118話 記憶の波
ラピスは舞の記憶の小石を握りつぶすと、真剣な顔でブラックを見たのだ。
ブラックはそれを見て呆然として声が出なかったのだ。
舞の記憶・・・
私の事は、もう思い出してもらう事は出来ないのか?
私と舞との出会い。
精霊の森を助けた事。
黒翼国での戦いや悲しみ。
ドラゴンの良心を目覚めさせた事。
そして地下の森の遺跡。
多くの冒険をして危険な目にもあったが、嬉しい事も沢山あったはず。
そしてあの時・・・私の所に必ず戻ってくる事を約束してもらったのに。
全ての記憶が消失してしまったというのか・・・
私は・・・何も考える事が出来なかったのだ。
私は膝をついて顔を上げる事が出来なかった。
しかし、そっと誰かが私の肩に手を置くのがわかった。
その手はとても温かく、私は少しだけ顔を上げる事が出来たのだ。
横を見ると、長い黒髪を一つに縛って、大きな黒い瞳をラピスに真っ直ぐに向けている者がいたのだ。
もしかして・・・その力強い瞳を見て、私は確信したのだ。
・・・戻ったと。
そして、彼女はラピスの前まで行き、顔を見て微笑んだのだ。
「良かった。
ユークレイスだけでなくあなたがまだ存在しているなら、この薬を使えるわ。
この薬をすぐに使っていいか・・・
さっきまでの私は何か引っ掛かるものがあって、今までそれが何なのか分からなかったの。
でも、今なら分かる。
何回も使ったこの薬・・・使う時を間違えてはいけない。
あなたの存在も消えて、ユークレイスも弱っているのなら、追い出されてしまうのは・・・
心の奥底でそれが引っかかっていたのね。
でも、今なら間に合うわね。」
「舞殿・・・申し訳ありません。
私のせいで、この世界が・・・」
ラピスは舞に、片膝をついて頭を下げたのだ。
「私は大丈夫だから。
それに、初めから記憶を消滅させる気はなかったのでしょう?
・・・確信は無いけど、違うかしら?」
ラピスは立ち上がると、顔を緩めて話し出したのだ。
「私には記憶を取り出したり、新しい記憶を植え込む事は出来ます。
しかし、取り出した記憶は保存する事が出来ても、破壊することなんて出来ないんです。
あの小石を割れば、元の持ち主に戻るんですよ。
もちろん私がいなくなっても、ユークレイスがいれば問題なかった。
しかし・・・私達二人の人格の崩壊、消滅が起きればそのまま全て消えてしまう。
それだけは避けたかった。
だから、舞殿に会えて良かった。
記憶を返す事が出来て良かった。
・・・早く、彼が目を覚ます前に。」
舞はそう話すラピスの腹部に、黙って優しく光る丸い物を押し付け破裂させたのだ。
すると、ユークレイスの姿全体が光に包まれ、膝をついて倒れ込んだのだ。
そしてユークレイスの頭部のあたりから、黒い霧状のかたまりが現れたのだ。
その塊は徐々に人型に変わり始め、ジルコン達が鉱山で会った少年の姿に変わって行ったのだ。
その者は横になったままで、まだ目を覚ましてなかった。
だが、目覚めるのも時間の問題なのだろう。
しかし、私は不謹慎ながら、ユークレイスから『闇の鉱石を支配する者』が出てきたことよりも、舞が明らかに記憶を取り戻した事が何より嬉しかったのだ。
振り向いた舞が私を見る目は、私が知っていた舞であり、駆け出して私に抱きついてきた舞は、あの時約束してくれた舞に違いなかったのだ。
私は舞の頭を撫でながら、耳元で話したのだ。
「舞、すまない。
私がちゃんとしていれば・・・」
「それは違うわ。
私の心が弱かったから。
でも、もう大丈夫。」
私と舞は倒れている二人に目を移したのだ。
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ラピスが記憶の小石を握りつぶした時、舞は覚悟したのだ。
今までのこの世界の記憶が戻らないとしても、私はこの世界との繋がりを無かった事には出来ない。
今までがどうであろうと、新しく関係を築けば良いだけ。
私に出来る事をするだけだから、何も怖い事は無いはず。
きっと、運命と言うものがあるならば、遠回りをしてもいずれ以前と同じ道に続くはず。
だから・・・大丈夫。
私がそう思った時、身体が何かに包まれ頭の中に記憶の波が入り込んできたのだ。
実際はほんの一瞬の事だったのかもしれない。
しかし、私には頭の中で早送りした映像を長い時間見ていたような気分だった。
そして、全てが繋がったのだ。
私は項垂れているブラックの所に行き、肩に手を置いたのだ。
そして、私の記憶を戻してくれたラピスの前に立ったのだ。
私は森の精霊の計画通り、異物を分離できる薬を使い『闇の鉱石を支配する者』をユークレイスの身体から追い出したのだった。




