1.待ち人の家② 君たちは幸せにならなければいけない。
◇ ◇ ◇
今まで何百回となく歩いてきた廊下を、足早に進んでいく。忘れないよう気をつけてはいるのだが、それでも今日のように、検診時間に遅れることがたまにあった。
(3日に1回だから忘れやすいんだよね。いっそ毎日なら……センセイが困っちゃうか)
自分のだらしなさのために、センセイを3倍働かせようとするとは。
(私って悪い子)
苦笑いとともに小さく舌が出る。悪戯がバレた時の、ユキヒロの癖と同じ。いつの間にかうつっていたようだ。
診察室の前まで着くと、マキはいつものように扉をノックした。
「センセイ、マキだよ」
「どうぞ入って」
落ち着いた、澄んだ声が返ってくる。
がらりと扉を開けると、室内には物腰穏やかな男性がひとり。
他の家族の検診結果をまとめていたのだろうか、机に向かってペンを走らせている。
「座って……すまないね、あと少し……よし」
くるりと椅子を回転させて、隣の椅子に座ったマキに向き直るセンセイ。
「気分はどう?」
「どこも悪くないよ」
決まったやり取り。問題があることなど、そうそうない。たまに風邪はひいたりするけれど。
「それはいい」
センセイが口元を緩め、足元の箱から拳大の、大きな分銅のようなものを取り出した。根元から生えたコードは、壁のコンセントへとつながっている。
マキたち待ち人の、元気の源。
「それじゃあ、充電するから後ろ向いて」
これもいつものやり取りなので、言い終わる前にマキは反転していた。静かな室内に、回転椅子のきしむ音が響く。服の裾を少しまくり上げれば、準備完了だ。
脇腹に近い、背中の部分に充電器が当てられる。ひんやりとした感触が心地いい。
「じゃあいくよ」
「っ……」
センセイの言葉と同時、ぴりっとした感覚とともに、なにかが流れ込んでくる。紛らわせようと足をぱたぱた動かしていると、
「その癖はずっと治らないね。この感覚、苦手かい?」
苦笑交じりの声が、背後からかかる。
「慣れてはいるけど、なんか落ち着かなくって」
改めて指摘されると恥ずかしくて、マキは口早に取り繕った。
「でも楽園へ行けば充電いらなくなるし、そう考えると、これも残りわずかな貴重な体験かなー」
充電器の調整に気をやっているのか、センセイからの返事はない。充電器の作動音が、低く響くのが聞こえるだけだ。
「……っと。はい、終わったよ」
合図と同時に、マキは椅子をもう半回転させ、センセイへと向き直った。
「センセイ。私はリサと一緒には、楽園に行けないの?」
答えは分かっていた。自明の理だ。出立日が異なる以上、どうあがいても一緒には行けない。ただ口に出してみただけだ。
センセイも、それは分かっていたに違いない。けれど茶番じみたマキの問いに、丁寧に付き合ってくれた。
「招かれる時は人それぞれだからね。君はもう少し待たないと。寂しいかい?」
リサと同じことを聞いてくる。
「えっと……少しだけ」
「大丈夫、向こうですぐにまた会えるよ」
これもまたリサと同じ。ふたりとも、自分を心から気遣ってくれているのだ。
それがうれしくてこそばゆくて、マキはふふっと、拳を口に当てた。
「ねえセンセイ。センセイは、楽園には行かないの?」
「私は橋渡し的な存在だからね。君たちが楽園に招かれるまでの間、きちんと守るのが私の役割だ……でも、そうだね。いずれは行くかな……こんな私でも、招いてもらえるならば」
そう言って、センセイは寂しそうに笑った。
「センセイなら行けるよ! そんなの当然だよっ」
両拳を握って身を乗り出す。
こんな優しい人が、招かれないわけがない。マキにとっては、これも自明の理といえた。
「ありがとう。マキはいい子だね。だからこそ、君たちは幸せにならなければいけない」
センセイはマキの頭にぽんと手を置き、誓うようにつぶやいた。
「君たちの幸せは、私が守るよ」
◇ ◇ ◇