情熱と倉敷フロート
岡山県に旅行に行きました。半年前ですけど。
短くなっているので、ちょっとした暇つぶし程度に読んでいただけると幸いです。
残暑と言うには熱すぎる9月中旬のこと、私は岡山県の倉敷市にいた。
歴史的建造物が建ち並ぶ倉敷の美観地区は岡山県の中でも有名な観光地になっていて、日本人のみならずアジアやヨーロッパからの国際色豊かな観光客で溢れている。
柳がアーチのように立ち並ぶ倉敷川は狭く、観光客が乗ることができる川舟が通って、船頭の美観地区の解説が川沿いを歩く人にまで聞こえてくる。
観光地らしく食べ歩きしながら楽しむこともできて、特に岡山産のフルーツを使用したスイーツなんかも外せない。日本初の私立美術館である大原美術館には、クロード・モネら高名な美術家の絵画もあり……というのがここを訪れる前にネットで集めた情報だ。
その情報も今から1時間ほど前、岡山駅に向かっている新幹線の中で閲覧したネットサイトから集めた。
今回はただ岡山県を観光しようという漠然とした目的で訪れたから、そもそも岡山に何があるのかも今朝まで知らなかった。ホテルもなんとなく岡山駅の近くで予約を取った。
新幹線から在来線で倉敷駅に向かい、無事に美観地区に到着して思ったことが、「熱すぎる」ということだった。
運が良いのか悪いのか、空は雲一つない青さを広げていた。
青さの真ん中には太陽が浮かんで、その足下で世界をじりじりとあぶっている。
情熱に身を焼かされる私の肌から汗が噴き出して、密着した衣服が乾燥をさらに遠ざけていた。
景観とか関係なく、湿気と熱気で私は帰りたくなって、陽の当たる道のど真ん中で足を止めてしまった。
石かコンクリート製か分からない歩道から揺らめく陽炎なのか、私の目に入る汗のせいなのか、視界がじわじわ歪んでいく。
道行く人々は帽子とか扇子や手持ちの扇風機を持って暑さをしのごうと工夫しているみたいだ。
(……焼け石に水くらいにはなっているんじゃないか?……あれ?」
口に出すつもりはなかった。しかし脳みそも溶け始めてしまったからか、思ったたことがそのまま出てしまっている。
柳並木の倉敷川が流れる道から外れて、阿智神社のある山側の道をとぼとぼ歩く。
観光の目玉である歴史的な建物の並びに挟まれながら、さらに日陰のある商店街に向けて歩いていると、ぐるぐる回る視界中で足下の看板が目に入った。
「……コーヒーフロート……専門店……?」
コーヒーフロートの写真が大きく貼られて、さらに下には他のフロートのメニューが載っている。
1杯750円。
目の前の建物、おそらくこの看板の店、にはなぜかバニーガールの絵が描かれた木の板が吊り下げられ、入ることを躊躇わせる入り口だった。壁の外観は白っぽい、ある意味レトロで「純喫茶」という風だろうか。いや、純喫茶的な薄暗さは感じられない。この観光地ならではの色合いということか。
「……入ってみるか」
建物に踏み込んで、扉を開く。
冷たい冷房の空気が肌の表面を撫でた。
さっきまで夢の中にいたのではと思えるほど、意識がはっきりしてくる。
入るとすぐにピアノやドラム、音響機器が目に入る。壁には絵やオブジェクト、古いポスターが所狭しと飾られている。
どうやら夜にはここで演奏も行われるようだ。
あまり興味はないが。
店の中に置かれたいくつかのテーブルは、たくさんの客達の隙間からわずかに見えている。大変の繁盛ぶりだ。この熱さなら仕方ないだろう。
入り口から見て左側の奥にあるカウンターから出てきた男性の店員に案内された席に腰を落ち着けた。
席についてすぐにテーブル上に置かれたメニューを手に取る。
コーヒーフロート、コーラフロート、メロンソーダフロート……まあ、覚えられないくらいには種類がある。先ほどまで日に焼かれていた目のせいで、メニュー上の小さい文字がぼんやりとして読みにくい。
カクテルフロート、巨峰フロート……ふむ、ほんとにいろいろあるみたいだ……
普通のコーヒーとかはないのかな?フロートを薦める店に入っておいてなんだけど、冷たすぎてお腹下しやしないだろうか……?
