135話 第二の扉
かつてのこの世界の主は、目の前に現れた扉を見ながら考えていた。
私はあの親子の見た目や生活ぶりから、美しい存在とは思えなかった。
今までだったら、すぐに消去していたものばかり。
あんな境遇にいたら、誰だってこんな世界から抜け出したいと思うはずなのだ。
・・・しかし、その母親は違ったのだ。
与えられた素晴らしい世界よりも、より良い世界にする為に、今ここで出来る事をしたいと。
辛い状況でも、その中に小さな幸せを見出せるその親子に驚いたのだ。
私は今までそんな事を考えた事がなかった。
そして、何ら関係のない私を気遣い、それによって起きた怪我でさえ、気にする事は無いと言うのだ。
私は自然と感謝の言葉を口にしていたのだ。
今まで、本当の意味で感謝の言葉など口にした事は無かった。
誰に対してもそんな気持ちを抱いた事など無かった。
私を作った創造者に対してさえもだ。
そして・・・この親子に出来る事があればと思ったのだ。
それにしても、あの人間の娘が使ったもの・・・
あれはいったい・・・
森で私を苦しめたものとは違い、今度はあの母親を癒やしたのだ。
それにあの娘の創造者に対しての態度も驚きだった。
関わりのない世界から来た者だからなのか、真っ直ぐに創造者を見るあの黒く大きな瞳は、とても美しかったのだ。
そして私はチャンスをもらったのだ。
正直なところ、あの娘が私と一緒に来てくれた事が、今はとても心強く思うのだ。
私は目の前の扉に目線を移した。
扉の向こうは元の世界になっているのだろうか?
私はその扉をしばらく眺めた後、意を決して開けたのだ。
しかしそこは、私が想像していた場所とは違っていたのだ。
扉の中に入ると、そこには見渡す限り緑の草原が続いていたのだ。
見覚えのない場所・・・
ここは私と何の関わりを持たない世界なのだろう。
しかし、温かい日差し、頬に当たる心地よい風・・・
私はそこに立っているだけで、とても癒されたのだ。
よく見ると、草原の中にポツンと一軒の家がある事に気付いた。
私はとりあえず、そこに向かったのだ。
その家の前に立つと、聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。
私はそっとその家の入り口のドアを開けて、中を覗いたのだ。
すると、ネモが嬉しそうに歌いながら料理をしている姿を、私は見る事が出来たのだ。
そんな姿を見るのは初めてだった。
いや・・・私が作ったネモはそんな事はしない。
それに、あんな楽しそうに笑う事も無かった。
彼女は私の忠実な部下であった。
ネモは他の住民と違い、私が全てをコントロールしている訳ではなった。
しかし、彼女の意思での行動に任せていた時も、私の意に背く事など全く無かったのだ。
彼女は素晴らしい部下であり、私の唯一の話し相手だったのだ。
だから、ネモが消えてしまうことだけは、どうしても避けたかったのだ。
彼女がいなくなったら・・・私は一人になってしまう。
しかし、私のコントロール下でない彼女が、あんな楽しそうに笑う事は今まで無かった。
もしかしたら、創造者が入っていた様に、今のネモの身体には別の者が入っているのか?
そう考えながらネモを眺めていると、ネモがこちらに気付いたのだ。
「あ、お帰りなさいませ。
主様。
今、お食事の準備をしていますから、もう少し待っていて下さいね。」
ネモはそう言ってニコリとして、椅子に腰掛けるように進めたのだ。
私が不思議な顔でそんなネモを見つめている間に、テーブルに次々と美味しそうな料理が出されたのだ。
そしてネモは私の前に座ると、たわいのない話を始めたのだ。
それは、以前のような部下が主に報告をしている状況とは全く違ったのだ。
まるでそれは、友人や恋人にでも話しかけているかのようだった。
話しながら色々な表情をするネモを見ているだけで、私は幸せを感じたのだ。
本当はこんなネモを望んでいたのかもしれない。
そう思った時である。
急にネモの表情が変わったのだ。
それは、私が長い間見てきたもの。
そうだ・・・ネモは私が指示しない限り、あんな楽しげな表情をする事は無かったのだ。
今のネモのように。
その時、家のドアがギーっとゆっくり開いたのだ。
私は振り向いて、ドアの方を見ると唖然としたのだ。
そこには、ある者が立っていたのだ。
ネモは椅子から立ち上がると、その者に向かって歩き出したのだ。
そこに立っていたのは、私自身だったのだ。
私が驚いていると、もう一人の私はネモに指示をしたのだ。
「そこにいる者を消去しなさい。」
そう言って手のひらから作り出した剣をネモに渡したのだ。
すると、ネモは無表情のまま剣を構え、私に近付いて来たのだ。
「ネモ、やめるんだ。
よく見てくれ、私だ。」
私はネモを止める為、一生懸命説得しようとしたのだ。
しかし、ネモはそんな言葉には耳を貸す事は無かった。
もう一人の私の指示のもと、私に近付くと剣を振り下ろして来たのだ。
私は手のひらから盾を作り出し、ネモの剣を防いだのだ。
私はネモを傷つける事が出来なかったので、防御に徹するしかなかったのだ。
しかし、剣を振り下ろしたネモの顔を見た時、私は今まで彼女に酷い事をしてきたのだとわかったのだ。
一瞬だったが、無表情の彼女の頬を涙が伝うのを私は見たのだ。
きっとこんな事はしたくないのだろう。
心ではそう思っても、もう一人の私にコントロールされている限り、抗う事は出来ない。
私は今までなんて事をしていたのだろう・・・
このままネモに傷つけられるのは、自業自得なのかも知れない。
ネモが剣を振り下ろそうとしていたが、私は盾を持つ手を下ろしたのだ。