153話 ネフライトの回想 I
黒翼国の地下の森では、ネフライトが手のひらに乗せた結界のキューブを見て、はるか昔の事を考えていた。
ああ、ブラック様・・・こんな所に閉じ込めてしまい申し訳ありません。
私がこの世界の蜘蛛を持ち出し、マキョウ国の王に渡したのです。
魔人と人間の亀裂を深める為に・・・
あなたはもっと偉大になれるお方。
遥か昔から、私はそう信じておりました。
だからこそ、『闇』の創造者から話を頂いた時、いつかその時が来たら手伝いをする事を契約したのです。
私がまだ世の中の事など何もわからず、色々な書物にかじりついていた頃・・・
私は歴史を知る事が好きだった。
古の時代に書かれた書物を読む事に、楽しみを見いだしていたのだ。
そして魔人としての強さなどには、全く興味が無かった。
実際、父や兄弟達はそれなりに魔人としての強さがあったが、私自身はごく普通の魔人でしか無かった。
私達は、身体を鍛える事で魔力も増す特徴があった。
だから、家族からは鍛えれば強い魔人になれると言われてきたが、全く興味が無かったため、いつまで経っても取り柄のない魔人だったのだ。
それでも、私は多くの本に囲まれる生活が出来れば、なんら不満は無かったのだ。
当時は魔人同士の争いが絶えなかった。
今の幹部達の様な、上位の魔人と言うべき強い者が揃っていなかった時期で、ある意味誰もが上を目指せる時代だった。
しかも、当時の王や幹部の地位にいた者達は、弱者排除、強者中心の世界を目指していたので、誰もが自分の力を高める事に重きを置いていたのだ。
その為、私の様な平凡な弱い魔人は虐げられていったのだ。
それでも、最低限の生活と自由に本が読めるのであれば、私は我慢出来ないほどでは無かった。
しかし、だんだんと弱い魔人が奴隷の様な扱いを受けたり、言論の自由もなくなっていき、本も自由に読めない世の中になっていったのだ。
以前まで国の誰もが入れた城に隣接する書館にも制限がかけられ、一部の上位の魔人しか入る事が出来ない状況になったのだ。
弱い魔人には教養すら必要ないと言う事なのだろうか。
今まで、ある程度の理不尽な事は許せたが、私にとってこの事だけは我慢が出来なかったのだ。
その書館にある本を読む事が、私の生きがいであったのだ。
そして私は後先考えず、書館の警備の交代の隙をついて、中に入り込んだのだ。
はるか昔に作られた書館の中は、少しカビ臭く薄暗かったが、多くの書物が天井に届くくらいの高い本棚に置かれていて、とても荘厳な雰囲気であった。
私の一生をかけても、すべて読み終わる事は出来ないといつも思うのだ。
それにしても、部屋の中は静まり返っていて、誰もいないのではと思うくらいだった。
上位の魔人達にとっては、この場所はそれほど重要ではないのかもしれない。
以前は多くの魔人を見る事が出来たのに・・・
何のための規制なのだろうかと、私はため息をついたのだ。
しかし、部屋の片隅にとても強い魔人の力を感じたのだ。
そっと、本棚の陰からそちらを覗くと、すらっとした端正な顔立ちの魔人が、多くの本に囲まれていたのだ。
魔力が強いだけでなく、とても高貴な魔人の様に感じたのだ。
その魔人はすぐに私の方をチラッと見たが、特に何も気にする素振りは無かったのだ。
私は見られた事で、かなりまずいと思ったのだ。
こんな私の様な弱い魔人が、ここにいてはいけないのだ。
すぐにその事がわかったはずなのに、その魔人は特に何も言わず、黙々と本を読み続けていたのだ。
私はホッとして、自分が好きな歴史物の書物を探そうとした時である。
「おい!
ここは、お前の様な魔人が入れる場所ではないはずだぞ。
どこから入った?」
突然、警備の兵士に呼び止められ、書館の外に追い出されたのだ。
魔人の世界では、見るだけで相手の強さがわかるのだ。
情けない事に、私はここにいる事が不似合いな魔人だと、誰からもわかるのだった。
だからこそ、見つからない様にと思っていたが、久しぶりに入る書館に心が躍り、私は警戒を怠ったのだ。
このまま捕まってしまえば、二度とこの場所には来る事が出来ないかもしれない。
私は絶望して、座り込んだまま立ち上がれなかった。
しかし、その時誰かが私の横に立ったのだ。
見上げると、さっき奥の方で書物に埋もれていた、あの強い魔人であった。
「ああ、その者は私の連れですよ。
借りた沢山の書物を家に持ち帰るのが大変なので、荷物持ちに彼を連れてきたのだよ。
だから・・・気にしなくて結構ですよ。」
はじめは穏やかに話していた魔人だったが、最後には警備の兵士を睨みながら、低い声で話したのだ。
それを見た兵士達は顔を見合わせ頷くと、敬礼して何も言わずに持ち場に戻ったのだ。
私は状況がわからず、目を丸くしてその魔人を見たのだ。
「何故私を・・・私はここに入れる魔人で無いのは、あなたもわかっていたはず。」
「あなたは本当に本が好きなのですね。
こんな馬鹿げた制度が出来る前から、ここで良くお見かけしていましたよ。
魔人の強さなど、本を必要とする人にはなんら関係ないですよ。
興味がある者が読めばいいのです。
さあ、私がいる間は、好きなだけここにいていいですから。」
それが、ブラック様との出会いだった。
それから、ブラック様が書館に来る時は、私もご一緒する事が出来たのだ。
私達は色々な話をした。
本についてはもちろん、今の魔人の国についてや、この世界について・・・
そして、ブラック様は人間の国の本を私に貸してくれたのだ。
それはこの書館には置いてないものだった。
ブラック様は人間の生活にとても興味を持ち、色々な書物も集めていたのだ。
それを借りて読む事で、私の世界はとても広がったのだ。
私は益々、ブラック様に会う事がとても楽しみとなったのだ。
当時のブラック様は、すでに魔人の王になってもおかしくないくらいの強さを持ち合わせていたのだ。
しかし、全くと言って王という立場に興味が無かったので、周りからの勧めもあったが、断ってきたらしい。
だが、最近のこの国のやり方には嫌気がさしてきたと言っては、ため息をついていたものだった。
それから数ヶ月ほど経った頃、パタリとブラック様が書館に来なくなったのだ。
何かあったのだろうか・・・やはり弱い魔人の相手などは飽きたのだろうか?