む……一番下のこれは……
なに?!そんな……まさか……!!?
巨乳……!!?フロート……!!!?
これはいったいどういうことだ……!!!
こんなことが許されていいのか……!?
なんと退廃的で堕落的で魅惑的な……
いや、行政監査さえも、コンプライアンスさえも、恐れない店の勇気……記憶されるべき、賞賛されるべき、模倣されるべき、……勇気……!!
なんという店に入ってしまったことだ。この旅行の大本命こそ、この店だった……!!
この「巨乳フロート」だったのだ!!
しかし巨乳フロートとはどのような……?
まさか店の前に描かれていたバニーガールが出てくるのか……?
あ、名前の下に「grape milk」……
つまり、ブドウの巨峰に、牛乳をまぜて巨乳フロートか……
……ふむ、なるほど……
別にmilk tankとは関係ないわけだ。
決して残念ではない。
むしろ巨峰牛乳フロートとせずに「巨乳フロート」にした所に感銘している。
名前をこのまま出す勇気が、私にあるだろうか。
注文する物は決まった。「巨乳フロート」だ。他の物を頼めばきっと後悔する。
「すいませーん…………っ!?」
店員さんを呼ぶために顔を上げて呼ぶとき、ふと隣の席が目に入った。
私の隣の席に座っているのは、観光客だろう若い女性の二人組だった。
なっ……!?
いつの間に……!?
大きいリボンを付けた、派手なピンク色と黒色の服を纏った女性達だ。
インスタグラマーとか、ティックトッカーとかそういう人なのかもしれない。
二人ともスマホをいじりながら何か日本語のような言葉を話しているようだが、「だよね~」とか「わかる~」しか聞き取れない。
私が入店したときには、隣の席に座っていたのは中年のおじさん達だったはずだ。
まさかメニューに集中しすぎて、私ともあろうものが、隣の客がいなくなったことにまったく気づいていなかったというのか!?
私の呼びかけに気づいた店員さんが早足で近づいて来るのにつれて、鼓動が早くなっていく。
呼吸が浅くなったせいか、横隔膜がひゅっと上昇した気がした。
……私に……できるのか……?
……私に勇気はあるか……?
神は試練を与え給う。阿智神社におわす神が。
私の勇気を、名誉を、御試しになっている。
店員さんが私の席のそばに来た。
「お決まりでしょうか?」
さあ、言え……!
「きょny……、グレープミルクのフロートを……」
「……グレープミルク?……ああ、巨乳フロートですね?」
……気づけば私の前にはフロートが置いてあった
ガラスの中は紫に近いピンク色の液体が氷の隙間を充たして、その上に見事なソフトクリームが乗っていた。
ストローをさして液体を吸い込むと、まろやかな牛乳の甘みに舌が包まれ、ほのかにブドウのきゅっとしまるような風味を感じた。
今の私には、あまりに優しすぎる甘さだった。
頬を伝う熱いものは、きっと優しすぎるこの味のせいだ。
スプーンでソフトクリームをすくう。
歯が痛むかもしれないとも思ったが、口の中は既に冷え切っていてソフトクリームの甘さと柔らかさだけが残った。
フロートを飲み終え、すぐに会計を済ませて外に出た。
正午を過ぎて気温は徐々に最高まで近づいて、カフェに入る前より暑くなっているはずだ。
しかし今はこの暑さこそが自分の冷え切った芯を溶かしてくれるのだ。
店の方を振り返ると、バニーガールの絵が俺を見て笑っていた。
「次来た時こそ……」
ここで倒れてしまわないように、足の指先まで力を入れて白い地面を踏みしめた。
大きな傷を抱えた男の小さな背中が、陽炎の向こう側へと揺らめいて消えていった。
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