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第一話 藤ヶ丘みらい市

 三月末の夕暮れ時、学生寮への引っ越し作業を終え、時間ができたおれは、市内の大通りを歩いていた。


 藤ヶ丘みらい市は、様々な教育•研究機関がある、国内有数の学術研究都市だ。大きな施設が多いが、一部の建物を除いて高さはほどほどに抑えられており、空が広い。

 電線が地下に埋設され、街路樹が規則正しく植えられた道路は広くよく整備され、都市を碁盤の目に区切るように走っている。

 市の名称は、かつてウィステリア(藤)魔法学園にあやかって名付けられたそうだが、現在いまとなっては、学園の建物だけがノスタルジック……というよりも、時代に取り残されているような、不思議な感覚を覚える。


 喫茶店の前を通りかかったとき、魔力を感じた。顔を上げて前を見ると、先を歩いている男の後ろ姿。さらにその数メートル先を、髪の長い女性が歩いている。


「……!」


 男がポケットに入れていた手を外に出し、前を歩いている女性に向ける。


「危ない!!」


 咄嗟に声を上げると、女性が後ろを振り向く。彼女は男の手から放射された火炎に気づき、魔法を発動した。


 パンッ!


 カメラのフラッシュのように光が瞬き、電撃が男と、そのすぐ後ろにいたおれを襲う。


「ぎゃっ!」

「わっ!」


 事前に魔力を探知していたおれはなんとか身を捩ってそれをかわしたが、その場に尻餅をつく。

 男は魔法をくらったようで、仰向けに倒れた。


「くそ……!!」


 慌てて立ち上がった男がおれの脇を抜けて逃げようとする。


 ドガッ!


「ぐぇッ!」


 何かが飛んできて、男の顔面に当たった。

 男は再び仰向けに倒れ、顔の横にピンポン玉くらいの石が落ちた。鼻から血を流し、気を失っているようだった。


「よっしゃ! 命中!」


 石が飛んできたほうから、人が二人走ってくる。


「君、大丈夫?」


 そうおれに声をかけたのは、少し外にはねたショートヘアの女の子だ。歳は同じくらいだろうか。この子が男に石を投げたらしい。


「は、はい。平気です」


「よかった。あれ? ケガでもした?」


「え?」


 手を差し伸べてくれた女の子が、なぜそのように聞くのか、はじめはわからなかった。気がつくと、おれの左目から涙が流れている。


「あれ……なんで……」


 涙の理由はわからない。おれは袖で顔をぬぐい、自分で立ち上がって「大丈夫です」とだけ言う。


「最近騒がれていた通り魔かもな」


 そう言ったのは、体格のいい、坊主頭の男性だ。鋭い目つきに低い声。若そうだが、おれよりも二、三歳くらい歳上だろうか。


「ケガがなくてよかったよ。最近変なの多いみたいだから、気をつけてね」


「こいつは警察に突き出すか」


 彼がスマホを取り出して警察に通報すると、程なくしてパトカー一台と小型の護送車のような車両が到着する。

 男は警官に拘束具を装着され、護送車に乗せられて行った。


 髪の長い女性の姿は、気づいた時にはなかった。顔はよく見えなかったが、どこかで会ったことがあるような気がした。




 夢を見た。

 通り魔事件があった日から、何度か見ている夢。


 夜、おれは岬の先端に立っている。

 目の前には、フード付きのマントを頭から被った誰か。顔はよく見えないが、華奢な体躯から少年のように見える。

 身体に感じる感覚からすると、おれはマントか何かを羽織っており、どうやら左腕がないようだった。


「もう諦めろ。その力は私が有効に使ってやる」


 おれの口から知らない声が発せられ、少年に近づいていく。壮年男性のような声だ。

 なぜだかわからないが、その少年を手に入れたい。恋焦がれるほど強い思いがおれの意識を支配していた。


「……願い下げだ。クソ野郎」


 少年の背後には崖が迫っており、逃げ場はない。その下からは、荒れ狂う波が岩壁を激しく叩きつける音が聞こえる。


「てめぇにいいようにされるくらいなら……こうしてやるぜ!!」


 言い終わると同時に、少年は自らの胸にナイフを突き立て、崖下の荒れ狂う海に身を投じた。


「なんということを……!」


 おれは慌てて覗き込むが、少年の姿は波に飲まれ、もう見えなかった。


「……しかし、私は諦めん。必ずお前の力を手に入れてやるぞ……!」




深瀬ふかせコウです。周りに魔法を使える人があまりいなかったのでよくわかりませんが、たぶん得意な魔法は探知魔法です。その他はあまり得意ではありませんが、よろしくお願いします」


