え……
あの件の、翌日だった。
登校し、教室へ向かう廊下を歩いていると、
妙なざわめきが聞こえてきた。
──騒がしい。
教室の前には人だかりができ、
朝から誰かが喧嘩をしているらしかった。
当時の俺は背が低く、前から二番目に並ぶほどだった。
人垣の向こうは、ほとんど見えない。
けれど──人と人の隙間から、一瞬だけ見えた。
そこにいたのは、和樹と塚本だった。
騒ぎはすぐに教師へ伝わり、
数名の先生が雪崩れ込むように教室へ入る。
二人は引き離され、そのまま生徒指導室へ連れて行かれた。
何もかもを楽観視していた俺には、
なぜ和樹が怒っているのか、
なぜ塚本が殴られているのか、分からなかった。
……いや。
冷静に考えれば、分かることだった。
塚本の親が学校へ訴え、それを知った和樹の父親が、
暴力で和樹を戒めた。
そして和樹は、
その原因となった塚本を恨み、仕返しをした。
──きっと、そういうことだ。
なぜか俺まで呼ばれ、生徒指導室へ連れて行かれた。
そして、そこで待っていたのは、理不尽な決めつけだった。
「お前たちが非を認めない限り、
この部屋からは出さない」
だが、俺は、和樹を裏切るなんて、できるはずがなかった。
─────
俺たちは黙り続けた。
向こうが諦めるまで、何も話さないつもりだった。
どれくらい時間が経ったのか。
どこからか給食の匂いが漂ってくる。
──そろそろ解放されるか。
そう思ったが、甘かった。
給食も与えられず、ただ正座を強いられる。
痺れた足の感覚は消え、残ったのは、拷問のような時間だけだった。
その時──扉が大きな音を立てて開いた。
顔を上げる。
そこに立っていたのは、和樹の両親と、俺の母親だった。
後から数名の教師も入ってくる。
正座させられている俺たちを見た瞬間、
母の顔が変わった。
「……なぜ、この子たちは
正座させられているのですか?」
静かな声。
だが、怒りを孕んでいた。
教師は当然のように言った。
「悪いことをしたのなら、ペナルティは必要でしょう」
母は、一歩も引かなかった。
「では──
先生方は原因をすべて理解した上で
そうしているのですね?」
「こちらだけに非があるという
証拠も、当然お持ちなんですよね?」
声が震えていた。
怒りで。
教師たちは顔を見合わせ、やがて生徒指導の教師が口を開く。
「先方から連絡もあり、
実際に不登校になっている生徒も──」
その瞬間。
母の目が、低く、鋭く光った。
「その前に──
うちの子が何をされたか
ご存じなのかと聞いているんです!」
教室の空気が凍った。
「何もなければ、
こんな問題は起きないはずでしょう!」
「先に手を出したのは、
そちらではないんですか!」
「この子は誰にも言えず、
ただ耐えていた──」
「そこに手を差し伸べてくれたのが、
下村くんなんですよ!」
「行き過ぎた行動だったとしても、
小さな子どもなりに
状況を変えようとした結果でしょう!」
「それを正座させるなんて……
正気ですか!?」
母は、涙を流していた。
──守ってくれている。
それだけは、はっきり分かった。
「これ以上話しても進展はありません。
こちらは、こちらで動きます」
「追って連絡が行くと思います。
……覚悟しておいてください」
その言葉を残し、俺たちは解放された。
和樹も、
それぞれの家へ帰っていった。
後から知ったことだが、
和樹の両親は、夏休みの間に復縁していたらしい。
しばらくは何事もなく、また二人で遊ぶ日々が戻った。
けれど──
和樹に、わずかな違和感を覚えていた。
────
それから、何日経っただろう。
朝、教室へ入ると、いるはずの和樹がいなかった。
風邪でも引いたのか。
そう思ったが、その日も来なかった。
朝の会で、杉浦が言った。
「諸事情により、
今日で学校を離れることになりました」
──何かがおかしい。
理由の分からない不安が、胸をよぎった。
翌日。
やはり和樹はいない。
朝の会が始まると、
杉浦ではなく、見覚えのある男性教師が入ってきた。
「今日から臨時で、
このクラスを担当します」
そして扉の方を向く。
「……入っておいで」
扉が開く。
そこに立っていたのは──
和樹だった。
(また何かやらかしたのか?)
そんな軽い考えは、
次の言葉で消えた。
「急ではありますが──
本日限りで、
下村和樹くんは
他校へ転校することになりました」
──え。
何も、考えられなかった。
言葉も、
感情も、
浮かばない。
ただ──
小さな頭で、
ひとつだけ思った。
これからの自分は、どうなっていくのだろう……




