6.夏の夜の鼓動⑧ 生きてる
◇ ◇ ◇
日はもうすっかり暮れてしまい、河川敷は花火目当てに集まる人々でごった返していた。
「うわ、今年も混んでる」
「やっぱ早めに場所取りして正解だったね」
健太郎と優菜が笑い合うそばで、香織たち年少組が座ってはしゃいでいる。
そして、そこから少し離れた場所。比較的雑草の少ない河川敷の草地に、マキと大地は隣り合って座っていた。
あれからもう1時間ほどは経っただろうか。
大地が呼ぶより早くマキがブザーで呼んでいたこともあり、大熊先生はすぐに来てくれた。
先生は女性に応急処置を施すと、次いでやって来た救急車とかいう車――先生が呼んだらしい――に彼女を乗せた。
命に別状はないが、念のために付き添う。
先生はマキたちにそう告げると、救急車に乗っていってしまった。お前たちは予定通り、花火を見て待っていろととも言い残して。
だからマキと大地は優菜たちと合流し、こうして河川敷で花火の打ち上げを待っていた。
が、あんなことがあったのだ。マキと大地との間には気まずい空気が流れ、病院で会った時に逆戻りの沈黙がずっと続いていた。
(あの女の人……たぶん大地のお母さんだよね?)
大地が『母さん』と呼ぶのを聞いたから、間違いないとは思う。しかし大地の口から説明を受けたわけではないので、なんとなく話題にしづらかった。
地面に横たわる女性の姿を思い出し、マキはぎゅっと膝を抱えた。
よみがえるのは発作を起こした夜のこと。自分もあんなふうに、寂しく震えていたのだろうか。
「母さんは俺が邪魔だったんだ。父さんが俺のことを嫌ってたから」
なんの前触れもなく、唐突に大地が口を開いた。
振り向くと、大地はこちらに目を向けることなく、前方の虚空を見つめていた。
「小さな頃のことであまり覚えてはないけど、父さんは機嫌が悪いとよく俺を殴った。母さんは守ろうとしてくれたけど、俺をかばうと自分も殴られるから、強くは出られないみたいだった。そのうち父さんは家にいる時間が減っていって、ついには帰って来なくなった。それからの母さんは俺を必死に育ててくれた。たくさん優しくしてくれた。けど、いつも疲れた顔をしてた」
今目の前にないなにかを見る目。誰かに似ていた。
マキは思い至った。以前会いに行った時に見た、センセイの目と同じだ。いやもしかしたら、楽園や宿舎に思いをはせる時の自分も、同じような目をしているのかもしれない。
「母さんは俺のツノが恥ずかしくて、俺を外に出すのを嫌がった。学校にも行かせてもらえなかった。生まれた時に届けを出していないから、そもそも選択肢としてなかったみたいだけど」
遠くを見ていた大地の目が、現在へと戻ってくる。彼はぐしゃっと顔をゆがめた。
「俺は、俺やソラを捨てた母さんが嫌いだ。死ねばいいのにって思った。だけど……母さんが死ぬかもって考えた時、死んでほしくないって思ったんだ」
言葉を切り、沈黙を挟んでから大地は続けた。
「自分の気持ちが分からなくなった。母さんが好きなのか嫌いなのか……でもどちらにしろ、母親が死ねばいいのにって思う俺は、悪い子どもなんだろうな」
「……私、お母さんっていうものはよく分からないけど、家族は分かるよ」
マキは探るように、慎重に言葉を選んで言った。分かったふうに口出しはしたくなかったけど、大地に伝えたかった。
「家族って大事な存在だけど、でも嫌だなって思う時もあるよ。たまには喧嘩もするし……取り返しのつかない、ひどいことをしちゃう時だってある……」
色あせない後悔を抱えて自分の膝頭を見つめると、砂で汚れた桜模様が目に入った。浴衣の着崩れは優菜が直してくれたが、大地を押し倒した時に付いた汚れは完全には落ちなかった。
誰だってなにかを間違える。たぶん『悪いやつ』はいる。だけど大地は違うと、マキは強く思った。もし悪い子がいるとしたら、それは自分だ。大地ではない。
「大地は悪い子じゃないよ。だって私は知ってるから。全ては知らないけど、少しなら分かるから。大地が優しいことや、一生懸命生きてること」
言葉足らずに、遠慮がちに大地を見て。でも絶対伝えたいことだから、たどたどしくでも言葉を紡ぐ。
