下村和樹
六月になり、どことなく暑さを感じ始める季節になった。
それでも、俺の日常は何一つ変わらない。
相変わらず、いじめは続いていた。
収まる気配などなく、むしろ少しずつ悪化しているようにさえ思えた。
そんなある朝。
学校へ行こうとランドセルを手に取り、気づかれないよう静かに玄関へ向かった──その時だった。
近くのトイレの扉が開き、兄が姿を現した。
「お前、そのランドセルなんだよ。どうした? おかしいだろ」
問い詰められても、言葉は出なかった。
ただ下を向き、黙り込むことしかできない。
さらに、汚れた体操着入れのことまで指摘される。
きっとまた、あの時みたいに冷たい目を向けられる──
そう思っていた。
けれど、兄は違った。
何も言わず、俺の首に腕を回し、強く抱きしめた。
そしてそのまま離れると、振り返ることもなく学校へ向かっていった。
……もうバレた。
今日あたり、母さんにも知られて、何かが起こるのだろう。
そんなことを考えながら、俺も登校した。
────
教室の前に立ち、ゆっくりと扉を開ける。
自分の席へ向かい、座ろうとした──その瞬間。
「あれ……?」
いつも空いているはずの左の席に、知らない男の子が座っていた。
これが、俺にとって運命的な出会いの瞬間だった。
そいつの名前は、下村和樹
気にはなる。けれど、話したこともなければ、話しかける勇気もない。
結局、二時間目の授業が始まるまで、俺はただ大人しくしていた。
……その間も、いつものようにいじめは続いていた。
ヘラヘラ笑い、チャイムが鳴るまで、ただ耐えるだけ。
そして二時間目。
授業が始まるなり、いきなり下村が声をかけてきた。
「なあ」
「え……な、何……?」
「俺、教科書持ってねえんだ。見せてくんね?」
隣の席だから、ただそれだけの理由だと思った。
手を挙げて先生に許可をもらい、机を寄せ合って一つの教科書を開く。
けれど下村は、教科書どころか授業にもまったく興味を示さず、
関係のない話を次々と俺に振ってきた。
──当時の俺には、それがひどく衝撃的だった。
そうして二時間目が終わり、三時間目は体育。
着替え終えて下村を見ると、彼は椅子に座ったまま、まだ何もしていなかった。
恐る恐る声をかける。
「次、体育だけど……着替えないとまずいんじゃないの?」
「ん? 俺、体操着持ってきてないんだよね。はは」
何も言えなかった。
そのやり取りを、いじめグループが見ていたらしい。
三時間目が終わり、教室で着替えようとした──その背後から。
大量の水が、突然降りかかった。
「あははは! マジで最高! あははは!」
取り巻きを含めた数人が、大声で笑っている。
情けないことに、俺は何も言えず、その場に座り込み、ただ涙を流していた。
その時。
信じられないことが、二つ同時に起きた。
一つは、下村だった。
近くにいた取り巻きの腹へ、何のためらいもなく拳を叩き込んだ。
殴られた相手は膝をつき、痛みに顔を歪める。
周囲は突然の出来事に凍りつき、誰も動けない。
そしてもう一つ。
廊下の向こうから、聞き覚えのある怒号が響いた。
「おい! テメー、俺の弟に何してんだよ!!」
兄だった。
怒りをむき出しにしたまま教室へ飛び込み、
いじめの中心にいた生徒へ一直線に向かう。
そしてそのまま拳を振り下ろし、相手を床にひざまずかせた。
この一件は、瞬く間に学校中の騒ぎとなり──
兄、下村、俺、そしていじめグループ三人は、
生徒指導室へ連れて行かれることになった。




