3.ツノ付き童と魔女屋敷⑫ 命の境界線
◇ ◇ ◇
(俺は……なにをやってるんだろう)
大地はよどんだ気持ちをたたえながら、処置室へと足を踏み入れた。
(自分がなにかできることを示したいからって、ソラを連れ出して……でもソラは半分死んじゃって)
右のベッドに横たわるソラを見る。弟は小さな人工呼吸器をはじめとする、さまざまな装置につながれていた。その顔は穏やかに眠っているようだ。
しかし心臓は動いてはいても、もうひとつの大事な命が尽きている。ソラの脳は今、動くことをやめていた。
(挙げ句の果てに、知らない女の子の命まで……)
左のベッドには、大地が健太郎たちとともに連れ帰ってきた少女が横たわっていた。意識を失っている彼女を診て、大熊先生が苦い顔をしたのを覚えている。
あれから2日間、少女は眠ったままだ。
「クマ先生。この子、死んじゃうのか?」
2日の間ずっと怖くて聞けなかったことを、大地はようやく口にした。
「……この子に埋め込まれているのは、完全置換型心臓だ。ただし欠陥品の」
大熊先生が少女の傍らに立ちながら、遠回しに答えてきた。
「元々限界が近かったんだ。落雷のことがなくても、あと1カ月ももつかどうか……というところだった」
大地は完全置換型がどうとか、医療のことは全く分からなかった。しかし、
「でも、今機械の心臓の調子が悪いのは、雷のせいなんだろっ? 俺はその、大切な1カ月を奪っちまったんだ!」
先生が避けてくれた死という言葉に、大地はあえて踏み込んだ。
「大地。この子のこともソラのことも、お前のせいじゃない。それどころか、お前が助けなきゃソラは2日前に死んでいた。お前が作った2日間だ」
先生が必死に慰めようとしてくれているのが分かった。それが余計につらかった。
「……助けてくれよ、先生」
自分にそんなことを言う資格がないのは分かっていた。しかし言わずにはいられなかった。
「この子を助けてくれよ!」
大熊先生に詰め寄り、懇願する。
先生はしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「……ひとつだけ、可能性はある」
「本当っ?」
「ソラの心臓を彼女に移植する」
一瞬、言われたことの意味が分からず、大地はほうけた顔で大熊先生を見返した。
「え? だって、ソラはまだ……」
「ああ、心臓は動いている。そして脳は死んでいる。それを『ソラの死』と見なすのであれば、移植は彼女を救う選択肢となる」
温度のない淡々とした声音で、大熊先生は続ける。
「ただし、もし移植を選んだとしてもリスクは山積みだ。サイズが合わないから特別な補助具を使用しなければならないし、拒絶反応が起きる可能性も十分にある。適合しなければ、人工心臓の寿命を待つまでもなく死んでしまう。もし移植が成功したとして、いつまで生きられるのかは未知数だ。そしてなにより――当然だがソラは、臓器提供に関してなんの意思も示していない。脳が死んでも心臓は生きている。彼の体はまだ生きている。そんな彼から心臓を取り出すことに、君自身が納得できるのかという問題がある」
大地は揺れる瞳でソラを見た。いまだにソラの声は聞けていない。
弟はこのまま目覚めることはないのか。それともいつか目覚めるのか。ソラの命の境界線は、どこにあるのか。
(そんなの、分かるはずがないっ……)
大地は自分の胸に手を当て、再び大熊先生を見上げた。
「だったら……だったら俺の心臓をこの子にやるよ! 俺なら年も近いから、ソラよりも適合しやす――」
「駄目だっ!」
大熊先生が大地の言葉を遮る。身がすくむくらい大きな声だった。
「そんなこと、決して考えちゃいけない。そんな命のやり取りは許されない」
「ソラならいいっていうのか!?」
言い返すと、先生は、グッと息をのんだ。
「……分からない。私にはその境界を決められない。だからあいつも止められなかった」
「あいつ?」
「いや、なんでもない……自分でも決められないことの決断を迫るだなんて、卑怯な話だとは思う……だが、ソラの家族はお前だ。お前が決めてくれ」
じっと見つめられ、大地は答えることもできず、うつむいた。
「……1日だけ、考えたい」
「分かった。催促はしない。ゆっくり決めてくれ」
大熊先生はそれだけを言うと、少女の診察へと戻っていった。
大地はふらふらと、ソラの元へと近寄った。床に膝をつき、ベッドにすがりつく。
(ソラ……俺は兄として、お前にどうしてやればいいんだ?)
「教えてくれよ、ソラ……俺に声を聞かせてくれよ……」
ベッドの端に額を押し当て、大地は消え入りそうな声を上げた。
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