 四月——おれは真新しいブレザーに身を包み、ウィステリア魔法学園の二学年の教室で、転校生としてあいさつをしている。


「深瀬さんは昨年度まで地方の普通校にいたので、わからないことも多いと思います。皆さん、色々教えてあげてください」


 そう言っておれを紹介したのは、担任の春日卯月かすがうづき先生だ。メガネをかけた長身の美人で、年齢は二十代後半くらいだろうか。


 クラスを見渡すと、一人の生徒に目が留まる。腰まである長い髪で整った顔立ちをした、少し気だるげな印象の女子生徒……。


 その生徒の目を見た瞬間、おれの左目から涙が流れ、慌てて袖で拭く。一瞬だったので、誰も気づいた様子はない。今回もなぜ涙が流れたのか、理由はわからなかった。


「あれー? 君ってばあの時の!」


 声がしたほうを見ると、女子生徒がこちらを指差している。


「あ……」


 あの時、通り魔らしき男に石を投げた女の子だ。よく見ると、教室にはその時一緒にいた大柄な男もいる。


「日比谷さん、お静かに。深瀬さんの席は彼女の隣になります」


 おれは日比谷と呼ばれた生徒の隣の席へと歩いていく。

 途中、髪の長い女子の脇を通り過ぎたときにちらりと横目で見る。彼女は窓の外を眺めているようだった。


 ホームルームが終わると同時に、日比谷さんが話しかけてくる。


「コウくん! あたし日比谷早苗ひびやさなえ! 君が転校生だったなんて、すっごい偶然だね!」


「こちらこそ。よろしく、日比谷さん」


 ニカッ、と笑いながら日比谷早苗は言う。


「早苗でいいよー。コウくんのことはなんて呼べばいい?」


「え? あ、あぁ……なんでもいいよ。好きに呼んでくれれば」


「じゃ、コウくんで!」


「もう呼ばれてるけど……」


「あはは! たしかに! コウくん、おもしろいね!」


 日比谷早苗は健康的に日焼けした、小柄で快活な印象の女の子だ。おれがその勢いに押されて少し戸惑っていると……


「早苗……初対面の相手に馴れ馴れしくしすぎるな。そういうの、苦手なやつもいるんだからな」


 あの時、警察に通報をした男子が注意するように言った。制服を着ていても、おれや早苗と同い年には見えない。


「木村カオルだ」


 そう言って、木村カオルは手を差し伸べる。


「……よろしく、木村くん」

 

 握手をしたのなんていつぶりだろうか、と思いながら彼の手を握る。大きくてたくましい手だ。


「カオルでいい」


「じゃあ……おれのこともコウで」


「いきなり握手も十分馴れ馴れしいと思うんですけどー?」


 カオルは早苗を無視している。


「コウくんも転入してきたんだね」


「うん。『も』ってことは……」


「あたしとカオルも、去年田舎から転入してきたんだ。転入生同士、仲良くしようよ? ほら、この学園っていいとこの家のコが多い感じでしょ? だからはじめは馴染みにくいと思うんだ。あたしもそうだったから」


 たしかに……と、おれは教室を見回して思う。周囲からは、おれにはよくわからない会話が聞こえてくる。

 ふと見ると、髪の長い女子は数人の生徒に話しかけられているが、時々外を見ながら黙って相槌をうっているだけのようだった。

 その後ろ姿を見て、やはり、あのとき大通りにいたのは彼女だったのではないかと思う。向こうはおれに気づいていないようだったが……。


「いきなり騒がしくして悪かったな」


 と、カオル。


「あ、いや。騒がしいなんて思ってないよ。話しかけてくれてよかった。ありがとう」


「これからよろしくね!」


 早苗がそう言い、カオルはおれの顔を見ながら頷いた。

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