ちっぽけな自分
──猪の中を借りる狐、とはよく言ったものだ。
和樹と並んで歩いているだけで、いじめは起きない。
それまでの毎日が嘘だったかのように、
日々は驚くほど楽しく、満ち足りていた。
……それでも、あんな騒ぎがあった後だというのに、
いじめグループは時折、俺たちにちょっかいを出してきた。
だが、そのたびに和樹が追い払ってくれる。
この頃の俺は、
こんな日々がこの先ずっと続くのだと、
勝手に思い込んでいた。
いや──
何の力もないくせに、
ただ和樹の隣にいるだけの、ちっぽけな存在のくせに。
あの時の俺は、確かに調子に乗っていたのだと思う。
学校が終わった後も、
俺たちはいつも一緒に遊んだ。
振り返れば、その一つ一つは、
世間で言うところの“非行”だったのかもしれない。
けれど当時の俺は、
そんなふうに見られていることなど露ほども知らない。
ただ。
和樹と一緒にいる時間が、
どうしようもなく楽しかった。
授業中、教科書は開かない。
ノートも閉じたまま。
体育の時間には、
「体操着、忘れました」と平然と言い、
先生に拳骨をもらう。
それでも二人一緒なら、何も怖くなかった。
むしろ、その痛みさえ、どこか可笑しく感じていた。
だが──
そんな俺たちの振る舞いは、ついに担任教師の目に余った。
ある日の授業中。
突然、先生が鋭い視線でこちらを睨み、
俺たちは教壇の前へ呼び出された。
杉浦。
体罰で知られる教師だった。
思えば、
小学一年生にもなって、
教科書もノートも開かず授業を受けない子どもなど、
まともに見えるはずがない。
呼び出された俺たちは、容赦なく何度も頬を打たれ、
細い竹の枝で太ももの内側を繰り返し叩かれた。
頬は赤く腫れ、
太ももにはミミズ腫れが浮かぶ。
ただ、痛かった。
──今では考えられないことかもしれない。
けれど昭和という時代では、
こうした体罰は、どこか当たり前のものとして受け止められていた。
親たちもまた、それに対して鈍感だった。
それ以来、何かあるたびに、俺たちは体罰の標的になった。
それでも──
和樹と一緒だった。
同じ痛みを受けている。
ただそれだけで、俺はどこか救われた気がしていた。
……情けないことに、
それさえも楽しいと思っていたのだ。
そんな、ある日の朝。
登校すると、
いつも隣にいるはずの和樹がいなかった。
けれどその時の俺は、ひどく楽観的だった。
朝の会で杉浦が告げる。
「下村和樹くんは、病欠です」
──それでも、
まだ俺は深く考えていなかった。
だが。
朝の会と一時間目のわずかな間に、
すべては起きた。
背後から、突然。
一人に首を絞められ、もう一人に両足首を押さえつけられる。
身動きの取れない俺を見下ろし、連中はニヤニヤと笑っていた。
「下村がいねぇお前なんか、怖くねーよ!」
拳が、体中に降り注いだ。
とくに腹への痛みは、ひどかった。
そこから先の一日は、永遠のように長かった。
授業中は紙を投げつけられ、
トイレへ行こうとすれば、
ニヤついたまま後をつけられ、用も足せない。
休み時間になれば、また押さえつけられ、殴られる。
昼休み。
運動場の裏山へ連れていかれ、
取り巻きが持ってきた牛乳を、頭から浴びせられた。
俺にできることは、
ただ時間が過ぎるのを待つことだけだった……
昼休みの後は、一斉清掃。
牛乳まみれのまま、掃除用具を取りに向かう。
生乾きの臭いをまとった俺へ、周囲の視線が突き刺さる。
「くさ……何の臭い……え、三浦くん?」
「どうしたの……?」
──そして。
「あはははは! うわ、くっせー!」
「やべー、近寄るなよ!」
心ない言葉が、
胸の奥を深くえぐった。
俺は、その場に立ち尽くした。
悔しさで、涙が頬を伝う。
……ああ。
涙って、こんなに温かいんだ。
──その感覚を、今でもはっきり覚えている。
弱い自分が、情けなくて、どうしようもなく惨めだった。
何も考えられない。
ただ──
「次は何をされるのか」という恐怖だけが、
はっきりと分かっていた。
俺は、
汚れたまま、何も持たずに家へ帰った。
幸い、家には誰もいなかった。
服を脱ぎ、洗濯機へ放り込み、そのまま風呂場へ向かう。
牛乳の腐った臭いを、何度も、何度も洗い流した。
……明日なんて、学校に行きたくない。
そう思った。
けれど、許されるはずがない。
引きこもりも、ニートという言葉も、まだ存在しなかった昭和という時代。
学校へ行かないという選択肢など、最初からなかった。
──明日から、どうしよう。
そう考えているうちに、玄関の扉が開く音がした。
兄と、母が帰ってきた。




