6.夏の夜の鼓動③ 初めての夏祭り
◇ ◇ ◇
思うことはいろいろあった。
口にしたいこともたくさんあった。
だけどそれらが一気に頭に浮かんだせいで、形をもった、なにかしらの言葉にすることができなかった。結局口から出てきたのは、
「うわあっ……」
という感嘆の声だけだ。目に映る全ての光景が、マキを圧倒してくる。
まず建物の種類も数も、見たこともないほど多い。
道を挟んで家々がずらりと連なっており、その数だけ『家族』というまとまりがあるのかと思うと、頭がくらくらする。多くは建物の周りに、そこまで広い空間があるわけではなく、建物同士が身を寄せ合うようにして立ち並んでいた。どうやら宿舎や喜楽園みたいに広場があるのは、珍しい部類に入るらしい。
所々にある大きな建物は、絵や文字の入った板をでかでかと掲げていた。これでもかというくらいに色がちりばめられており、見ていると目がちかちかしてくる。
マキたちの立つ場所から町の奥に向かって下り坂になっているため、遠くの方に、広い水辺のような場所があるのも少し見えた。水辺はいくつもの四角に区切られており、植物が植えられているようだった。もしかしたらあれが、田んぼというやつなのかもしれない。
(町って、こんな感じなんだ)
目の前の光景に次々と目移りしていって、どれを見ればいいのか分からない。
(病院から出てきた時、もうちょっと見ておけばよかったな)
少しばかり後悔する。
あの時は特に塞ぎ込んでいて、あまり外の世界を見たくなかった。だから喜楽園に移るため車で町中を移動した時も、ずっとうつむいていた。そうすることで、外の景色を目に入れないようにしていた。
(すごい。全部が全部、広くて大きい)
自分という存在に対して、取り巻くものの存在感が桁違いに大きい。
そしてなんといっても驚きなのが、人の多さだった。
すれ違ってもすれ違っても、絶えることなく次の人とすれ違う。
世界にはこんなにも多くの人がいるのだと、ようやくマキは――本からの情報だけでなく――実感した。
「すごい、人がこんなにいっぱい……」
「だって祭りだもん。むしろまだ少ないくらいだよ」
目を見開くマキの隣で、優菜があっけらかんと言い放った。
しかしマキにとっては驚くべき光景で、興奮するなという方が無理だった。
「すごい、すごい。世界って、こんなに広いんだ」
「マキは大袈裟だな。ただの田舎町だぜ」
あきれるように顔を傾ける健太郎を、優菜が小突く。
「健太郎ってば意地悪~。いいじゃん別に。マキは初めてなんだから。ていうか健太郎だって前までは、いちいち町に来るたび大はしゃぎしてたじゃん」
「そ、それは昔の話だろっ」
笑う雰囲気の流れに乗って口の端を上げながら、マキは少しばかりの疎外感を抱いた。
もちろんマキが勝手に感じただけだ。健太郎たちは排他的なことなどなにもしていない。
ただ彼らの反応を見ていると、自分がどれだけ世界とずれているのかを、痛感させられた。
「お前たち。他の人の邪魔になるから、もっと固まって歩きなさい」
大熊先生が、広げた両手で手招きをする。みんなが寄ってくると先生は、
「ここからもっと人が増えるから。はぐれないように」
と念押しし、歩調を緩めて進んでいった。
大熊先生の言う通り人はどんどん増え続け、すれ違うよりも同じ方向に進む人が増えていった。見えるのは人の背中、背中、また背中……
マキは人にぶつからないよう、そしてつまずかないよう歩くのに、ひとり悪戦苦闘していた。最年少の武と香織の方が、よっぽどきちんと歩いている。
(私も普通の服にすればよかった……)
今更後悔して、香織や武の足元を羨ましげに見る。彼女たちは踵までしっかり覆われた、歩きやすそうな靴を履いていた。
対してマキの履く靴は草履という、非常に非常に歩きにくい靴だった。踵を覆う部分がないため、踏み出すたびに脱げ落ちそうになる。
あまりにマキが無様な歩き方を見せるので、見かねた大熊先生が踵を紐で固定してくれた。それ専用の紐らしいが、専用の物があるくらい歩きにくいなら、なぜ最初から踵部分をつけてくれないのかと、マキは誰かに問いただしたい気分だった。
固定紐のおかげで、町に来るまでの間に、ある程度は歩けるようになった。が、人混みの中で歩くほどにはまだ慣れていない。
そんなふうであったから、大熊先生が足を止めた時は、マキは心の底からほっとした。
「じゃあもう一度注意事項を確認するから、みんな隅に集まりなさい」
大熊先生の指示に従い、マキたちは道沿いに植えてある、木々の内側へと移動した。
先生は喜楽園でも話した注意事項を繰り返すと、7時にまたこの場所に集合するよう言った。
「じゃあ今年のグループ分けだが……」
「はいはーい、私考えてきましたー」
大熊先生が見回したところで、待ってましたと優菜が手を挙げる。
「健太郎は武と、透は真理子と一緒ね。苦情は一切受けつけないから」
どこからか「えー」と上がる声――主に健太郎からだが――を一蹴し、優菜はさくさくと後を続けた。
「それで私はクマ先生と香織をみるから、マキと大地が一緒でよろしくっ」
「え?」
と声を上げたのは、マキと大地、ふたり同時だった。
たぶん大地も、事前にマキと同じことを優菜から言われていて、戸惑ったのだろう。
大地がやたら動揺したそぶりを示し、それ以上口を開かないので、マキが代わりに聞くことにした。
「3人で回るんじゃなかったの? 優菜そう言ってたじゃん」
「だってー。なんか絶対私省かれる感じじゃん」
拳を握っていやいやをする優菜。
「そんなことしないよ。3人で回ろうよ」
「俺もその方がいいと思う。マキだって優菜が一緒の方がうれしいだろ」
マキと大地ふたりで食い下がるも、優菜は全然聞く耳をもたなかった。
「いいからいいから。ま、楽しんできなって。初めての夏祭り、きっといい思い出になるよっ」
ぱたぱた手を振りそう言うと、
「じゃ、かいさーん!」
と間延びした口調で拳を突き上げた。そのまま宣言通り、香織の手を取り歩き出す。
「優姉、優姉。私輪投げやりたい」
「いいよいいよ、じゃんじゃんやろうっ。クマ先生、私は金魚すくいやりたーい」
「構わないが、今度こそ自分で世話するんだぞ。優菜は金魚を増やすばっかりで、結局いつも俺が世話してるじゃないか」
「そんなことないよ。今日だってちゃんと、太郎と次郎と権三郎に挨拶したし」
「権三郎は数ヶ月も前に、町の学校に譲ったぞ」
「あれ?」
などと会話を交わして消えていく3人。
「俺らも行こうぜ」
「そだな。じゃ、また後で」
と健太郎たちもそれぞれに歩きだし、最後はマキと大地が残された。