大地は虚を突かれた顔でマキを見返した後、頰を緩めた。
「ありがとう」
それで終わりということなのか、大地が伸びをして、仕切り直すように言ってくる。
「そういえば、ごめんな。リンゴ飴」
「え?」
「俺、落としちゃってただろ」
言われて思い出す。そういえば、砕けたリンゴ飴を地面に放置したままだ。後で片づけに行かなければならない。綿菓子も結局最後まで食べきれなかったが、こちらは空き地にいた幼女にあげたので、せめて無駄にせずに済んだ。
「いいよ別に。ほとんど食べられたし」
笑って返し、マキは空を見上げた。星の動きはやはり分からなかったが、紺色のキャンバスに散らされた光の粒を見るのに、理解なんて必要ない。きれいだから見る。それだけでいい。
と、こんな所まで来て、セミの鳴き声が耳に届いた。近くにいるのか、じー、じーっと、うるさいまでの大きさだ。
「セミって夜でも鳴くんだ」
「昔は鳴かなかったらしいけどな。真夏になれば、喜楽園でも普通に夜鳴いてる」
「へえ」
大地の言葉に、マキは物珍しさから辺りを見回した。しかし小ぶりとはいえ至る所に木々が並んでいる。この暗がりで1匹のセミを見つけ出すのは、さすがに無理だ。
潔く諦めて、目を閉じる。どこからかは分からないが、確かにどこかから聞こえてくる。夏を感じさせ、心を落ち着かせ、度が過ぎれば時にわずらわしいあの鳴き声が。
今聞こえる鳴き声は、自分の存在を必死に伝えようとするかのように、力強い。夜であっても生き急いで鳴くセミが、マキにはとてもいとおしく感じられた。
――どこかで、パンとなにかがはじける音がした。
「?」
目を開く。マキが音の発生源を見つける前に、先ほどよりももっと大きな音が空に響いた。
引っ張られるようにして空を見上げると、光の筋のようなものがたくさん見えた。が、すぐに消えてしまう。
「始まったな」
「え?」
空を仰ぎながらつぶやく大地に、マキは困惑の表情を向けた。
「今のが花火? どうしよう、見逃しちゃったよ!」
「慌てるなって。まだまだ打ち上がるから」
大地の言う通り、すぐに次がやって来た。
比較的小さな破裂音が耳に届くと、マキはバッと空を見上げた。
今度は見えた。尻尾のような光が、ゆらゆら揺れながら夜空へと上がっていくのが。そして、
――バァン。
中心から外側に向かって、何十、何百本もの光の帯がはじけた。
「わあ、すごい……」
思っていた以上、想像をはるかに超える豪快な美しさだ。
はじけた光は一瞬もとどまることなく、外へ外へと逃げていく。
そして空が落ち着きを取り戻したかと思えば、すぐに新たな光が昇っていく。
次々と、夜空に光の花が咲いていった。
「きれい」
マキは目を見開いて、それだけをつぶやいた。
花火は同じものがずっと上がっているのかと思いきや、少しずつ種類が違うみたいだった。
始めは一度はじけて終わりだったのが、はじけた後のそれぞれの光が、さらにまた光の花を散らすようになった。小さな花火が連続ではじける場合もあったし、打ち上がった後の形が、ハートの形を描くものもあった。
花火がどんなものか分かってきた頃、マキをからかうようにしてそれは起こった。
初めて聞く、甲高い打ち上げ音。その後続けて大きな花が咲いた。咲いて、その余韻に浸る間もなく次々と花火がはじけていく。いろいろ起こり過ぎて目が追いつかない。
マキは必死で花火を追いかけた。完全に心を奪われていた。
畳みかけるようにはじける音が、直接体に響く。
意識を失ったあの夜、あんなに遠かった音が今、耳を、肌を、心臓を、強く強くたたいてくる。
世界と自分はつながっている。
「私、生きてるんだ」
マキは胸に手を当てた。夜空に咲いた幸せの花に応えるように、ドクドクと心臓が波打っている。
「ねえ大地。私、生きてる……生きてるよ」
「ああ。マキも俺も、みんな生きてる」
感じ入ったように空を見上げる大地の隣で。
花火の光に照らされながら、マキは涙を流れるに任せた。拭うことはしなかった。涙が頰を伝う感触すら、かけがえのないものに思えたから。ただただ涙を流し続けた。
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