9. 産業と技術革新の基盤をつくろう
シアン・ストロンテュームはわたしの婚約者コバルトの双子の弟である。
つまりは将来の義弟であり、彼の婚約者であるメチル・マンガンは幼いころから比較されるわたしのライバルであった。
なのでシアンのことも昔からよく知っている。
王族の中でもずば抜けて魔力量が高く、それゆえにプライドも高い。傲岸不遜で自分の意思を押し通す男だ。
兄の陰険に対して彼は陽性。兄の回りくどさに対して彼は単刀直入。あらゆる点でコバルトと対照的な性格である。
「あいにく男子禁制の女子寮に、おれは入ることができん。おとなしく出てきてくれないか。それに、勝手に押し掛けた自分が悪いとはいえ、あまり長いあいだ見下ろされるのは気分がよくない」
女子寮は三階建てで、わたしの部屋は最上階にある。
周りを見渡すと、シアンの手勢が寮をぐるりと取り囲んでいた。袋の鼠といった状況だ。
「これは失礼しました殿下。速やかに用意を整えますので、しばしお待ちください」
窓を閉めたわたしは頭をフル回転させた。
エコロ爺からの返事はまだ届いてない。このような状況に備えての事だったが、どうやら間に合わなかったようだ。
なんとか自分だけの力で包囲網を脱して、身を隠さなければならない。
わたしはヨガ用に着ていたスウェットはそのままに、上からトレンチコートを羽織った。
これも出入りの仕立て屋に作らせた特注品だ。ベルト部分には金貨が仕込んである。
「わたしはいったん連行されるふりをして、途中で騒ぎを起こすから、シイはそのすきに寮を抜け出して学園の裏口に回ってちょうだい。それから忘れずにこれをはめなさい」
わたしはクローゼットから、金貨を仕込んだ特製ベルトをもう一本取りだした。
薄皮ベルトを二枚縫い合わせて中に金貨を詰め込むアイディアは、前世で見たスパイ映画を参考にしている。
その金貨を用意するため、服装や宝飾品をほとんど売り払った。だからクローゼットの中はスカスカである。
「お待たせしました、シアン殿下」
わたしは杖を突きながら寮を出た。
べつに杖なんかなくても歩行に支障はないが、これにはちょっとした仕掛けがあるのだ。
「足元のおぼつかない淑女を連れ回すのは心苦しいが、ことがことだけに急を要するのでな」
「いえ、これも臣下のつとめと心得ていますから」
しおらしい態度で頭を下げた。こういう時に不審に思われないため、普段から杖を突くようにしている。
「とりあえず尋問は生徒会室でおこなう。ただし成り行きによっては、そのまま王宮に送られることもあるから覚悟しておけ」
ぶっきらぼうに言うと、さっさと学舎に向かって歩き出した。
わたしは手勢に囲まれるようにしてその後をついて行った。
「それにしても、その恰好は何だ。まるで下層階級の男じゃないか」
ふり返ってこちらをじろじろ見ながら、シアンは呆れたような声を上げた。歩行困難な女とみて、すっかり油断している。
寮と学舎の中間地点に、学園の正門へとつながる小道がある。ちょうどその位置に差し掛かっていた。
「ストーンウォール!」
わたしはシアンに向かって杖を振り上げた。すると彼を取り囲むようにして地面から四枚の石壁がせりあがった。
石壁は三角形になっている。それらが四枚合わさり、一瞬にしてピラミッドになった。
苦労して油断を誘ったおかげで、シアンと数人の手勢をピラミッドに閉じ込めることができたのだ。
「サスティナさま! なにを……」
「馬鹿な! 彼女にそんな魔力はないはずだ!」
残った手勢はパニック状態になった。わたしに魔力が少ないことは学園中が知っている。
ただし魔石の魔力電池機能を利用すれば話は別だ。
学内での使用は禁止されているが、わたしは杖の持ち手部分にこっそり魔石を仕込んでいた。
この機を逃さず正門に向かって走り出した。少し遅れて残りの手勢が追いかけてくる。
その追っ手を先頭から順番に転ばしていった。
魔石の効果はさきほどのストーンウォールで使い果たしてしまった。しかし土を盛り上げるだけなら自前の魔力で対応できる。
「サスティナさま、御免!」
後方からファイアーボールが飛んできた。
正門に近づいてきたことで、追っ手も公爵令嬢に対する遠慮がなくなってきたようだ。
わたしは杖の胴体部分をスポッと外した。
中から傘が現れた。仕込み刀ならぬ仕込み傘である。
それを開いてファイアーボール受け止めると、ジュッと音を立てて消えてしまった。
傘に張った布には魔法防御効果が付与してあるのだ。
正門まであと10メートル。
「ウォーターカッター!」
ピラミッドの中からシアンの声が響いた。
次の瞬間、石壁のあちこちから水が噴き出し、あっというまにバラバラと砕け散った。
「ウォ-タ―ジャンプ!」
シアンの両足から水が噴出し、その推進力で大きく飛び上がった。
「ウォータークッション!」
わたしと正門の間に巨大な水のかたまりが現れた。まるでプールの水をゼラチンで固めたようだ。
放物線を描いて飛んできたシアンが、そのかたまりに落ちてきた。水柱をどーんと上げて中に沈み込む。
無事に彼を受け止めた水のかたまりは、凝集力を解除されて一気に形が崩れた。四方八方に水が流れ去っていく。
流されないよう踏ん張るわたしのすぐ前から、怒りに震えるシアンの声が響いた。
「やってくれたな、サスティナ・ビリティス!」