表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生きるとは何か  作者: ルーツ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/161

言葉にできない気持ち

 祖父母が迎えに来てくれた、あの日から。

 私たちの暮らしは自宅ではなく、祖父母の家へと移った。


 そんなある夜、祖父が静かに言った。

「明日、お母さんのいる病院へ行こうか」


 幼かった私は、ただ素直に嬉しかった。

 母に会える──そのことだけで、次の日が待ち遠しくて仕方がなかったのを覚えている。


 翌日、車に乗せられ病院へ向かった。

 病室の扉を開けると、そこにはベッドに腰を下ろし、うつむいたままの母の姿があった。


 私は、ただ会えた喜びのままに駆け寄った。

「お母さん!!」


 ──そして、足が止まった。


「え……お母さん……」


 いまでも鮮明に覚えている。

 母の左目の下、頬骨は大きく陥没し、フェイスラインにかけて青や赤、黒が入り混じった痣が広がっていた。

 あまりにも痛々しく、幼い目には現実とは思えない光景だった。


 声が出ない。

 涙だけがあふれる。

 どうして、こんなことに──。


 そのとき、背後にいた祖父が、何も言わずそっと私の目を覆った。

 やさしい手だった。

 けれど、その手は怒りで小さく震えていた。


 やがて私たち子どもは病室の外へ出され、室内では何か話し合いが続いているようだった。

 結局、母と言葉を交わすこともないまま、祖父母に連れられて家へ戻った。


 その日を境に、母の病室を訪れることはなくなった。

 夜になると、私たちは二階の部屋へ行かされる。

 下のリビングでは、双方の親たちによる話し合いが、毎日のように続いていた。

 ときには怒号が、階上まで届くこともあった。


 母の実家は、それなりに名の知られた家柄だったという。

 こうした問題を世間に知られたくない──そんな事情があったことを、私は後になって知る。


 やがて結論は、離婚と養育費の支払い。

 本来ならば慰謝料や、暴力による治療費も請求されるはずだった。

 だが、そこには別の理由があった。

 それを知るのは、私が十六歳になってからのことになる。


 ──これは、三、四歳の私が過ごした、恐怖に満ちた日々の記憶である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