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4.広過ぎる世界② がんじがらめで身動きができない

「今はまだ、受け止めるだけで精いっぱいだろう。ゆっくりいろいろと考えるといい。なにか困ったことがあれば、そこのボタンを押すんだよ。すぐに誰か来てくれるから」


 そう言い残すと、男はカーテンの向こうへと姿を消した。

 後に残されたマキは、少年に怒鳴る気にも椅子を勧める気にもなれず、ただ黙り込んだ。所在なさげにたたずむ少年と気まずい沈黙を共有し……やがて耐えきれなくなり、口を(ひら)く。


「カーテンの向こう、見てみたい」

「あ、ああ!」


 少年は(おお)()()に反応すると、それが一刻を争うことであるかのように、慌ててカーテンを(ひら)いた。

 狭苦しいピンクの世界から一転、しゃっと音を立てて視界が(ひら)ける。

 そこはマキが知っている診察室を、広く明るくしたような部屋だった。ベッドだってマキのを除いて3台もあり、うち2台には人がいた。


(誰だろう?)


 マキは目を細めた。顔が見えなかったわけではないが、不思議だったのだ。

 マキの向かいのベッドで寝ているのは、女性だった。ただし顔や手など全体的に、妙に(しわ)が寄っているように見えた。


(もしかして、これが『おばあちゃん』?)


 本でしか見たことがなかったので、驚いた。

 『おばあちゃん』や『おじいちゃん』は、長く楽園を待っている者たちで、その(しわ)の1本1本が人としての徳の(あか)しだと、センセイは言っていた。


(……それも、違うってことになるのかな)


 知識のひとつひとつが、掘り起こすたびに待ったをかけられる。がんじがらめで身動きができないような居心地の悪さを抱えていると、女性が話しかけてきた。


「あんた、ここは病院なんだ。もっと静かにしなさい」

「す、すみません」


 取りあえず謝るべきところなのだろうと判断し、マキは謝罪した。

 しかし女性は不機嫌に顔をゆがめたまま、続けてくる。


「それになんだい。人が死なないとかなんとか。あたしらを馬鹿にしてんのかい」

「そんなわけじゃ」

「まったく嫌になるね。こんな所早く出たいのに、その時にはこの世からも去らなきゃいけないなんて」


 ぶつぶつ言いながら、ゆっくりとした動作でベッドを下りる女性。そのままスリッパを履くと、


「ほら、散歩の時間だよ」


 マキの隣のベッドに寝ている人――ちらりと見たところ、これも『おばあちゃん』だった――へと(おっ)(くう)そうに声をかけ、のそのそと部屋を出ていった。


「ごめんなさいねえ。あの人、気難しくて」


 そう言ったのは、隣のベッドの女性だった。先ほどの女性と同じく(しわ)だらけだ。でもにっこりと笑うその顔には(しわ)が似合っていて、とても素敵な笑顔に見えた。


「あなたはすぐに退院できるの?」


 マキは答えに窮してしまった。そもそもなにを聞かれているのかすらよく分からない。たぶん、ここを出られるのか、ということを聞かれているのだろうけれど。

 不本意ながらも、助けを求めて少年へと目をやる。


「しばらくは経過を見るために、ここに入院するみたいです……でもそれが終わればきっと、元気に普通に過ごせます」


 たどたどしくもきちんと答え、特に最後の部分を強調する少年。


「……みたい、です」

「よかったわねえ」


 マキは少々むっとした。マキの置かれた状況も知らずに、(のん)()なことを言われた気がしたからだ。


(人ごとだからって)

「人生をいっぱい楽しんでね。私はそろそろ終わりが来るから」

「え?」


 女性があまりにあっさりと言うので、マキは一瞬意味が分からなかった。

 頭の中で言葉をかみ砕き、遠慮がちに聞き返す。


「死んじゃう、ってことですか?」

「そうねえ」

「こ……怖くないんですか?」

「怖かったり怖くなかったり、いろいろね。悔いはないって思っても、次の瞬間には心残りするような、今は死にたくないって思うことが出てくるものだわ。できれば悔いのない時に逝きたいものよね」


 そう言って笑う女性は、マキからすれば、全然怖がっていないように見えた。

 と、部屋の扉を()けて、先ほどの女性が顔をのぞかせる。


「なにやってるんだい。早くしな」

「ごめんなさい、今行くわ」


 謝られ、ふんと鼻を鳴らして扉を閉める女性。

 マキの隣の女性はそれに苦笑いを向けると、「よいしょ」と身を起こした。

 少し離れた場所にあったスリッパを大地が手に取り、女性の足元へと運ぶと、


「ありがとう。いい子ね」


 と女性が礼を言った。「別に」と動揺する少年を、彼女は(ほほ)()ましそうに眺めた。そして、


「じゃあまたね」


 と告げ、スリッパをぱたぱた鳴らしながら、部屋を出ていった。

 結局はカーテンの外の空間でも、少年とふたりきりになってしまった。


「なに、ここ」


 自然と口がとがる。


「こんなの違うよ。みんな死ぬの? 死んじゃうの?」


 (かん)(しゃく)を起こしたように、マキは拳を布団にたたきつけた。


「おかしいよ! センセイは死なないって言ったのに。なんでみんな死ぬこと考えてるの!?」

「違う」


 少年がそっと寄ってきながら、きっぱりと否定してくる。


「違う。たぶんだけど、死ぬことを考えてるわけじゃない。死ぬことを分かった上で、生きることを考えてるんだ」

「分からないよ。そんなこと言ったって、やっぱり死ぬんでしょ?」


 マキは泣きそうな声で返した。

 楽園があるとかないとか、死ぬとか死なないとか。なにが(うそ)でなにが本当か、まだきちんと整理はできていない。

 だけど待ち人の家で、なんの疑問も(いだ)かずにいた頃の気持ちには、二度と戻れないことだけは確かだ。


(私も……死ぬの?)


 昔の自分は楽園のことはよく分からなくても、なんの不安もなく待つことができた。でも今は分からない先のことが怖くて、先取りした恐怖に、勝手におびえる自分がいた。

 窓の外へと目をやる。

 いつの間にか曇っていたらしく、木々は陰り、先ほどよりも精彩を欠いていた。


(やっぱりこっちの木の方が、私には似合ってる)


 これで少しは今の自分に近くなったと、マキは陰鬱につぶやいた。


◇ ◇ ◇

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