第1話 運び屋
欧州大戦から6年後。1927年。
既に見慣れたものになった単葉機が、アパラチアの山脈に沿って飛んでいる。
新大陸でもよく見るようになった航空機は、今や各国の植民地と温和な先住民部族地域を繋ぐインフラの1つとなりつつあった。
欧州情勢複雑怪奇と言われていた時代もあったが、今では新大陸情勢複雑怪奇と言われることが多い。東海岸には北から英、仏、独、蘭、葡、西と各国の植民地が存在し、まばらに墺、瑞の租借地が置かれ、西海岸の北部には露が進出し始めている。
そして内陸部には多くの先住部族の国家があり、未だに白人の侵略を退けている。
かつて連合王国軍と軍需メーカーが開発した単発単葉単座戦闘機A&H Mk.1は、なおも山脈に沿って東北東へと飛び続けている。
機体はグレーに塗られているが、ところどころ塗装は剥げておりだいぶくたびれている。尾翼にはJ.Fとだけ白い文字が描かれている。
機体は山脈付近特有の不安定な気流に揺られながら雲間へと消えて行った。
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エンジンの振動と気流に機体が叩かれ小刻みに揺れる操縦席で、地図と下界の地形とを見比べるのは骨が折れる。
雲間から抜け、視界が開けると山脈を断ち割るように流れる川が見えた。その川に貼り付くように建設された交易拠点の町、フルフ・ウォーター。目的地だ。
地図を胸ポケットへと押し込み、震える操縦桿を握る手に力を込めて、機体を降下させる。
今回の積み荷は、偉大な川ミシシッピの中流域にある友好的な先住民の村で採取されている真珠だ。これを内陸部から東海岸まで、厳密にいえばミシシッピからアパラチア山脈を越えた辺りまで運べば相当の金が手に入る。
最近では少数のネーデルランド人が、現地の先住民と真珠の養殖を始めたこともあって、仲介人なしで取引ができるから楽でいい。
今回の依頼人は、今から降りる町の宝石商だ。移動距離も少なくて済むし、本当に今回は割のいい仕事だ。
固められただけの未舗装の滑走路をローパスしながら、滑走路横のボロ小屋に目を向ける。
こちらに向かって緑の旗を両手で掲げている人の姿を確認する。今すぐ着陸しても問題ないという合図だ。
このままオーバーヘッドアプローチで着陸するため、滑走路の終端まで飛びながら滑走路上に落下物がないかを確認しておく。この辺りじゃ、部品を落とすボロばっかりが飛んでるからな。
そのまま町を周回するように飛行し、滑走路を真正面に捉えて機体を降下させる。
この機体、試作機2号だったこともあり着陸時の挙動にやや難があるが、6年間も飛ばしていればその挙動も手に取るようにわかる。
固定脚についている車輪が地面へ接触する。毎度のことだが未舗装路の滑走路に降りる時の振動は最悪だ。
スロットルをアイドルまで下げて、その横についているレバーを引いて車輪ブレーキを作動させる。
滑走路の中ほどから「駐機場」という名の空き地へ向かうため、ブレーキをハーフリリースし、ラダーを踏み込んで機体の向きを変えた。
駐機場には既にいくつかの機体が駐機されている。Mk.1と似たような時代に作られたおフランス製の小型複葉機SPAD S.XIII 。俺の古巣から流れてきたらしい複座のBristol F.2もいるが、後部銃座を取り払った民間仕様だ。他にもネーデルランド人御用達のFokker F.VIIもある。
「ん?」
見たことのない機体が1機停まっていた。どこかドイツっぽさを感じるシルエットを持つ双発複葉機だが…
まあ、そんなことは後でいい。ブレーキレバーを引いて機体を完全に止め、燃料をカットオフ。エンジンは不規則な爆ぜる音を響かせた後、少量の白煙を噴いて止まる。
「そろそろオーバーホールか」
出費が嵩むな、という思いが頭を過るが、これから真珠を宝石商に届ければまとまった金が入る。いっそのことエンジン換装のほうがいいか。同型のエンジンさえ見つかればオーバーホールよりも時短になるしな。
座席の裏に作ったスペースに載せていた木箱を取り出し地面へと降ろしていると、駐機場の係員が近付いてきた。
ここはネーデルランド入植者の町だったな。
俺はいつも通り、近付いてきた駐機係にポケットから取り出したギルダー銀貨を1枚差し出す。それを見てニンマリと笑う駐機係に銀貨を放って渡す。こいつらが吸ってるカスみてえなタバコなら1週間分くらいにはなる額だ。
「いつも通り、誰も近付けるな」
「へへっ、わかってますよ旦那ァ」
