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【書籍化】精霊つきの宝石商  作者: 藤崎珠里
空想のエメラルド
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 傷もインクルージョンもない、ノンオイルエメラルド。

 ……む、無理だ。でも断りたくない!

 思わずぎゅっと顔をしかめそうになるのを、私は必死にこらえた。


 無理難題であることを説明して、きちんとご納得いただけるようであれば問題ない。けど、ご納得いただけず、悪評が流れでもしたら困る。開店直後の評判というのは後々に響くだろう。

 一応、一つだけ手を思いつかないわけでもなかった。

 だけどそれはちょっと……いや、かなりずるい行為だと個人的に思うから、できればやりたくないんだよなぁ。特別なジュエリーならともかく、一般のお客様へ商品として提供するのは……。


 あまり黙り込むのも心証が悪いだろうと、私はひとまず問いを投げた。


「不躾な質問で恐縮ですが、ご令妹様は宝石にお詳しいのでしょうか?」


 宝石は宝石として、もともと美しいものだと思っている方は案外たくさんいる。傷もなく透明な無加工のエメラルドなんてわざわざ指定するのは、それなりに宝石について知っている証だろう。

 ただ、どこまで知っているかが問題だった。


 たとえば同じくらいの透明度で、オイル処理を施したエメラルドとノンオイルエメラルドがあったとする。その場合、価値が高いのは当然ノンオイルのほうだ。

 そういうことだけご存知で、しかしまったく傷がないノンオイルエメラルドなんて現実的に考えたら存在しない、ということを知らなかったとしたら。……相手の性格によっては、納得してもらうのが難しいだろう。

 偏見が混ざっているかもしれないが、貴族には性格に難ありな人が多いのだ。もっとも、一般市民相手に『普通に』接する必要もない、と考えている人が多いだけかもしれないけれど。


「ああ、詳しいはずだ。やはり難しい要望なのか? 悪戯を企んでいる顔をしていたから、何かあるとは思っていたが……」


 伯爵はあっさりとうなずいた。

 そ、そこまで予想したうえでのご来店だったんだ……。なら、説明にもきちんと耳を傾けてくれそうだ。

 背筋を正して、伯爵に向き直る。


「正直に申し上げまして、ご希望のエメラルドをご用意するのはほとんど不可能かと存じます。エメラルドに傷はつきものです。透明な、ということは、内包物も存在しないものをご希望なのでしょうが、エメラルドは宝石の中でも特に内包物が多い宝石ですし、魔宝石であればなおさらです。また、ご令妹様がおっしゃった加工というのは、おそらくオイル処理と呼ばれる加工のことです。傷や内包物を目立ちにくくするための加工であり、エメラルドの九十パーセント以上にこの加工が施されております」

「なるほど……。加工をしていないエメラルドは、この店にあるか?」

「はい。お持ちいたしますので少々お待ちください」


 別室から、エメラルドのルースを保管した箱を持ってくる。その中でもわかりやすそうな数個を、ピンセットでトレイの上に並べた。

 地属性の魔力が入り込みやすいエメラルドは、魔力の輝き方が安定していることが多い。シャンタルがカットしたエメラルドは少し特殊だったけど、基本的にはどっしりとした一定の光で、味わい深くて美しい。時折地脈に水が流れるように、勢いよく光が走るのもまた美しいものだった。


 ちなみに魔力の属性には、主に火・風・水・地の四種類がある。特殊な属性としては光と闇も存在する。

 石によって馴染みやすい魔力の属性は異なり、輝きにもそれぞれ個性が出るのだ。


「こちらの三つはオイル処理を施したものです。そしてこちらのみ、処理をしておりません」

「……美しく見えるが」


 じっと見つめた伯爵が、怪訝そうな顔をする。

 まあ、そうだよね。裸眼で見ても美しく見えるレベルでなければ、ノンオイルのものを商品になんてできない。

 なので私は、伯爵に低倍率のルーペを渡した。鑑定や検品に使うルーペだと、目とレンズ、石の距離がかなり近くなってしまって、慣れていないと扱いづらいのだ。

 ルーペを覗き込み、伯爵は得心のいった声を出した。


「ああ、確かに。思ったよりも傷があるな」

「はい。しかし、エメラルドの中ではこれでも非常に少ないのです。オイル処理をしてあるほうもご覧ください。加工をしても、この程度の傷や内包物は残ります」

「……ふむ」

「ご令妹様がどの程度の傷のなさをお求めかは判断しかねますが……ルーペでもほとんど確認できない、というレベルのものでしたら、石の仕入れにお時間を頂戴することにはなりますが、見つかる可能性はございます。しかしもしも、ルーペで見たときにもまったく傷が見えないエメラルドをお求めの場合、ご用意するのは難しいかと存じます」


