引けない軍人など、どこの軍でも必要がない。
しかし、彼は民間人だ。覚悟のないまま作り続けた兵器が、いつの間にか多くの人を死に追いやっていたというのは、簡単に割り切れるものではない。




