4.広過ぎる世界① もう鳥籠では守れない。
◇ ◇ ◇
ぐるぐると。ぐるぐると思考が渦巻いている。
うっすら目を開けると、目に入ったものも渦巻いている。たぶん天井なのだろうが、ひどくゆがんで回っているため、ろくに推定することすらできない。
(私、どうしちゃったの?)
朦朧とする意識の中、マキはいかめしい声を聞いた。
「――カミ、来てくれ。お前の補助具が必要だ……ああそうだ。彼女が君の言うマキで間違いない。ソラを追って落雷に巻き込まれた」
ひどく焦っている。聞いたことのない声だ。
「ダイチから……俺の子どもから話は聞いた。彼女は知りつつある。もう鳥籠では守れない。なら選択肢を与えるべきだっ」
(鳥籠?)
なぜかその単語が引っかかって、マキは頭の中で反芻した。
(彼女はマキ。マキは私。なら鳥籠にいるのは私?)
おぼつかない思考の中で、言葉遊びのように意味をたどっていく。
ぐるぐると言葉が回っていく。
意味へとたどり着く前に、マキは再び無となった。
◇ ◇ ◇
目を開けて見えた天井は、ようやく認識ができたのに、結局は全く見知らぬものだった。
天井についている照明も見たことのない型で、マキの知っている物よりも、はるかに真っ白な光を放っていた。ずっと見ていると目が痛くなるくらいに。
(もしかして、ここが楽園なのかな?)
それしか考えられなかった。全く覚えのない場所で目が覚める理由など……
(違う。楽園じゃない)
ここが楽園なら、こんな悲しい気持ちで目覚めないはずだ。
マキは首が動く範囲で辺りを見回した。
左には窓があって、外には木々が見えていた。暗闇で見るのとは違って、どことなく感じる不気味さの代わりに、生き生きとした躍動感のようなものがあった。
(たぶん今の私には、夜の陰気な木々の方が似合ってる)
木からすればいい迷惑な批評だろうが、そう思わずにはいられなかった。
窓から視線を右にずらすと、ピンクのカーテンが見えた。カーテンレールは角で曲がっており、どうやらマキの寝ているベッドを囲っているようだ。レールに沿って見ていくと、右側にふたりの人間がいた。こちらを心配そうに見ている。
怖そうな顔をした男の人と、帽子をかぶった少年。
「あなたっ……ソラを返して!」
がばと身を起こすと、なにかが腕に絡まってついてきた。
針のようなものが、腕の内側にテープで留めてある。しびれたような痛みがあるので、もしかしたら刺さっているのかもしれない。その針には管がついており、枕元にあるスタンドへと伸びていた。旅人の部屋で見た物と似ている。スタンドにつられた透明な袋には液体が入っており、そこからなにかを体に送っているようだった。
「やっ」
なんなのかは分からないが怖くなり、マキは針を引っこ抜こうと手を伸ばした。
その手が、そっと押さえられる。
「大丈夫だ。害はない」
怖い顔に似合わない優しい口調で、男が言う。
センセイと同じような白衣を身にまとっていることもあり、マキはセンセイになだめられたような錯覚を覚えた。
そして思い出す。
「センセイは!? センセイ怪我してるの! そうだよ、ソラもセンセイもその人が!」
マキが言い募るほどに、少年の顔がつらそうにゆがんでいく。しかしマキはそんなことお構いなしに、男へと訴えかけた。
「君の先生とは連絡が取れている。彼なら大丈夫だ。ソラは……」
「ソラは?」
言いよどむ男をマキは急かした。
男が意を決したように続ける。
「もういない。死んでしまったんだ」
男の言葉をのみ込むのに、ひどく時間がかかった。
「……ソラが、死んだ? 楽園に行ったんじゃなくて?」
男を見る。少年を見る。その顔を見ただけで答えは分かった。
だけど納得できるかどうかは別だ。
布団の上で、両拳をきゅっと握る。
「そんなはずないよ。だって人は死なないもの」
「その考えが間違っ……」
ようやく口を開いた少年は、全て言い終える前に男から制止を受けた。
「よく聞いてくれ、マキ」
少年の前から手をどけた男が、真剣なまなざしでマキを見据える。
「君がいた世界は、ひどく閉ざされたものだ。人は死ぬ。他の動物や虫と同じように。ソラも命をまっとうして死んだ。ダイチはソラを救おうとしてたんだ」
(やめて)
マキは口を引き結んだ。
あえて避けてきた答えが、頼みもしないのに勝手にやって来て、マキの常識を殴りつけてくる。
「楽園は、君たちを安心させるための希望だ。終わらない幸せを約束するための嘘だ。だけどこちら側に来てしまった今、君は真実を受け入れなければならない」
「そんなこと、急に言われても……」
瞳を揺らし、あさっての方へと視線をそらす。
信じられないと言えればよかった。だけどマキの中に降り積もっていた疑念に、男の話は違和感なく染み入ってくる。
そのことにむかむかして、マキは胸に手を添えた。
知らない間に着替えもさせられていたらしく、上着のような着心地の服を着ていた。生地全体が淡い水色だ。白色の服しか着たことのないマキには、それすら異常の象徴で、不安感が襲ってくる。
極めつけは胸の辺りだ。服の上からでは見えないが、ガーゼのような物が貼りつけてあり、ざらざらとした感触があった。
マキは服の上からガーゼを鷲づかみにし、
「? なに、これ」
違和感の正体がガーゼだけでないことに気づく。ガーゼや薄い布地を通して、ほんのわずかになにかが伝わってくる。
「ドクドクしてる」
左胸の辺りから、肉の内側から、ドクドクと鼓動が伝わってくる。
「新しい心臓だよ」
男はそれが喜ばしいことであるかのように、力強く答えてきた。
「機械仕掛けでない本物の心臓は、鼓動を刻むんだ。君の人工心臓は壊れてしまったから……でも大丈夫、私が責任をもって手術をした。手続きについてもうまくやっておいた。これからはそれが、君の命となるんだよ。新しい命だ」
「……新しいって、なに? 私に古いも新しいもない」
マキはうつむき、歯をきしませた。
「勝手にやって来て、勝手に私たちの世界を壊して……あなたが塀の向こうから現れなければ、私は楽園を疑うことはなかったのに」
布団を見ながら恨み言を吐き出す。
(この人がやって来なければ、私はずっと幸せだったのに)
「あなたが変なことを言ったから、私は……そのせいで、リサは……!」
マキはキッと顔を上げ、少年をにらみ据えた。その視線を受け止めきれず、少年が目をそらす。
(そうだよ。この人がいなければ!)
それが危ない考えだとは、なんとなく分かっていた。自分は悪くないという体裁を探して、リサを傷つけた罪悪感から逃れようとしている。
はまってしまえば抜け出せない。マキは言い訳の沼にどんどん沈んでいった。
「あなたが……あなたのせいで!」
「君の心臓は、ソラのものだ」
「え?」
唐突に明かされた内容に、沈みゆく体が動きを止める。
「ソラはダイチの弟だ。彼が移植を承諾してくれた。君の命を救うために」
男は丁寧に言葉を重ね、マキを沼から引き上げていく。
再び少年を見る。彼はなにかに耐えるように、唇を嚙みしめていた。
「それだって……私は、頼んでない」
「それでもダイチは君を助けたかったんだ。君に生きていてほしかったんだよ」
マキは返す言葉を持たなかった。少なくとも今は。