 考えるような顔をした伯爵は、ルーペを置いた。


「あなたは先ほど、()()()()不可能だと言っていたな。用意できる可能性も否定はできないのか? それとも、存在しないことを証明できないだけか?」


 その鋭い問いよりも、『あなた』という呼び方に驚いてしまう。相手に敬意を払うような色が、そこには確かに宿っていた。

 本当に育ちのいい貴族の方って、初対面の店員相手でもこんなふうに接してくれるのか……。

 見たところ、伯爵は私よりも数個年上である。年下の一般市民、しかも女なんて、貴族の男性からすれば見下して当然、という風潮すらあるのに。


 しかし呆けている場合ではない。

 まだまだ貴族相手の対応には粗が多いな、と反省しながら、頭を切り替える。


「現実的でない方法であれば、手に入る可能性も否定はできません」

「どんな方法だ?」

「……ドラゴンの体内でなら、傷一つないエメラルドが生まれるかもしれません。ですので、ドラゴンの巣を探せば見つかる可能性はございます」


 この世界にはファンタジックな生き物が多数存在するが、その中でもドラゴンは一際そうだと思う。

 彼らは、数千年という途方もない時を生きている。その代わり繁殖力はほぼないのか、子どもはめったに産まれない。全世界で見ても、総数は両手で数えられるくらいだ。

 そういうところも、ファンタジーだなぁ、という感覚に拍車をかけていた。


 ドラゴンの体の仕組みはいまだ解明されていない。

 けれどごくまれに、その体内で宝石が生まれることはわかっている。膨大で良質な魔力をたっぷりと含んだ魔宝石は、インクルージョンが存在しないことが多いらしい。排出のされ方によっては欠けすら存在しないのだとか。

 ……そんな夢みたいな魔宝石、私だっていつかは見てみたいとずっと思ってきた。


「ドラゴンか。それは本当に、現実的ではないな」


 伯爵が小さく苦笑する。

 ドラゴンは狂暴で、縄張り意識も強い。

 ドラゴンの巣に入ろうものなら、即座にブレスに焼かれるだろう。経験あふれる冒険者や傭兵が数十人がかりで戦って、ようやくわずかな足止めになるかならないかくらいだ。

 魔宝石の採取のためにドラゴンの巣に赴くのは、まるで現実的ではない――のだけど。前述のとおり、一応私ならできないことはない。やりたくないだけで。


 この物分かりのいい伯爵なら、きっとこれで引き下がってくださるだろう。代わりのジュエリーをいくつか提案して、妹さんが気に入ってくれることを願うしかない。

 そんなふうに考えていたとき、伯爵が残念そうにつぶやくのを聞いてしまった。


「妹の我儘どおりのイヤリングを贈って、彼女がどんな反応をするのか見てみたかったんだが……」


 …………わ。

 わかる!!


 心の中で全力で同意する。

 アナベルはあまり我儘を言わない子だけど、たまに言ってくれることもある。そういうときに我儘を叶えて、思う存分甘やかしてあげると、それはそれは幸せそうに笑ってくれるのだ。

 その我儘が、今回のような無理難題だとして。それをどうにか叶えてあげたら、いったいどんな顔をしてくれるだろう?

 想像するだけで心がときめいて仕方がない。妹というのは、そういう存在だ。


 たぶん伯爵も同じようなことを考えていたのだろう。

 だとすれば、本当に無理だと悟った彼の落胆はどれほどのものか。


「さすがにドラゴンとなると無理だな。詳しく教えてくれてありがとう」

「いえっ、お待ちください!」


 思わず待ったをかけていた。

 詰め寄りかけた身体を慌ててちゃんと椅子に収め、小さく咳払いをする。

 同じく妹を持つ身として、ここで彼に諦めさせるのは忍びない。


「……実は、一つだけ手がないわけでもございません」


 私の言葉に、伯爵は「ほう?」と興味深そうな顔をした。




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