88話 立ち聞き
ブラックと舞がホールで話していた頃、鏡を見ながら呟いている者がいたのだ。
最近おかしい・・・
短時間ではあるが、記憶が抜け落ちているのだ。
気付くと、さっきまでと違う場所にいる事も。
まるで昔のような・・
若い頃・・・確か五百年以上前にはなるが、同じ症状に悩まされた時がある。
まさかあいつがまた・・・
その者は鏡にうつる自分にむかって、自問自答していたのだ。
それは怒りと不安が入り混じった様な表情だった。
しかし、すぐにいつもの表情に戻ると、部屋から出てやるべき仕事に取り掛かったのだ。
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舞は、さっきジルコンが着せてくれた青い素敵なドレスのまま、部屋の片隅に膝を抱えて座り込んでいた。
私は聞いてはいけない事を聞いてしまった気がする。
ブラックがあんな事を考えていたとは・・・
私は自分の世界を捨てて、この世界に来たのに。
信じていたのに・・・
私は溢れる涙を止める事が出来なかった。
私は青いドレスに着替えて、ブラックを待っていたのだ。
しばらく待っても来ないので、私は王の執務室の様子を伺いに行ったのだ。
まだ仕事が立て込んでいるのだろうか・・・
私はそっと扉を少しだけ開けると、話し声が聞こえたのだ。
どうもユークレイスとネフライトと話している様だ。
まだ仕事が終わって無いのかと思い、すぐに扉を閉めようとしたのだ。
しかし、その会話はどうも仕事の話ではなさそうだった。
私の事を話していた様なので、私はついそのまま聞き耳を立てたのだ。
「ブラック様、舞殿が部屋で待っているのでは無いですか?
もう仕事も一段落したところですから、どうぞ行ってあげてください。」
ユークレイスはブラックにそう伝えたのだが、ブラックからは意外な言葉が出て来たのだ。
「ああ、そうなんだが・・・まあ待たせても構わないよ。
実は正直気が重いんだよ。
舞がこの世界に来てくれると言ってくれたときは確かに嬉しかった。
しかし、たまにしか会えないから良かったのかもしれない。
それに最近考えてしまうのだよ。
やはり魔人と人間では自分自身を取り巻く時間の流れが違うからね。
今は若く美しい舞でも、五十年も過ぎれば年老いてしまうだろう。
その時に私は今と同じ様に思う事が出来るのだろうか・・・
後で辛い思いをさせるくらいなら、やはり離れた方が舞の為でもあるのではないかと・・・」
私はそんな風に話すブラックが信じられなかった。
私が人間である事は会った時からわかっていたはずなのだ。
なのに、今になって・・・
私はそっと扉を閉めると、急いで部屋に戻り鍵をかけたのだ。
そして暗い部屋の中でブラックから出た言葉を何度も頭で繰り返したのだ。
私はどうしてもブラックの言葉が信じられなかった。
しかし、直接聞く事も怖かったのだ。
どうしたら・・・どうしたら・・・
私はうずくまりながら、とにかくこの場所から離れたいと思ったのだ。
私は着ていたドレスを脱ぎ捨て、もともと着て来たドレスに着替えたのだ。
ブラックにもらったペンダントはさっきのドレスに合うネックレスに変えていたので、ベッドの上に置きざりにしていたのだ。
それを見て、一瞬だけ手に取ろうと思った。
でも、私にはもう必要ない・・・
私はバタンと扉を閉めて、急ぎ城を出たのだ。
転移の洞窟までは歩いて行くには少し距離があった。
もう夜も遅かったので馬車をお願いする事もできなかった。
私は申し訳ないと思いつつ、精霊に助けを求めようと思ったのだ。
振り向いて城を見ると、私は大きなため息をついて胸元にある小さな小袋に手をかけたのだ。
その時である。
「舞殿、ここで何を?
ブラック様ももうすぐ手が空くと思いますよ。
お部屋で待っていた方が良いのでは?」
気付くとユークレイスが立っていたのだ。
「急に用事を思い出して・・・人間の国に戻らなくてはいけなくなったの。」
私は涙を堪えながら下を向き答えたのだ。
「ブラック様はその事を・・・」
「いいの!
ユークレイス、お願い。
私を転移の洞窟まで連れて行ってくれるかしら?」
私は泣き腫らした目でユークレイスを見ると、ユークレイスは黙って頷いたのだ。
私はユークレイスに掴まると、瞬時に洞窟の入り口まで移動したのだ。
「ありがとう。」
私はすぐにさよならを言って洞窟に入ろうとした時、ユークレイスが腕を掴んだのだ。
私は驚いてユークレイスを見ると、いつになくやさしい顔で私を見たのだ。
「舞殿・・・
もしや、さっきの執務室での話を聞いていたのですか?」
私は黙って頷くと、ユークレイスは優しく諭す様に話してくれたのだ。
「ブラック様の気持ちは変わりないと思いますよ。
ただ王の立場や、魔人と人間という立場・・・
色々考えたくなることがあるのだと思います。
私が口を挟むことではありませんが、私は魔人の王としてのブラック様が最大限の仕事ができる様に・・・とは思っています。
心苦しいのではありますが、もしブラック様のことを考えていただけるのなら、舞殿が身を引いていただくのが一番かと思います。」
いつになく多弁なユークレイスは、優しく私に話したのだ。
そんな事は初めからわかっていたのだ。
それでも・・・
私が黙っていると、ユークレイスは続けたのだ。
「もしもですが、決心が決まりましたらこれを使ってください。」
そう言って、ユークレイスは私に小さなビー玉くらいの綺麗な石のようなものを渡したのだ。
「これは私の魔力が込めてあるものです。
念じれば、必要のない記憶を一切封じ込めることが出来る玉です。
決心がつきましたら、ぜひ使ってください。
そうすれば、心を痛める事もありませんから。」
「・・・ありがとう・・・考えてみるわ。」
私はそう言って洞窟の中に入り、カクのお屋敷に急いだのだ。
ユークレイスは洞窟に急ぐ舞の姿を見届けると、すぐに城に戻ったのだ。
城に戻るとブラックが血相を変えて城の外に出て来たのだ。
「ああ、ユークレイス、舞を知らないか?
私が送ったペンダントを置いたまま部屋にいなかったのだよ。」
「先程、急用が出来たとのことで、急ぎ人間の国に戻ったようです。
舞殿からまたすぐにこちらに来るので、ブラック様には城で待っていて欲しいとのことでした。」
「そうなのか・・・」
ユークレイスはいつものように冷静にそう伝えると、ブラックは少し納得出来ない顔をしたが、城の中に戻ったのだ。
それを見たユークレイスは、青く鋭く光る目を緩めたのだった。




