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2:最も現実的な異世界転生

 それから、どれくらいの時間が過ぎただろう?


 何秒、何分、何時間経ったかはわからない。血まみれの久遠は身じろぎをした。


「また、ひとりぼっちだ」


 壁につかまるようにして立ち上がった久遠のもとに、何やら猛獣のような唸り声が近づいてきた。青空のもと、一頭の巨大な猛獣がパラボラアンテナの合間を縫ってくる。

 鬼火のようにゆらめく青白いたてがみ。金色の牙と爪。殺意に満ちたオレンジの相貌が瀕死の久遠を射竦める。高山帯ならではの赤茶けた砂利を踏みしめながら現れたのは、久遠の身長の三倍は超えるだろう、巨大な体躯をほこる青白い〝獅子〟だった。


神獣トーテムっ……!」


 久遠は恐怖で顔を歪ませると、目の前の山頂観測装置棟へ逃げ込んだ。

 背を向けた瞬間、獅子の〝神獣〟は腹の底に響くような咆哮をあげて久遠に躍りかかる。

 身も世もなく悲鳴をあげて、久遠は逃げだした。

 おどろおどろしい神獣の巨体が、文字通り建物を破壊しながら屋内に押し入ってくる。


「方舟主義の連中は、こんなところまで神獣をけしかけてくるのか……」


 久遠は観測棟の奥へ奥へと逃げ惑った。

 振り向きざまに拳銃を撃ちつけてみるが、焼け石に水だった。


「ちぃっ! くたばれっ! くたばれよぉっ!」


 鮮血を撒き散らしながら、久遠は観測棟の薄暗い廊下を駆けずりまわる。


「あった、地下室の扉!」


 非常用階段を駆け下り、観測棟の地下へ。そして〝Alchemical Large Millimeter/ submillimeter Array〟と銘打たれた地下室のドアに手をかけた。


 ドアが開くよりも前に、獅子の神獣が通路を粉砕して追いついてくる。


「うわっ!」と、久遠は自分の血で足を滑らせた。


 だがそれが奏功し、間一髪、噛みついてきた神獣を避けられた。

 すんでのところでドアが開き、慌てて地下室の中へ駆け込む久遠だったが……。

 自動ドアが閉まる直前、青白い獅子の神獣は逃さぬとばかりに久遠の右足を食いちぎった。


「があああああああ!」


 久遠はみっともなく泣き叫びながら、なんとか内側からドアに鍵をかけた。

 固く閉ざされたドアの向こうで、獰猛な唸り声が絶えない。

 千切れた片足を引きずりながら、朦朧とする意識のなかで、薄暗い地下室のなかを進む。

 こひゅーと空気の洩れる喉から、覚悟を決めたような声を洩らした。


「……もうじきおれは死ぬ」


 でも、他殺ではないし、自殺でもない。

 久遠は息も絶え絶えに、地下室の中にあった制御盤に倒れ込んだ。


「記憶は、消していこう……新しい世界には、要らないものばかりだから……」


 そう言って、制御盤に賢者の石を挿し込んだ。

 制御盤にべっとりと血を塗りたくりながら、久遠は最後の手続きと入力を静かに終えた。

 あの黒髪の少女のおかげで、必要な手続きはほとんど終わっているようだった。


「これでいい……あとはこの〝扉〟を抜けるだけ……」


 背後では、獅子の神獣がひっきりなしにドアを叩き、引っ掻き、唸っていた。


「あともう少しで、こんな先の見えないどうしようもない世界とはおさらばできるんだ……」


 久遠は、地下室の奥の古ぼけた〝扉〟の前に立った。

 この〝扉〟さえあれば、おれはここじゃない別の世界に生まれ変われるんだ……。


「さよなら、地球」


 自殺よりも温かい緩慢な死が、扉の向こうに待っている。

 薄れ消えていく意識と記憶と視界のなかで、久遠はドアノブに手をかけた。


「……あれ?」


 ふと、何かを忘れている気がした。

 何か、大事なことを……。

 何を忘れてしまったのか、それすらも思い出せなくて……。


 だが、そのうち思いつくだろう。

 雲野久遠は、扉を抜けた。

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