10. 人や国の不平等をなくそう
手持ちのカードはすべて切ってしまった。
目の前には常人をはるかに超える魔力量を持つ第四王子。後方にはようやく追いついてきた彼の手勢が控えている。
「いまの行為で確信した! やはり投書の内容は真実だったんだ。おまえは王族の婚約者という立場にありながら、王室に対して攻撃の矛先を向けていたんだな」
シアンは尋常じゃない目つきで睨んできた。
一時的とはいえ、魔法でわたしに出し抜かれた事実は、よほど彼のプライドを傷つけたのだろう。
正門まであと一歩のところで、脱出の目が完全になくなった。わたしの心は完全に折れてしまった。
そのとき、
「おいガキども! うちのお嬢に何をしてるんだ!」
正門の外から割れ鐘のような大音声が響き渡った。
「待ってろよお嬢、いま助けてやるからな」
鉄柵で出来た正門が吹き飛び、筋骨隆々の大男のシルエットが現れた。大男の手には巨大な金棒が握られている。
「あ、あなたは……」
わたしはこのシルエットを知っている。わが領地の鼻つまみ者、グリーン兄弟の兄のほうだ。
「何なんだ、こいつは」
シアンは呆然とした表情で侵入者を見ていたが、すぐに気を取りなおして大男に右手を向けた。
「ウォーターボール!」
右手からサッカーボール大の水球が発射された。顔面に貼りついたら、たちまち窒息してしまう。
「ふん、こんなもの」
大男は金棒をたたきつけて水球を四散させた。その勢いのままシアンに近づくと、横っ面をおもいきりぶん殴った。
「ぐわあっ!」
殴られたシアンは3メートルほど吹っ飛んで、手勢たちの上に落下した。みたところ完全に気を失っているようだ。
「ニューディル、よくやったわ」
わたしは大男に声をかけた。
彼の名はニューディル・グリーン。かつて領内一の怪力といわれていた男だ。
「えへへ、名前を憶えていてくれて嬉しいよ。ところでお嬢、いいものを持ってるな。どうやら全員殴り倒す手間が省けそうだ。その傘であいつらの魔法を防いでくれ」
ニューディルはわたしの前にひざまずいた。と思ったら、ヒョイとわたしを肩に担いで、門に向かって走り出した。
わたしは頭を持ち上げて後方を警戒する。
「あっ、待て!」
手勢の集団からファイアーボールやウィンドカッターが雨あられと降り注いできた。
わたしは傘を振り回してそれらを無効化していく。
「おいピース! お嬢を助け出したぞ。はやく馬車を出せ」
「あいよ、兄貴」
正門の前には二頭立ての幌馬車が止まっていた。御者席に座っているのは弟のピース・グリーンだ。
わたしたちが乗り込むと同時に馬車が走り出した。
「驚いたわ。エコロ爺に手紙を書いたんだけど、一向に返事が来ないから、あきらめかけていた所だったのよ」
「爺さまは、俺たちに直接手紙をよこしてきたんだ。『お嬢が困ってるらしいから、仕事なんかさっさと辞めて助けに行け』と書かれていた。爺さまにそう言われたら逆らえないよなあ」
ニューディルが頭をかきながら言った。
なるほど、わたしではなく兄弟に直接連絡を入れたのか。たしかにそのほうが話は早そうだ。
この二人は一時期、わたしの護衛騎士をしていたことがある。
兄弟の悪名に心を痛めたエコロ爺が、むりやりビリティス家の騎士団に入れたのだ。
ただ、それもあまり長続きはしなかった。ある時、わたしを侮辱したコバルト王子をぶん殴ってしまった。
このことが原因で二人は騎士団をクビになり、領地から出奔してしまったのだ。
「そうだ、学園の裏口に回ってちょうだい。メイドのシイがそこで待ってるはずなの。彼女を拾わないと」
わたしは御者台のピースに声をかけた。弟のほうは細身でしなやかな体つきをしている。
「いや、馬車を止めてる暇はないな。見ろよ、追手が来てるぜ」
後ろを警戒していたニューディルが反論する。
大急ぎで学園の厩舎から調達してきたのだろう。三頭の馬がこちらを追いかけていた。
「仕方ないなあ。お嬢、ちょっと御者を代わってくれよ」
ピースはわたしに手綱を押し付けると、強引に御者台に座らせた。
「えっ、何よピース、どうするの?」
「まあ見てなって」
ピースは幌馬車の側面を縦に切り裂いて、人が通れるほどの穴をあけた。
続いてロープを取り出し、自分の胸周りを一周させて結んだ。
穴から身をのり出すと、ロープのもう一方の端を幌の横柱に通してからニューディルに渡した。
「兄貴、ロープを持って俺の体を支えてくれ」
そういって体をピンと張り、馬車の外側に倒れこんだ。ほとんど地面と平行の状態で静止した。
これは跳ね橋の原理だ。自分を跳ね橋にして、馬車を止めずにシイを拾おうというのだ。
「迎えに来たわよ、シイ! 馬車を止めることができないから、横からはみ出してる人につかまって!」
わたしは思い切り怒鳴り声をあげた。
物陰からシイが現れた。顔が思いっきり蒼ざめている。
さすがに、こんな無茶な曲芸をやらされるとは、思わなかったのだろう。
「ほらメイドの姉ちゃん! こっちだ!」
ピースに言われて、シイは催眠術にかかったようにふらふらと馬車のほうに寄ってきた。
次の瞬間、シイの体はピースに抱きかかえられていた。
「うまくいったぞ兄貴、ロープを引っ張ってくれ」
抱き合った二人は跳ね橋が持ち上がるように直立した。そのまま荷台の中に倒れこむ。
「次は追いかけてきた奴らを何とかしないと。えーと、何か使えるものはないかな」
ニューディルは荷台に転がっている木箱を次々と開けた。
「この馬車は会社に停めてあったのをかっぱらったんだ。だから荷台に何があるか、俺たちも分からないんだ」
御者台にやって来たピースが補足説明をする。
「駄目だ、どれも魔石しか入ってないや。こりゃ使えねえな」
ニューディルが残念そうに言った。
「ま、魔石があるの? それならストーンウォールが使えるわ。ピース、御者を代わってちょうだい」
希望が見えてきた。
荷台にある木箱は三つ。これだけの魔石があれば、このさき追手を撃退する手段に困ることはないだろう。
わたしは木箱に左手を突っ込んだ。
こんな機会はめったにない。魔石をぜいたくに使って、自分がどれだけの魔法が使えるのか試してみよう。
右手を馬車の後方にかざす。
「ストーンウォール!」
次の瞬間、目の前の地面がぐんぐん盛り上がり、巨大な壁が出現した。いや、もはや山と言ったほうがいいかも知れない。