6.夏の夜の鼓動② 準備は万全
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浴衣というものは、自分を罰するために着る物なのだろうか。
そう思うくらい、浴衣を着るのは大変だった。そして着た後もしかりだ。
足首まである布地に阻まれるせいで、足を動かせる範囲が極端に狭い。その結果いつもより歩幅が小さくなるので、全然前に進めない。これが結構もどかしかった。
優菜は浴衣にふさわしい歩き方というのを教えてくれたが、マキには到底できそうになかった。ちなみに優菜も教える時を除いては、そこまでうまくはできていなかった。
そんな不自由極まりない浴衣ではあったが、桜をあしらった柄はかわいくて、着ていると少しばかり特別な気分になれた。
「ごめんねー。だいぶ時間かかっちゃった。早く遊戯室行こう」
謝りながら、あせあせと足を動かす優菜。
彼女が身にまとっているのは、白地に青のナデシコ柄の浴衣だ。長い髪を上部でひとつにまとめており、愛嬌あふれる普段の姿とは、また違った雰囲気を醸し出していた。
「あ、待って優菜。足が絡まっちゃう」
早歩きのような小走りのような、ひどく不器用不格好な動きで、優菜とふたり進んでいく。階段に差しかかったところで、2階から下りてきた大地とかち合った。
「あ」
「おう」
顔を合わせるのは何時間かぶりだが、改まった挨拶をするほど時間がたったわけではない。互いに短く声を上げ、特に示し合わせるわけでもなく、共に歩く。
マキはちらりと、隣を行く大地に視線を送った。
大地は肘、膝丈まである紺色の服を着ていた。帯のように腰を締めつける物もなく、マキの浴衣よりも動きやすそうだ。
「大地も着替えたんだね。それも浴衣なの?」
「違う。これは甚兵衛羽織」
紺色の帽子をかぶり直しながら、大地が答える。いつぞやのスイソ自動車の男がかぶっていた帽子と同じような形状で、野球帽というらしい。
「だーいち。どうしたの? なんか素っ気ないねえ」
マキを挟んで、右から優菜がからかうように声を上げる。
「別に」
そう答える大地は、確かに少し素っ気ないというか、動きが硬かった。あまりこちらに目を向けてくれない。
「ねえねえ、私たちの浴衣どう? 似合ってる? マキは初めて浴衣着たんだよ。なんか思うことはないの?」
半ば強引に感想を求められ、大地が追い詰められたまなざしでマキの方を見てくる。
目が合った瞬間、なんだか大地の困窮ぶりがうつったようで、マキまで動きが硬くなった。
どぎまぎしながら大地の言葉を待っていると、大地は、
「浴衣の良しあしなんてよく分からない。別に変じゃないとは思うけど」
と言葉を濁して、ついとマキから目をそらした。
具体的な言葉を求めていたわけではないけれど、なんだか肩透かしを食らったような気分だ。
優菜も拍子抜けしたように、苦情を漏らす。
「えー、それだけ? 大地ってば適当過ぎっ。もっと『似合ってるよ』とかないの?」
「そういうことほいほい言う方が適当だろ。嘘っぽいし。俺は真面目に答えただけ」
「じゃなくてさあ――あ、ちょっと! 待ってよ大地!」
すたすた足を速める大地に引き離され、優菜が手を伸ばす。
しかしこれ以上付き合う気はないということなのか、大地は歩調を落とさず先に遊戯室へと入っていってしまった。
優菜はつんのめりかけた体勢を整えると、
「もう。大地ってば、本当分かってないんだから」
ふんと息を吐き出し、「ねー?」と同意を求めてきた。
「? う、うん」
正直よく分からなかったが、マキは無難にうなずいておいた。
遊戯室に入った時にはとっくに5時を過ぎていたが、全員は集まっていないようだった。見たところ、健太郎と透が来ていない。
「わあ、優姉もマキ姉もかわいい!」
満開の花のような明るさを振りまいて、香織がとてててて、と駆け寄ってくる。
「ありがとっ」
優菜はご機嫌な調子で返しながら、顔は大地の方へ向けていた。その目が『こういうのだよ、こういうの』と言いたげに、くりくりと光っている。大地は完全に受け流していたが。
「いいなあ、私も浴衣着たいよー」
「真理子は来年からね。そのワンピースもかわいいよ」
うらやむ真理子へのフォローも忘れずに、優菜が付け加える。
浴衣を着られるのは11歳以上だけだとかで、真理子と香織はおそろいのワンピース姿をしていた。真理子はレモン色、香織は空色ベースで、裾にいくにつれてヒダが広がりやすくなっており、歩くたびにひらひらと揺れて華やかだ。
香織と同い年の武は、いつもと変わらぬ半袖短パン……かと思いきや、イラストの入ったTシャツを着ている。名前は忘れたが、確か武が好きなアニメのキャラクターだ。武にとっての一張羅なのかもしれない。
「あとは健太郎と透か」
のそっと腕を組み、大熊先生が扉へと目をやる。
大熊先生が着ているのが恐らく、男物の浴衣なのだろう。濃紺の落ち着いた色合いだからなのか、なんだかとても貫禄があった。
おのおのの格好を十分に批評し合った頃、ようやく健太郎と透が現れた。
「遅いよふたりとも!」
すかさず優菜が注意をする。
(遅れたのは私たちもだけど)
という指摘はたぶんしちゃいけないのだろうと、マキは黙って成り行きを見守った。
「悪い悪い、しゃべってたら時間忘れてた」
透がごまかし笑いを浮かべながら優菜を見て、
「お、優菜。今年は大人っぽい感じだな」
「そりゃあ私も、15になればそろそろねー」
優菜は話題を変えられたことにも気づかない様子で、「どんなもんよ?」と得意げに胸を張った。
食いついたのは健太郎だ。透の前に割り込むと、なぜか必死に優菜に迫る。
「かわいいぜ。優菜もマキも、ふたりとも!」
「本当ぉ?」
「本当本当! 嘘じゃない、本当にかわいい。世界一だ」
「なーんか嘘っぽいなあ」
疑わしげなまなざしを健太郎に送る優菜。
と、それまでマキと同じく傍観していた大地が、優菜へとじっと視線を注いだ。その目が『ほらな、嘘っぽい』と告げている。これもやはりというか、優菜は無視に徹したようだが。
真意を疑われた健太郎は、さらに言葉を重ねようとした。
しかし彼が続けるよりも先に、大熊先生が口を開く。
「みんな集まったな。じゃあ今夜の確認をするぞ」
大熊先生は、『祭り会場は人が多いから、ぶつからないよう気をつけること』『もしぶつかったらきちんと謝ること』など、注意事項をたくさん言い並べていった。
聞くそばから頭を通り抜けていく気がして、マキは内心冷や汗をかいた。
最後に大熊先生が、緊急用のブザーをひとりひとりに配っていく。ブザーの位置情報を大熊先生が把握できるようになっていて、付属のボタンを押せば、先生が駆けつけてくれるとのことだった。
紐を通してあるブザーを、しっかりと首にかけ。
「それじゃあ行こうか」
大熊先生の言葉に、マキは落ち着きなく視線を動かした。早く出発したくてたまらない。自分で思っていた以上に、浮かれているのだと気がついた。
(初めての夏祭り……)
準備は万全、夏祭りに出発だ。
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