脇に木箱を抱え、駐機係に釘を刺して歩き出す。
飛行場を後にして、数分歩くと町まで辿り着く。こんなに民家と滑走路が近いとうるせえだろうなとは思うが、新大陸では航空機が重要なインフラになっていることで、騒音には目を瞑っているようだ。
しっかし、飛行場に馬車ぐらい待機させとけよ。数分とはいえ荷物を抱えて歩くのは一苦労だ。もっと大きい町なら飛行場と町が離れてるから定期的に馬車が走ってるが、ここは近いがゆえに必要性が薄いんだろうな。
そこから数分歩き、ようやく町の中心部にある宝石商の店が見えてくる。
店先でこちらを見て反応している中年の男、あれが宝石商のヤン・デ・ルーフだ。俺のことを見て、というより俺が脇に抱えている木箱を見て興奮気味だ。別名、パール・ダッチ。真珠マニアの宝石商だ。
「おい、きったねえな、よだれ拭けよ」
「もう待ちきれないよ、早く、早く出してくれぇ、ぐへへ」
俺の持っている木箱に手を伸ばそうとしたので、俺は木箱を引っ込める。
伸ばした手が虚空を掴もうとしてつんのめる。
「代金を受け取らないと、商品は渡せねえ。商人のあんたならわかるだろ?」
「あ、あぁ、そうだった。とりあえず、中へ入ってくれ。コーヒーでも淹れよう」
「ダッチの泥水か…砂糖とミルクはあるよな?」
「泥水だと?うちのはアングロの紅茶舌でもわかる味の高級品だし、砂糖も最高級の精製糖、ミルクは朝採れ新鮮だ。ここをどこだと思ってる」
「流石、宝石商様様だなぁ」
などと言い合いながら店へと入り、応接間へと通される。
ほどなくして、金の入った革袋を持ったパール・ダッチとコーヒーが載ったトレーを持ったメイドが部屋へとやって来る。
「とりあえず、受け取ってくれ」
そう言って革袋を机に置く。それと同時にメイドはコーヒーカップを俺の近くのテーブルの上へと置いた。
俺はコーヒーに手が伸びそうになるのを抑えて、先に革袋を手に取って中身を見る。
「ソブリン金貨。少し、軽いな?」
俺は片手で袋を持って重さを確かめる。報酬額は120枚の金貨のはずだが、実際には100枚以下の重さに感じられる。
「追加の仕事を頼みたい」
「先に報酬だ。次の仕事を頼みたいのならケチらないほうがいいぞ、パール・ダッチ」
「まあ待て落ち着け。先に全額払ってもいいが、その場合は追加の仕事はなしだ。どうする?」
つまり、今回の真珠取引と関係ある追加の仕事ってことだな。そうでなければ報酬を払ってから話を切り出してるはずだ。
「内容と報酬は?」
「受けてくれるのなら話そう」
「話にならないな。120枚、きっちり払ってくれ」
目の前にいる宝石商の顔は笑っていない。どうしても、俺に仕事を受けてほしいらしいな。その割には、内容を話そうとしないのはよほどリスクのある仕事か。なおのこと、仕事は受けたくない。
「今、お前が持っている袋に入っている金貨は90枚。追加の仕事を受けたくないのなら、残りの30枚を今すぐ支払ってもいい。ただ、追加の仕事を受けてくれるというのであれば、残りの30枚に加えて追加報酬の金貨150枚を到着地点で支払おう」
ふーん、150枚の追加報酬ってのは魅力がある。それだけあれば今までの貯金と合わせて新しい機体を買うってのも夢じゃねえな。ただ、ハイリスクハイリターンなのは確実だ。リスクがないかもしれないってことは、十中八九で敵がいるってことだ。
「敵はどこの奴らだ。地上か、空か、それだけは教えてくれ」
「…空だ。補足されれば2機追って来る。機種は不明だが、おそらく複葉機だ」
ほう。相手が複葉機ならば、俺のMk.1のほうが優速である可能性が高い。だがおそらくってことは相手が単葉機である可能性も少なからずあるということ。そして2機いるのは確定している。相手が複葉機であればたとえ挟撃されたとしても容易に突破できるだろうが、仮にそのうちの1機でも足の速い単葉機であった場合は振り切れないかもしれない。機体性能に差があったとしても2対1は勘弁だ。
「200だ。追加で200用意できればやってもいい」
「160」
「190は出せよ。こちとら命が掛かってんだ」
「175。これが限度だ」
「180ならいい」
「決まりだ」
お互いに座っていた椅子から腰を浮かせて、互いの手を取って握手を交わす。
腰を下ろして、手元にあるコーヒーカップに手を伸ばす。少し冷めてしまっているが、構うことはない。多めに口へと含んで味わい、飲み込む。
「泥水じゃねえか」
「おめえなぁ…」
やっぱり砂糖とミルクは欠かせないな。泥水が苦くて甘い泥水になる。




