2.崩れる世界・拡がる世界② 鮮やかな推理
◇ ◇ ◇
チュンチュンと、鳥のさえずりが聞こえる。
「んー……朝?」
ぼやけた視界をはっきりさせるため、マキは目をこすった。
(頭がぼーっとする)
といってもたぶんこれは、風邪の症状ではない。昨日からずっと寝っぱなしだったので、単に寝過ぎたためのぼんやり感だ。
(嵐すごかったなぁ)
夢うつつに、雨や風、雷の音を聞いたことを覚えている。窓ががたがた鳴るほどの激しさで、マキが知る中で一番の嵐だったのではないかと思う。あまりよくは覚えてないけれど。
「よく、寝たー」
上半身を起こして伸びをする。
寒気はすっかりなくなった。気だるさはあるけれど、なんというかすっきりとした疲れで、悪い気はしない。
「んー……ん?」
マキはちらりと窓の外へと目をやり、
「わあぁっ、きれいなお空!」
きらきらと目を輝かせた。
雨上がりの空は雲ひとつなく、吸い込まれていくくらいに澄んだ青色だった。
(あの空の下は、すごく気持ちよさそうっ)
一気に心が跳ね踊る。そして急速にしぼみ戻る。
(……でも、出ちゃ駄目ってセンセイに言われてるし……でもでも、すっごくきれいな空だよ? ここから見てるだけじゃもったいないよっ)
窓ガラスに額と両手のひらを押しつけ、頭の中で大会議を開くマキ。いい子のマキと、ちょっと悪い子かもしれないマキ。楽しいことが大好きなマキに、センセイが一番のマキ。さまざまなマキが議論を重ね、
「……ちょろっと見てくるだけなら、いいよね?」
マキは頭の中の、いい子の自分に言い聞かせた。
そろりそろりとベッドを抜け出し、リサが起きないよう気をつけながら部屋を出る。
一度廊下に出てしまうと迷いも完全になくなってしまい、マキはすささささっと風のように――そんな気分でということだけど――速く静かに廊下を駆け抜けた。
やがて外に続く扉へとたどり着く。取っ手の辺りを見ると、閂がかかっていた。ということはまだ誰も、センセイでさえも外に出ていないということだ。
(私、すごいことしようとしてる)
靴箱から自分の靴を取り出し、あえてゆっくりと足を入れる。そうしなければ靴も履けないほど、マキの体は興奮で暴れていた。
身体中の血がぐるんぐるん、すごい速さで巡っている感じがする。
熱のせいでなく頰を火照らせながら、マキは閂を外した。そのままゆっくりと扉を開ける。
(わ、まぶしっ)
薄暗闇の中、扉の隙間から漏れる光に目を細める。最低限開いたところで、マキは滑り出るようにして外へ出た。
最後まで気を抜かず、扉をきちんと閉め終えてから、改めて辺りを見渡すと。
「わあ……すごい!」
空だけではなかった。
雨粒が付いた草花は、きらきらと光っていて宝石みたいだ。空気は肌からも伝わってくるほど澄んでいておいしい。
そんな気持ちのいい世界を、どこまでも続く青空の下で味わう。とっても贅沢だし、とっても楽しかった。
「気持ちいいっ」
マキは両手を広げて走り回った。本当は地面に寝転びたかったけど、服が濡れるとセンセイにバレてしまうのでやめた。
「全然危なくないじゃんっ」
きゃははと笑い、いいことを思いつく。
(リサも呼んでこようかな)
こんなに気持ちのいい朝、教えてあげなきゃもったいない。
あと、少しだけ――誓ってほんの少しだけだ――リサも言いつけを破ってくれたら、いざというとき仲間がいて安心かなという気もした。
(少しだけどね!)
再び、いい子の自分に言い訳をする。と、
「なにあれ?」
マキは首をかしげて前方を見た。
待ち人の家は、それがある広場も含めて、大きな塀で囲われている。塀の外には背の高い木々がたくさん並んでいて、マキたち待ち人を外の悪い生き物から守ってくれていた。
その塀の一部がおかしい。塀のてっぺんを乗り越えるようにして、外にある木がこちらへと飛び出してきていた。
(木ってあんな近くにあったっけ?)
なかった気がする。ないはずだ。なのに今はそこにある。
(なんでだろ?)
考えてもよく分からない。じっと考え込むくらいなら、あの場所まで行けばいい。
マキはすたたたっと駆けだし、あっという間に塀の下へとたどり着いた。
「うわ、大きい」
ぽかんと大口が開く。
塀のこちら側には木が生えていない。だからマキが見る木というのはいつも、塀の外にある木々の一部だけだ。
なのに今、木の上の部分がごっそりと塀を越して、その姿を惜しみなくさらしていた。
(外の世界の木が、こっちまで来てる!)
それはマキにとって、天地がひっくり返るような大きな出来事だった。
(なんでこっち側まで、はみ出してるの?)
目を見開いて木を見上げているうちに、気づく。
いつもは空を向いている枝が、ほぼ真横を向いている。はみ出している木は斜めになっていた。どうやら倒れて、塀に寄りかかっているらしい。
「……そうか、雷っ!」
ぱんと両手をたたく。
絵本で読んだことがある。雷が当たると木は倒れるのだ。
我ながら名推理だと、マキはひとり鼻を高くした。できればこの鮮やかな推理を、誰かに見ていてほしかった。
しかしすぐに他のことに気がいき、首を横に傾ける。
(……これ、センセイに言った方がいいのかなあ)
センセイはいつも、外の世界に触れてはいけないと言っていた。だからたぶん、木が塀の中にあるのはよくないことなのだろう。だけど、
(言ったら外に出たことバレちゃうし……)
下を向いて悩んでいると、上からガサガサという音が降ってきた。
「?」
見上げると、枝が細かく揺れていた。風も吹いていないのに。
そんなの見てしまえば気にならないはずがなく、マキはじっと枝を見続けた。
枝は変わらずガサガサと揺れる。ずっと見上げて首が痛くなってきた頃、それは枝の間から、突然顔をのぞかせた。
人間の子どもだった。
◇ ◇ ◇