4.広過ぎる世界④ それだけの違いが、とても大きな違いに思えた。
◇ ◇ ◇
宣言通り、優菜は喜楽園のあらゆる場所を案内してくれた。
喜楽園は2階にも立ち入ることができて、窓から外を見ると、少し遠くの方も眺めることができた。ひとつひとつの部屋よりも、その景色の方に目を奪われて、優菜にせっつかれるまでマキは窓に張りついていた。
しかし一番興味を惹かれたのは図書室だった。図書室は宿舎でいうところの読書部屋だが、部屋の規模も本の所蔵数も桁違いだった。なにより喜楽園の本は、表紙とその付近数ページがすげ替えられていなかった。優菜によるとそれは普通らしいが、マキにとっては驚くべきことだった。
(本は楽園からの借り物だから、楽園外の住人が見ちゃいけない部分は隠してある)
そんなこと、なんで疑いもせずに信じていたのだろうか。
優菜はマキの無知を笑うことなく、案内がてらにさまざまなことを教えてくれた。人はこの世界で生まれ、育ち、誰かを愛し、子どもを授かるということも。
話の流れで優菜の親について聞いたら、少し悲しそうな顔で、
「今は喜楽園のみんなが家族だから」
と答えた。だから、マキの親もこの世界にいるのかと聞くのはやめておいた。たぶん優菜にとっては、聞かれたくない話題なのだろうと思ったから。
案内が終わった後、喜楽園の授業に参加した。宿舎にいた頃も勉強はしていたが、こっちの方が難しく、学ぶ分野も多かったので大変そうだとマキは思った。
午後の自由時間になると、子どもたちはおのおの好きな場所に散開していった。優菜や健太郎たちは遊戯室や図書室に行ったようだが、大地は運動場で、年少組の遊びに付き合っていた。
特にやることの思いつかなかったマキは、追いかけっこをしている大地たちを、運動場の隅に座ってぼんやりと眺めていた。
先ほどまでツノをむき出しにしていた大地は、外ではまた帽子をかぶっている。
なんとなく分かったのは、大地のツノは外の世界でも珍しいということだ。
(たぶん大地はそれが嫌で、喜楽園の中でしか帽子を取らないんだ)
どういう理由かは分からないが、きっとそうなのだろうと思った。
幼い子たちが、きゃっきゃと運動場を走り回る。外で子どもたちが遊ぶ光景は、広場でのミーコたちを思い出させた。
(みんなどうしてるかな。私がいなくなったこと、なんて聞いてるんだろう……ジュンペイはそろそろ出立日だったよね……ミーコはもう少し先のはずだけど)
考えているうちに視界がじわっとにじみ出す。マキは慌ててまばたきを重ねた。
こうなってしまえば、もう子どもたちを眺めるのはつらいだけだ。
マキは立ち上がると、フェンスに沿って歩きだした。大地は子どもたちを見るので手一杯なのか、こちらの動きに気づいた様子もない。
取り立てて目的地があるわけでもないので、フェンス越しに外を眺めて進む。
内と外とを隔てる『壁』があるのは、待ち人の家も喜楽園も同じだ。
だけど喜楽園の『壁』は外が見えるし、少しよじ登れば簡単に越えられる。
それだけの違いが、とても大きな違いに思えた。
(また思い出してる)
ため息をつく。考えないようにというのが、どだい無理な話だった。
マキは疲れたまなざしで、小さなひし形に切り取られた景色に目を向けた。
(あ)
道を挟んで向こう側。道沿いに生える草花の中に、黄色い集団を見つける。
(もしかして……)
ここからでははっきりと分からない。
マキは歩調を速め、正面の門へと急いだ。その間も黄色い集団からは目を離さない。少しでも目を離せば、歩みを怠れば、一瞬のうちに消え去ってしまうような気がしてならなかった。
門を横に押し開いて隙間を作り――思った以上に重かった――金具に引っかかった服と格闘しながらも、なんとか外へと出る。
マキはたまらず走りだし、あっという間に黄色い集団の元へとたどり着いた。
道端の一抱えほどのスペースで、それらは身を寄せ合って必死に存在を主張していた。枝分かれした茎の先に小さな花をたくさん咲かせ、ここにいるよと伝えている。
(菜の花だ……)
マキはしゃがみ込んで手を伸ばした。不思議なことに、胸の鼓動が大きくなった。指が花に近づくほどに、どくんどくんと大きくなる。
やがて黄色い花弁に指先が触れた。
(見つけた)
リサの標。幸せの花。
あの日、どんなに泣きじゃくっても見つけられなかった花が、今目の前にあった。
(リサ……ごめんね。ごめんね)
マキは下唇を嚙み、涙をこらえた。いつまでも泣いて謝るだけでは、それこそリサに嫌われる気がしたから。
丁寧に丁寧に土をのけ、根元から菜の花をつみ取る。
握り潰さないようにそっと両手で持った時、マキの体を影が覆った。
「ねえ君、ちょっといい?」
菜の花に夢中だったので、その声を聞いた時は本当に、飛び上がるほど驚いた。
「え? はいっ」
マキは慌てて立ち上がり、声をした方を振り向いた。