ブラック様がいなければ、私は書館に入る事すら出来ない。
なんて、弱くて情けない存在なのだろう。
やはり・・・私とブラック様とは世界が違うのだ。
私は書館に入る事が出来ない事が、とても辛かったのだ。
そして我慢出来ず、私はまた書館に忍び込むしかないかと、入り口を見てため息をついたのだ。
それにしても、ブラック様に借りた本は返さなければいけない。
私はどこにお住まいなのかも聞いた事が無かったのだ。
手に持った何冊かの本を大事に抱え、どうしたのもかと思案していたのだ。
その時、警備の兵士達が私の所に数人集まって来たのだ。
「今日もご主人様はいないようだな。
お前のような魔人が来るところでは無い。
御慈悲で入る事が出来ただけなのだそ。
さあ、さっさか帰るのだ。」
そう言って、私を突き飛ばしたのだ。
その時、ブラック様から借りていた本を落としてしまい、私は急いで拾い、破損してないか確認したのだ。
「おい、お前が持っている書物は、ここのものでは無いか?
国の物を盗むなど、大罪であるぞ!
捕らえて城に連れて行くぞ。」
兵士達は私を取り囲み、本を取り上げようとしたのだ。
しかし、私はブラック様から借りた本を取られるのだけは絶対に避けたかった。
私は身体を丸め、抵抗したのだ。
「いえ、これは違います。
ここの書館の本ではありません。」
そうちゃんと話したが、聞き入れてはもらえなかったのだ。
この本はブラック様に借りた大事な本。
取り上げられるわけにはいかない。
傷つけられる訳にはいかない。
私はその思いで、身体を痛めつけられても、絶対に渡したく無かったのだ。
そして、なかなか本を渡さない私に苛立ちを覚えた兵士が、手に炎を灯したのだ。
その兵士は、元々炎を少し操る事が出来る魔人だったらしい。
「お前が悪いのだ。
書物もろとも燃えてしまえ!」
そう言うと、小さな火の塊を私にいくつも投げつけて来たのだ。
私の魔人としての力は、身体を硬化させる事であった。
だから、殴られたり、多少の火に囲まれても問題は無かった。
だが、所詮は弱い魔人なのだ。
私の魔力は長くは持たなかった。
私の身体が痛みでジワジワと悲鳴を上げて来たのだ。
しかし、抱えている本だけは燃やされる訳にはいかなかった。
自分が消滅しても、この本だけは無傷でブラック様に返したかったのだ。
そう思った時、何人かの悲鳴と同時に、黒い影のような波が私の周りに現れたのだ。
そして辺りが静かになると、私への攻撃が無くなっていたのだ。
見上げると、さっきまで私を痛ぶっていた兵士達が飛ばされ、書館の壁にぶち当たり倒れていた。
振り向くと数人の魔人と共に、ブラック様が不快な表情で左手を兵士達に向けていたのだ。
やっとお会い出来た。
本を返さないと。
その時の私はその思いしか無かったのだ。
すぐにブラック様は私に駆け寄ると、申し訳ないような顔で話したのだ。
「ネフライト、大丈夫かい?
待たせて申し訳なかったね。
・・・色々立て込んでいて、遅くなってしまったよ。
しかし、もう大丈夫。
一人でも、安心して好きな本を沢山読んでいいのです。」
「それは・・・どう言う意味でしょうか?
それと・・・お借りしていた本・・・少し焦げてしまいました。
・・・申し訳ありません。」
私は途切れ途切れ、そう伝えたのだ。
ブラック様が言っている事がよくわからず、不思議な顔をしていると、ブラック様の隣にいた魔人が教えてくれたのだ。
「ブラック様が王になられたのですよ。」
ブラック様を見ると、何だが照れているようだった。
これで、また自由に好きなだけ本が読める。
「よかった。
これで・・・この国は良くなりますね。」
そう言った後、私の意識が途切れたのだ。
私は気付くと、自宅で横になっていた。
背中が痛かったが、少しずつ治癒しているようだった。
魔人は誰もが自己再生能力は備えているので、消滅さえしなければ、ある程度の期間で元の身体に戻る事が出来るのだ。
ただ、弱い魔人ほど、その期間は長いのだ。
どうもブラック様と一緒にいた方がここを探し出し、送り届けてくれたらしい。
兄弟の話によると、借りていた本は大事に持っていて欲しいとの事だったのだ。
ブラック様が王となれば、また自由に本が読める。
私は本当に嬉しかったのだ。
・・・しかし、王になったブラック様とはもう気軽に会う事は出来なくなる。
今までの私は、書物さえ読む事が出来れば満足だった。
しかし、ブラック様と一緒にいた数人の魔人達を見た時、私もその中に加わりたいと言う思いが出てきたのだ。
だが、こんな弱い魔人では、無理な話なのだ。
ブラック様の周りにいた魔人達も、かなりの魔力のある魔人達なのだ。
私に力があれば・・・
そう思った時、誰かが私に囁いてきたのだ。
「力が欲しいか?」